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借用バハムート

にしのさん

このお手紙を書き始めたのは2月末です。まだ2月です。しかし本土はもうすっかり春めいているようですね。前妻からは桜らしき花の写真が届き、現妻の親戚からは梅の便りをいただきました。

ちなみに札幌は、そうですね、明日か明後日には気温がプラスになるのではないか、という予想を聞いておりますが、えー、昨日の朝などは、公道の除雪によって脇に寄せられた雪の小山をむりやり車で乗り越えようとした際に、車の腹のあたりから、今年何度目かという「ガリッ」を聞きました。冬が春をノックする音ですね(不在票を入れて立ち去る)。


雪を踏まずに年度を跨ぐのは,もしかしたら生まれて初めてのことかもしれません。

なんだか締まらない,ぼんやりとした年度末だなあ……と,逃げていく2月を横目に,いかに自分が「年単位の繰り返し」に精神的な安定を得ていたかに気づかされ,少し驚いてもいます。

この感覚は本当にわかります。もっとも、くり返していたはずのものが少しずつ変容していたことに、振り返ってみてはっと気づく、なんてこともしょっちゅうあるわけですが。



『火の鳥・復活編』は,主人公が交通事故にあい,奇跡的に命は助かったけれど,モノの見え方が事故前とは劇的に変わってしまったところから始まるのでしたね。

あの作品を読んだのは小学校低学年の頃だったでしょうか。

読後しばらく,何かうつくしいものが目に入るたび「ああ,でもこのうつくしいものは,だれかに見えているものと まったく同じではないかもしれないのか……それは なんて さびしいことだろう……」とメソメソしていたことを覚えています(火の鳥シリーズはどれもトラウマにも似た強烈な何かを残しますね)。


脳科学がそれとなく教えてくれる「見る」「見える」についての話は、おそらく、ぼくと西野マドカとがこの長い連載の中でいつも気にしている話題であり、ぼくらの相異なる脳をつなぐ接点のひとつではないかと思える。


ぼくらは何を(what)知覚しているのか、ということが気になる。そして、同時に、あるいはそれ以上に、どのように(how)知覚しているのかも興味深いし、さらに言うと、(why)を突き詰めたい気持ちが強い。


エリック・R・カンデル『芸術・無意識・脳: 精神の深淵へ 世紀末ウィーンから現代まで』(九夏社)。

ラマチャンドランの『脳の中の幽霊』(角川文庫)。

郡司ペギオ幸夫『やってくる』(医学書院)。

最近でいうと星野概念氏の単著『ないようである、かもしれない』(ミシマ社)の中にも。

ああ、再三出てくる、『文学を<凝視>する』(岩波書店)も、あるいはそうなのかな。



そうやって、少しずつ本の力を借りながら、見る・見えるに関するやりとりを続けてきた中で、今回、『火の鳥』が出てきたことにぼくはちょっと感動した。

ああ、そうか。火の鳥か。

そうだよな。『火の鳥』は、見えないものが見えるようになる話であり、それまで疑いもせずに見ていたものの見え方が少しずつ変わっていくという話だもんなあ。




最近のぼくは、「世界の解像度を高めたい」という内容の文章を、よく書いている。ロングショットとズームアップを程良く切り替えて、俯瞰・広角も接写・拡大も両方用いて、世の中をどこまでもよく「見る」ということ。

そのほうがいいだろう、誰もが納得するだろう、目指していいものだろう、というノリだ。

でも、今は、急速に、「よく見えないままにしておく」ことへの興味が高まってきている。

「よく見えない状態」の、何に(what)惹かれるのか? どのように(how)惹かれるのか? なぜ(why)惹かれるのか?

西野が書いてくれた手紙からふと思い付いたこと、おそらく、ぼくらは「よく見えないなあ」というとき(when)に、自分が連結している何か……それは”信頼”している他者かもしれないし、あるいは、”衝突”している他者かもしれない、とにかく、自分以外のナニモノカの視覚、知覚、違う視座からの解析結果、他者の心に何が映っているのかということ、そういったものを「借りて見て」、自分だけではよく見えなかったものを脳内の仮想世界に召喚しようとするのではないか。


となると、自分が「よく見えないなあ」のときは、仮想世界を拡充するチャンスなのだ。よく見ようとするばかりではなく(よく見ようともするのだけれど)、いっそ知覚の素材を他者に借りてしまう。

「いい夢見させてもらったぜ」的なものか。これは違うか。



したがって、「んなこと言ってねえ! 」もまた、今のぼくには、思いもよらなかった展開に対する歓喜の雄叫びに思える。

見て、書いて、渡して、驚く。目を細めて、見開いて、立ち位置をずらして、また見る。幸いまだ、人間が「カクカクのロボ的シルエット」には見えていない。幸運なことだ。今のうちに。召喚魔法を手に入れる。


(2021.3.5 市原→西野)