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広島駅で被爆した女の子

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15歳の夏、ノブコは広島駅で列車の中にいた。突然の衝撃に、気がつけば床に倒れていた。ノブコはそれから数日間、原子爆弾の落ちた広島を歩いてお祖母さんをさがしにいく。一人の女の子の目…
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#被曝

〜ある女の子の被爆体験記3/50~       現代の医師として広島駅で被爆した伯母の…

原爆投下直後の証言原爆はまず、100万分の1秒の間に大量の放射線を撒き、 熱線(2000度)が高…

Dr.Soko
4年前
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調来助先生、長崎で被曝した外科医、父親                  〜ある…

調来助(しらべ らいすけ)先生は、長崎医科大学の第一外科教授でした。そして、5人の子供の…

Dr.Soko
4年前
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~ある女の子の被爆体験記19/50~   現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録 “救…

救護を待つ列、配給、罹災証明 赤い十字のマークが書かれたテントの前に並ぶケガ人の列の最後…

Dr.Soko
4年前
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~ある女の子の被爆体験記25/50~ 現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。”…

(8月6日に広島駅の列車の中で被曝したノブコは、最後の列車に乗ってくれについた。しかし、一…

Dr.Soko
4年前
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~ある女の子の被爆体験記26/50~ 現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。”…

再び、おばあちゃんを探しに8月9日の朝、再び広島のおばあちゃんの家を目指して、ノブコは歩き…

Dr.Soko
4年前
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~ある女の子の被爆体験記27/50~ 現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。“…

(ノブコは、8月6日に広島駅の列車の中で被曝した。ほとんど傷を負うこともなく、そのまま列…

Dr.Soko
4年前
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~ある女の子の被爆体験記28/50~ 現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。“世界にある核兵器の数はいくつ?"

戦後の被爆者の苦悩ノブコの話はこれおしまいではない、75年経った今も続いている。ノブコは今は90歳だ。 戦後は、被爆者が生きることは難しい年月だった。被爆者自身の心の中に、“自分はいつ病気になって死ぬかも分からない”という不安を抱いて生きなくてはならなかった。 子供ができないから、被爆者は結婚できない、と、世間一般の噂が暗黙の常識のように長年続いた。 やけどの傷を受けた人々はもちろん、けがの無い人も白血病や、癌と戦わなくてはならなかった。 原爆から数年後、東京に移り住