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脳内にGoogleを

にしのし


20〜30年後のアラサー・アラフォーたちも「〇〇の呼吸!」と言ってはフヒヒと笑い合うんだろうな,と思うと,なんだかちょっと楽しいです。

ぼくがたまに魔貫光殺砲で遊んでるみたいなものですよね、わかる、誰でもそうだよなー。ちゃんとセリフとポーズ付きでやるほうがいいですよね。で、そのあとしばらく、主題歌が脳内をループする。

30年後のアラフォーも、ふとした瞬間に紅蓮華を思い出しているでしょう。消せないフヒヒ止まらないデュフフ。



あなたの話題にさらに続けて、「記憶装置」の話。


声や音楽といった聴覚情報は、文字や映像のような視覚情報と比べると、記憶装置の「再生方法」が少し違う気がする。

たとえば、ぼくらはたいてい、「文字をそらんじる」ことよりも、「歌をそらんじる」ことのほうが得意だ(別れた妻は数字をそらんじることが得意だったが、特殊な例だと思う)。「字面だけ眺めていても覚えられない」とか、「節を付けると覚えやすい」、というのは誰にも経験があると思う。

昔覚えた歌を思い出すとき、とりあえず前奏からはじめてフンフン鼻歌を流していると、わりと苦もなくすべての歌詞が思い出せたりもする。


突然ですがここで「摩訶不思議アドベンチャー」(ドラゴンボール主題歌)についてのクイズです。第1問。

「1番の歌詞でぶっ飛ばすのは何?」

……これに、スッと答えられるかどうか。

エッ? 何!? ってなる人も多かろう。歌詞の途中をピンポイントで思い出すのは想像以上に難しい。

けれど、オープニングからちゃんと歌えば、思い出せる。

デンデンデンデケジャラジャン!ジャンジャンジャジャカジャカテッテーレ!(シュワー!)
ジャラジャン!ジャンジャンジャジャカジャカ ツテレッテッテレー! ジャーン!
つっかっもうぜ! ドラゴンボール!(ペッポン)
(中略)
そいつ見ーつけにゆこうぜBOY、
妖怪変化もぶっ飛ばし……


あっ、妖怪変化だ!!


みたいな。



このとき、脳の中には歌詞という文字情報が入っているのだけれど(だって結果的には思い出せたわけだから)、文字を単独で引き出そうと思ってもうまくいかない。ところが、メロディや伴奏、さらにはドラゴンボールのオープニング映像(亀仙人の頭が光っているなど)をまとめて脳内再生すれば、セットで歌詞を思い出す。

記憶装置を外部に付ける(人に覚えていてもらう)のもアツイけれど、自分の搭載している記憶装置をどう再生するかもけっこうアツイ。記憶というのは持ち物であり財産的な側面があって、持っていればいいというものではなく、うまく使わないと「持ち腐れ」になり得るということだ。




ところで、パソコンやスマホのデータストレージを調べてみると、音声ファイルや動画ファイルは、文字情報に比べてだいぶ「重い」。データ容量がかさばる。

スマホのSDカードを高価なものに買い換えて使っている人がたまにいる。何に使うの、と聞くと、「ランニングするとき用の音楽を入れているんだ」と答える。サブスクで聴けばいいのでは? と思うが、走っている最中はWi-Fiが途切れるからギガがもったいないのだろう。

Wi-Fiを介さずに動画や音楽を聴いているとすぐに通信容量を使い切ってしまう。

ところがぼくらの脳は、情報量が少ないはずの文字を覚えることにわりと苦労する。一度覚えたつもりでも、10日も経てば脳内の手帳は濡れた手でこすったかのようにじんでしまう。

歌ならばいつまでも覚えていられるのに。



脳というハードディスクの負担を純粋に考えると、文字のほうが情報が少なくて容量に余裕があるから扱いやすそうだ、と思ってしまう。

でも、蓄積したデータを取り出すにあたっては、多少容量がでかかろうと、「検索でうまくひっかかってくる情報」のほうが便利だ、みたいな話なのかな。脳内の検索システムってどういう仕組みなんだろう。うごきやストーリーを経由したほうが記憶を引っ張り出しやすい理由……。



今日の話を書いていて思ったが、このへん、カンデル神経科学を精読するとヒントがけっこう載っていそうな気もする。あの本、あらためて冒頭から通読してみるとおもしろいかもしれない。

でもこの本、おうちに持って帰るだけで一苦労なんだよな……。


(2020.12.11 市原→西野)