お医しゃさんごっこ///

 PM11:45。日付けをまたぐ少し前の時間帯。ここは地方都市の総合病院。白衣姿の男性が外来受付の並ぶ廊下を歩いている。各科の外来は防犯のためであろう橙色のダウンライトによって厳かに照らされている。真夜中の病院は昼間の騒がしさがなく、病院がもつ特有の気怠い雰囲気も和らいでいる。男性は裸足にサンダルを突っかけている。医療用ではなく、近所のスーパーマーケットで取り扱っているようなありきたりな性能のものだ。夜勤帯の医者なんてどんな格好をしていようが誰に咎められることもない。安物のラバーソールがリノリウムの床から離れるときに微かな音が鳴り響いている。
 男性は医者ではない。コメディカルでもない。病院の職員ですらない。彼は近所に住む大学生だ。専攻は薬学。これは彼の遊びなのだ。医者のふりをして病院に潜入し可愛い看護師さんと知り合いたいという、なんとも阿呆うな遊びである。夜中の散歩が趣味の彼は無目的に歩くことに飽き、あわよくばの出会いを期待しつつ病院内を散歩しているのだった。
 
 「先生ぇ、お疲れさまです」急に声をかけられ彼は振り向く。ワンピースタイプの白いナース服を着た女性が微笑んでいる。若く見える。美人でありアイドルのような可愛さもある。まさか本当に出会えると彼は思っていなかった。
「・・・何をなさってるんですかあ?」
「いえ、実は来月からこの病院で研修をさせて頂くもので、少し早いですが見学も兼ねて病院内を散策していました」咄嗟にでまかせを言った。
「どおりで見たことない先生だと思ったわぁ。ねえ先生ぇ、専門はなんですの?」
「し、神経内科です」今日の講義がパーキンソン病だったのだ。
「へー、内科なんだぁ」
「き、君は看護師さん、ですか?」
「そうでーす。今夜は暇な夜勤で。休憩がてらに飲み物買いに来たんだよお。一階の自販機にしか売ってないミルクティーが飲みたくて♡」
彼は気が気ではなかった。めちゃくちゃ可愛い看護師さんが目の前にいる。まさに千載一遇のチャンス。LINEだけでも交換せねば。
「ミルクティーご馳走しますよ。その代わりこの病院のこと教えてくれませんか。裏ルールみたいなのあるんでしょう?」
「わーい。頂きまーす。裏ルール?何それぇ」
 
 彼がLINEのIDを聞こうとした時、彼女は「そろそろ行かなくちゃ」と言って病棟へ行ってしまった。今日は惜しかったなー。でもこの病院にはあんなに可愛い看護師さんがいるってわかっただけでも大収穫だな。もしまた会えたらもう少し気さくにデートに誘うんだ。よし、帰って寝るか。

 病棟は三階より上の階にある。そのため病棟へはエレベーターで行くのが通常だ。ワンピースタイプのナース服を着た彼女はエレベーターホールでミルクティーを飲んでいる。
 落ち着け、落ち着け。そう心で叫んだ。彼女は看護師ではない。これは彼女の遊びなのだ。コスプレがしたいという彼女の遊び。しかしただコスプレをするだけでは満たされなくなっていた彼女はコスプレして人を騙してみようと思いたったのである。今日はナースの気分だったので可愛いナース服に身を包み真夜中の病院へ紛れ込む。薬学部の学生である彼女には多少の医療知識はあった。上手く演技出来るといいな。そう思っていた矢先、白衣の男性を見つけた。
 「先生ぇ、お疲れさまです」
彼が振り向く。嘘っ、何このイケメン。めちゃくちゃタイプ。
「何をなさってるんですかあ?」
ちょっとぶりっ子してしまった。
「いえ、実は来月からこの病院で研修をさせて頂くもので、少し早いですが見学も兼ねて病院内を散策していました」
ははああん。このイケメン、病院の人じゃないわね。研修医が研修先を夜中に散策するなんて、ドラマでもあり得ない設定だわよ。
「どおりで見たことない先生だと思ったわぁ。ねえ先生ぇ、専門はなんですの?」揺さぶるわよ。
「し、神経内科です」
「へー、内科なんだぁ」渋いとこつくわね。このイケメンも医療の知識が多少はあるのかも。
「き、君は看護師さん、ですか?」
私のコスプレ演技はバレてなさそうね。やったー。
「そうでーす。今夜は暇な夜勤で。休憩がてらに飲み物買いに来たんだよお。一階の自販機にしか売ってないミルクティーが飲みたくて♡」そんなのあるか知らんけど。
「ミルクティーご馳走しますよ。その代わりこの病院のこと教えてくれませんか。裏ルールみたいなのあるんでしょう?」
えええぇぇ!これ、脈あるんじゃなーーーい!?
「わーい。頂きまーす。裏ルール?何それぇ」

 はああ。ほんとはLINE交換したかったの。でも会って初めての人と連絡先交換したら軽く見られちゃう気がして逃げてきちゃった。グスン。
 でもあの人が私の運命の人ならまた何処かで会えるはず。あのイケメン、忍び込むのが趣味だと思うから今度は私のゼミの研究室にでも来てくれないかしらー。

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