Neo Ground Design vol.1 新約 The A はじめに言葉ありき
第2輪 (破) 風の巻
前章である第1輪(序)地の巻では、過去数百年の歴史的流れから、近代先進システムにおける因果応報な帰結を眺め、今現在から近未来を見据えた、地球環境におけるマクロな視点の答えが、ミクロである己の記憶の奥に秘めたる本能=直感にある事に目覚め、更なる進化の境地に個が至る過程を、ひとつのビジョンとして描きました。
第1輪(序)地の巻▼
https://note.com/drowsydrows/n/nd1d7be3e62b6
そこで本章第2輪(破)風の巻では、自ら個の時間を原初まで遡り、その記憶=功罪経験の中から、知恵の実の種となり得る欠片を拾い集め、赤裸々に世に晒し、未来を担う者への転ばぬ先の道導となるよう、ひとつひとつ置き石しながら、更にはその果てに、新世界予見/Neo Ground Designを、現在進行形で紐解いていきたいと思っています。
なお、ここに記された事象は、あくまで私見による記憶であり、信じる者が救われるのか?疑う者が生き残れるのか?はたまた毒となるのか?薬となるのか?老師となるのか?反面教師となるのか?その全ては、あなたの解釈や選択によるものであり、大事なのは?読後の心象=心に何が宿ったか?にあります。それこそが、あなただけの真実である事を前もってお伝えしておきます。
There are no facts, only interpretations.
-Friedrich Wilhelm Nietzsche
事実というものは存在しない。
存在するのは解釈だけである。
-ニーチェ
prologue :: 初めての記憶
白い壁と優しい微笑みをたたえるマリア像。
古びたレンガに針葉樹と月。
グレーの衣を身に纏う老齢なシスター達。
優しさと厳しさが混在する看護と慈愛。
鏡に映ってるのに振り返ると居ない育ての父。
怒る事ができない育ての母。
力任せに嫉妬をぶつける大きくて目の弱い兄。
嘘つきな僕は何をしても褒められた。
まつ毛が長いからよく女の子に間違われた。
幼心にそれが少し嫌だった。
新宿区の片隅にあった広めの家。
籠に入れられた2匹の小鳥。
隣のガレージにはBMWが停まってた。
洋服ダンスには毛皮のコートが並んでいた。
今で言うベビーシッターやナニー代わりだった近所のアパートに住んでいたお婆さんは、いつも着物姿で左腕が無かった。
戦争で失くしたって言ってた。
ある時、無邪気に子供心で「 バァバ 手はどうなってるの? 」って聞いたら、普段は底抜けに明るいお婆さんが、珍しく神妙な顔をして、何かにぎゅっと縛られたような痕を残し、肩の下からなくなっていた腕を見せてくれた。
僕は言葉を失った。
お母さんには内緒だよって言われた。
70年代後半から80年代に巡りゆく日本列島
TVではお笑い番組が人気だった。
僕はヒーロー戦隊モノが好きで良く真似事をしていた。
そこにはわかりやすい平和があった。
浮世は高度成長期からバブル景気に向かい、無我夢中、無責任にひた走り、NTTの株価でひと儲けとか、大人達は浮き足だっていた。
型にはまったパーツを接着剤でくっつけたプラモデルのような「一億総中流スペクタクル」に、まだ色はあまり塗られていなかった。
僕の手にはガンダムの超合金。
洋服は兄のお下がり。
玄関先に座って空を眺めるのが好きだった。
真夏でもそんなに暑くはなかった。
幼な足で30分ほど歩いて通った私立幼稚園にも小さな教会があった。
教会の中を覗いてみたら、暗がりの奥の壁に、十字架に張りつけられたキリスト像があった。
痩せこけ苦しみに絶える死に姿が怖かった。
だから皆が通ってた日曜教会には行かなかった。
目が大きくて優しい顔をした仲良しの女の子は、説教ばっかりする牧師さんが少し怖いから、日曜教会には行きたくないと言っていた。
親同士も仲が良かったその子を僕は好きだった。
その子も僕を好きでいてくれた。
マセガキだった僕は、その子とキスをするのが好きだった。
なんとも言えない幸せな気持ちになれたから。
僕は親に将来その子と結婚すると言っていた。
でも、その夢は叶わなかった。
卒園式では皆に1冊の本が配られた。
白い雲が漂う青空の写真が施された表紙には
「 新約聖書 」と書かれていた。
パラパラめくってみたら、カタカナの古びた名前や、堅苦しい言葉がずらっと並んでいて、絵がほとんどなかったから、あまり読まないで閉じた。
これは僕の中に残る記憶の残滓。
思い出とは?うっすら色あせた写真の様に、その時、その場面の感情を苗床に、自分目線で脚本された映画みたいなものだ。
これはそんな僕とオレと私の物語。
chapter 1 :: 東京の歩きかた
僕が小学校にあがる頃、家を引っ越すことになった。
それまで兄は徒歩10分圏内の区立小学校に通っていたけど、引っ越してからの僕らは、毎朝50〜60分かけて、かつての十三間道路 通称 新目白通りをてくてく歩き、区域をひと跨ぎ越境しながら通った。
小学校では公立保育園あがりと私立幼稚園あがりが、混ざり合いながら凌ぎをけずっていた。
そのうち、昭和のマンガみたいにわかりやすく、1番身体の大きな同級生をボスとしたチームが出来上がった。
そのボスの兄と僕の兄が同級生で友達だったから、お互いなんとなく親近感があって、僕は基本的に恵まれた立ち位置で毎日を過ごせた。
次第に幼稚園の時の友達とは疎遠になっていった。
高学年へと成長していくにつれ、歳上チームとの昼休み校庭縄張り抗争が勃発した。
僕らは人数もいたし、ボスの身体がとびきり大きくて強かったから、歳上チームにも負けなかった。
みんな給食のカレーとミートソーススパゲッティが大好きだった。
油絵の習い事をさせてもらい、絵に自信があった僕は「働く消防の絵」で賞をとり、新宿駅東口に隣接する駅ビル「 MYCITY 」に飾られた。
習い事は他にも剣道をやっていた。真冬早朝の冷えきった道場の床が、幼い子供の裸足には少し痛かった。
運動会では開会の言葉を全校生徒の前でスタンドマイクから叫んだ。緊張と興奮と達成感が入り乱れる不思議な感覚を味わった。
僕は勉強も体育も比較的良くできた。
水槽で飼われた生き物にエサをやるだけの飼育係は楽だった。
そんな、なんとなく過ぎてゆく変わりばえのない毎日が、退屈で楽しかった。
同じ環境に6年間通い続けるのは長過ぎだと思った。
それでも、幼稚園の時からずっと好きだった例の女の子が近くに居たから、僕の心は満たされていた。
その子の苗字に似てたから「 宇宙 」て言葉が好きになった。
世間はまだ穏やかな平和に包まれていた。
※ここから先は、ある個人の赤裸々な人生の切り売りとなりますので、それ相応の覚悟=対価を払う者だけに進入を許可するゾーンとさせていただきます。
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優しさは美徳が育つ太陽光である。 Kindness is the sunshine in which virtue grows.