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断端は人生ですか

にしのし


いただいたお手紙を見て、そういえば、と思い付いたことを書きます。

……なーんて、「前置き」を思わず置いてしまいましたけれど、文通とか往復書簡って、そもそもがそういうもんだべな。

ほかでもない「私」に向けて手渡されたものから、インスピレーションをもらって書き始める形式です。だから、「いただいたお手紙を見て、そういえば……と考える」のはいつだってあたりまえです。

要らん前置きだったね。


「前置き」って難しい。ないと収まりが悪いなって感じるけれど、昨今のYouTubeにしてもPodcastにしても、ぐだぐだメタなことを言わずにさっと本題に入るほうが好まれる。ヒット曲だって前奏なしでサビから入ります。

じゃあもう前置きなんてなくていいじゃん! と言いたいところなのですが、前置きなしでしゃべりはじめるにはかなりの技術が要ります。一瞬で人を巻き込む話術や、短時間で人を惹き付ける声質が必要になってくる。動画冒頭の数秒、noteの最初のワンフレーズだけで、通りすがりの人に「これは自分ごとだなあ」と納得してもらうなんて、たいへんなことです。

よっぽど訓練した達人以外は……前置きなしでお互いの物語を寄り添わせることがむずかしい。だらだらとそこまでの過程をたどらないと、相手に伴走してもらえないような気がする。

『ワンピース』が100巻を超えると、もう、新規の読者はそう簡単には獲得できない、みたいな話にも似ているかも。

あっ、となると、長い長い文通企画にも、新規の読者は……?
まあこれはいいや。お手紙だから。


***



”断端”

"だんたん" と入力しても変換されないので,あれっ? と確認してみましたけど,そういえばいわゆる“専門用語”なのでしたね,この語。
手持ちのアプリ版『新明解』『大辞林』にも収載されておらず,ちょっとびっくりしています。

無常の先を行く人に
西野マドカ

うっかりしていました。断端とは、外科医学用語……というか病理学用語なのでした。

本来は「切断したときの、切れ端」をあらわします。

となると、前回のお手紙で私が、走り続けているものの先端、という意味で使ったのは少し違和感があったかもしれません。


先端と断端


このとおり、先端と断端は少し違います。

数年前に読んだ…あれは,仏教漫画(というジャンルがあるのかもわからないですが)ということでいいのだろうか,『お慕い申し上げます』という作品が浮かんできました。
本作の最終巻で,登場人物のひとりが
「わたしは無常の先端を走っているんだ」と語るシーンが出てきます。

『無常の先を行く人に』
西野マドカ

このマンガの中でも、用いられているのは「先端」なんですね。うん、そっちのほうがいい気がする。


ただし、

今の私の脳はあくまで、変成しながらたどり着いた過程の断端にいるだけで、「私が私である理由」というのは、今の私の脳だけを見てもわからないものです。

私は断端だけにはいない
Shin Ichihara/Dr. Yandel

と書いたときの私が、「先端」ではなく「断端」という言葉を選んだことにも、きっと理由はあるのだと思います。


私はきっと、J-POPの歌詞をおつくりになる方々ほど、「未来は誰にもわからない」とは思っていない。

たぶん、遠い未来はわからない、そこには偶然しか転がっていないので本当に予測できないと思うのですけれど、今すでに歩いている真っ最中の足が1秒後に4メートル右に着地するとは思えないし、さっき投げたばかりのボールが10秒後に月に到達するとも思っていない。

未来はわりとわかるよね、と思っている。近い未来は「まだ来ていないだけの現在じゃん」と、ちょっとあきらめていたりもする。

現在から未来の中間みたいなところ。そこはたしかに未達だけれど、うっすらぼんやりとたどり着きつつある。そこには、「どうせこうなるんだろ」というあきらめと、「まだそうなってないけど」という言い訳と、「思ってもいないようないいこと起こらないかな」というちょっとの希望みたいなものが混じり合っている。

で、私はどうやらその、「あきらめとむずむず」とを、切り離そうとしたのではないかと思うのです。無意識に、心の中で。

「実際にはまだ決まっていない、なぜならこれは近未来だから」という部分を、自分のアイデンティティから思い切ってばっさり切り落とす。そして、良くも悪くも確実に積み上げてきた、実の詰まった部分の「断端」の、割面(かつめん≒切り口)をじっくり眺め、「断端より過去側」にあるものの所見を、あらためて丁寧に取る。

そういうことをしていたのではないかと思うのです。



断端といえば。

さきほど、前置きをせず「今だけ」を語ることはむずかしい、という話もしましたけれど、私はどうやら、過去はうまく切り離せないんですね。

過去側の断端の割面を見て、何かわかることもあるのかな。

未来側を切除して断端を観察しつつ、過去側を切除しないというやり方を選んだのはあくまで私のやり方です。「術式」はほかにもいっぱいあるような気がします。



「ぼくはですねえ,"断端は negative! わたし positive!" みたいな陽キャが許せないんですよ…!!」

第100回日本病理学会総会シンポジウム
基調講演『α-AlphaGo 次世代のキシ』

こんなこと言ったかな。言いそう。わかる。昔の俺、なかなかいいことを言う。


(2022.4.1 市原→西野)