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強拡大ポリモルフィズム

にしのし


「都市部のカタツムリがコンクリートからカルシウムを採っている」と西野マドカがつぶやいた日の翌朝、ぼくは家の外壁に沿って這いつくばって、砂利と壁のハザマに生えるゼニゴケを根起こしで剥がしていた。


参考:「根起こし」https://www.amazon.co.jp/dp/B006K0BM9C/ref=cm_sw_r_tw_dp_2JM8EMG13MPP7FYWTK8H?_encoding=UTF8&psc=1


ゼニゴケは小さい観葉植物のような葉(?)を持っていて、一般的に思い浮かべるコケに比べると多彩で複雑な形状をしている。聞くところによると「ファン」もいるらしい。ゼニゴケのパーカーが販売されている(ググると出てくる)くらいだから本当にいるのだろう。しかし、あの、なんとも形容しがたい穴、本能に訴えかける虚無、手招きするかのような虚空、「銭苔」の名の由来ともなった唐突な幾何学的欠落、あれがだめだ、ぼくはゼニゴケを見るたびに脊髄からこみ上げる気持ち悪さを抑えきれない、とても苦手だ。

ゼニゴケをちまちま剥がす。うっとかひっとか言いながら。家のメンテナンスの中ではおそらくこれが一番いやな作業である。二番目にいやなのは、家の中に出てきた足の長いクモをつぶさないようにティッシュで挟んで外でひらひら捨てるときの力加減を考えること。

ゼニゴケを剥がした痕を見る。

壁のコンクリの下のほうが、少しえぐれている。

雨で浸食されたのか。えぐれていたから水がたまって、通気が悪いからコケが生えたのか。

このときぼくは、西野マドカの手紙を思い出し、「まさか……コケも……コンクリからカルシウムを採っていたのでは?」と、考えこんだ。手が止まった。そしてしゃがんだまま、そういえば……と、意識して、息を止めた。

空気中には億兆のウイルスや細菌、真菌が飛び交っていて、その多くは生物になにも悪さをしない。そして同じように、コケの胞子も間違いなく無数に飛んでいる。ぼくらは毎日それらを吸って吐いている。小さい頃からぼくは何万回もゼニゴケの胞子を吸って吐いて生きてきた。つまりは今さらコケの近くで呼吸をしたからと言って、特段、体に悪いことはない。理屈の上ではそうだ。

ただし、理念が、コケと同じ空気を吸うなとぼくに命じた。



知らないまま過ごしていいことが山のようにある。

世界は解像度を高める必要がない部分ばかりで構成されている。

ぼくらの世界がもし神による3Dゲームであったら、あらゆる物陰に法則を敷き詰めた造物主はさぞかし暇だったんだなと思うところであるが、その努力はともかくとして、神ならぬ我々はあらゆるスキマにピントを合わせる必要がないし、すべてのポリゴンを収集して解析する気力もない。

無秩序に、偶然に、不可抗力的に、瞬間的にごく一部に対する解像度を高めて、またぼやけさせる。思わず口ごもったりしながら。



「もしや、壁を喰うのか。」

ぼくはゼニゴケにたずねた。

ゼニゴケはこちらに円形の開口部を向けて何事か語ろうとした。舌がなく、喉もなく、横隔膜もないので、音にメッセージを託すことはできないようであるが、優れた小説家が作品の中に視覚以外の情報を輻輳的に描写するように、ゼニゴケも音無くしてなお雄弁であった。振動と放熱のパターン、より正確に言えば胞子力学的な波動によって、意図を直接脳内にぶち込んでくる。

「喰わねぇよ笑」

「そうか笑」

ぼくは小刻みに震えながら、時間をかけて、残りのゼニゴケを根絶やしにして、グリホサートカリウム塩を壁の溝に振りかけた。

むしりとったゼニゴケをビニール袋に入れ、次の「木・枝・草ごみ」の日まで庭に置いておく。

ビニールの袋をゆるく縛る前に中の空気を押し出した。

袋の口から、数兆個の胞子が世界に散っていった。ぼくはその一部を勢いよく吸い込んで、吐き出した。



(2021.6.4 市原→西野)