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胃が弱いのでカフェ俺にしてください

にしのし

こんにちは。お元気ですか。私は元気です。

先日、出張で大宮に行きました。首都圏に宿泊したのはひさしぶりです。

羽田に降りる前には、毎回、おきまりの緊張を覚えます。きっと札幌より暑くてじめじめしているだろうな、と、少しおののいてしまう。

飛行機のドアが開き、CAさんの横をすり抜けた瞬間に、体の正面から「じっとりとして圧をもった空気のかたまり」を受け止める感覚は、私にとっての「上京」とがっちり結びついているのです。

しかし、今回は違いました。飛行機を降りても空気が軽い。

あれ、こんなものか、と拍子抜けしましたが、すぐにうれしくなりました。

からっと乾いた空気、焼け付かない程度の日差し。なんとも気持ちいい。

二泊分の着替えを入れたトートバッグの重さも気になりません。

足取り軽く、大宮の学会場に直行しました。朝からやっていた学会に午後から入るから、クロークはいっぱい。荷物を持ったまま学会場をうろつく必要があります。でも、べとついていないから平気です。

ソニックシティはスーツ姿の男女であふれていました。三密回避が懐かしい。でも、人いきれもホールの空調から抜けて出ていくような感じです。口演を見て回る間もずっと、なんだか今回の出張はひたすらさわやかでいいなあと、小さな喜びを携帯していました。

教育セッションでの出番を終え、学会場を出ると、外の気温は少しずつ下がろうとしている。

まるで札幌だ、と思いました。夕方に体感温度が下がるなんて!


翌日、そのことをとある先輩医師に告げると、彼女はこう言いました。

「梅雨の直前の時期は、小満(しょうまん)と言って、短い間ですがとても過ごしやすくていい季節なんですよ」

二十四節気がすらっと出てくるの、かっこいいな。



二泊過ごして最終日。めずらしく月曜日の午後まで学会があり、最後のセッションで座長をしなければいけません。学会場を出たのは夕方の4時ころだったかと思います。

そこではじめて、じりっと湿気を感じました。

気温はさほど高くなかったのですが、昨日よりも、あるいは今朝よりも、少しだけ空気が分厚くなっている感じがあった。

ああ、これこれ。これが東京だ。

瞬間的に、私はそう思いました(まあ埼玉なんですが)。

そして、

「いや、これが東京ではないと思うんだけど……」と、すぐに反論もしました。

東京が四六時中じめじめしているわけではない。もっと暑いときもあり、寒いときもあり、からっとしたときもじめっとしたときもある。つい2日前の私も、「小満」を体感したばかりです。経験はアップデートされたはずでした。

それでも、もはや、「私にとっての東京」は、今感じた「じめっ」なのでした。これでようやく東京だなという納得感がありました(まあ大宮なんですけれども)。

私だけの東京。

概念としての東京。

東京のゲシュタルト(私Ver.)。

もはや「真実の東京」とか「東京の本質」からは離れている。

ピュア東京ではない。

「東京4:俺6」くらいの、カフェオレみたいなもの。

それが、私にとっての、東京。


1冊の本を編集するとき,原稿と取っ組み合うように読んでいいのは最初だけ。何度も何度も同じ熱量で読み込んでしまうと,編集者のなかに原稿が「馴染んで」しまって,初めて読む読者の立場からどんどん遠ざかっていく。だから,フィニッシュにむかうときは,なるべく「薄目」で全体を「眺める」ように読む。そうすると,凝視していたときには気づけなかった違和感がパッと目に飛び込んでくる。

流し見の感度,薄目の効用/西野マドカ

あなたのお師匠さんがおっしゃっていたという、これ。

我々は外界を知覚して体感するにあたって、「au lait化」するんでしょう。濃縮された複雑な味わいを持つエスプレッソ的な情報を、そのまま受け入れずに、自分というミルクを混ぜて飲みやすくしてから飲む。



飛行機の機材繰り(なんなんだよこの言葉)が乱れに乱れて、千歳についたのは真夜中でした。近隣のパーキングまでシャトルバスで移動して、自分の車に乗り込みます。ドアを開けて、バタンと閉めて、マスクを取って、ひんやりと乾燥した空気をじかに吸う。ああ札幌に帰ってきたなと思いました(まあ千歳なんですけど)。


2023.6.2 市原→西野