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答えは自分の中にある-You already know the anSWer.

書くことで頭の中のモヤモヤが整理される。そんな思考のアウトプット日々のプラクティス。Twitterだと長文書き難いからnoteに脳のバックドアを開いてみた。将来的に爺様になれたら?文章をライフワークにする時が来るかもねーなんて想像を膨らましつつタイムラインに流れてきた問いに対する自分なりの答えを気まぐれに書き殴ってみた。

Like a 詰将棋感覚&出稽古な気分で。

先ずはテストフライト。今回は「ビジネスとは?」とゆるい頭で久々に考えてみた。

第1輪 (序) 地の巻

ざっと歴史を眺めてみると産業革命が分岐点かな?産業革命(Industrial Revolution)とは、18世紀半ばから19世紀にかけて起こった一連の産業の変革と、それに伴う社会構造の変革のことであるとwikiに記されている。

それを可視化したわかりやすい例として記憶に新しいのが2012年ロンドンオリンピックの開会式だ。

牧歌的で長閑な緑あふれる農村風景に突如シルクハットを被ったスーツ姿の紳士達が沢山の労働者を引き連れて登場してきたと思ったらドス黒い煙を吐き出す煙突が何本も何本も丘から生えてきて大地が灰色に染まっていく。

そんな光景を見て何故か?宮崎駿監督のアニメ「天空の城ラピュタ」に出てくるムスカ大佐を思い起こした。「あっはっは、見ろ人がゴミのようだ!!はっはっはっは・・・。」とのたまうムスカさん。生殺与奪な権力を握る特権階級が故の驕りと蔑みに満ち満ちたセリフだ。いやー思いっきり振り切った嫌われ役ご苦労様です。

個人的な認識としては、そんな18世紀半ばから始まった産業革命以降、先進国では技術革新、工業化が進み、莫大な利益を生み出しながら特権階級が更に浮世に君臨&支配する様になっていったとゆー流れかなと。まーざっくり言うとな感じだけど。

で、その後、特に20世紀のビジネスは利権の確保がゴールとなり、その為に必要な力=資本&特権&武力/軍需産業が究極の矛となり、逆に死や倒産などのリスクに対する医療や保険が盾になるバランスとかかな?その隙間に製造、流通、小売など様々な生活レベルでのビジネスがライフラインに寄り添って循環してるみたいな感じ。ま、微妙に合ってるか?わからないけど、ざっくり間違ってはないはず。そんな歴史の流れの中で人類の進歩を証明するような発明が何十万人の命を奪う事もあった。

それは増えすぎた人類のカニバリズム=共喰い的な自然の摂理だったのかもしれない。青年期に読んだ「寄生獣」て漫画や昨今だと「東京喰種」とかで描かれた世界観は人類が持つどう猛な欲による捕食、略奪、利害関係、思想な部分を心を抉るように教えてくれた。今でもたまに読むけど不朽の名作だと思います。

本来、人間の営みにおける需要を満たすのが商いだとして、先進国的ビジネスとは?莫大な利益を追求することにより、多くの搾取される側=奴隷的な立場の存在が必要となる大規模プラントシステムの事だ。これが産業革命以降の先進国と後進国の関係性を巡るひとつの真実であり、光の当たるブルジョアな生活からは見えにくい場所すなわち陰に奴隷労働者な貧困が広がっていた。それがこの世界の現実でありビジネスの真実でもあった。

そんな世界の真実を目の当たりにした時、結局ビジネスでは人は幸せになれないんじゃないかな?と思った。正直、現代社会を生きていく上で人生を謳歌する為にお金は凄く大事だ。でも、そのお金を稼ぐ為に幸せを犠牲にするなら?本末転倒だと思う。 貧困から目をそらしブルジョアに酔って一生を終えられるなら?それはそれで幸せかもしれないけど。

でも世界のどこかに貧困による不幸があり、その上にブルジョアジーな幸せが成り立ってるとしたら?そのしっぺ返しは必ず大きな波として還ってくる。人生を半分以上生きてると意外とモーメントの大体が最終的にトントンに集約されていく事に気がつく。

この宇宙がひとつのビッグバンから膨張を続け、飽和分岐点を経て収縮していくように。ま、全ては推測でしかないけど。、とにかく時はぐるぐる廻っているんだよね。少しずつ変化しながら。うん。少し話しが大きくなり過ぎたね。、視点を人類の営みに戻してみよう。、

時代の流れの中で運良く膨張期に生まれブルジョアで逃げ切れる世代もいる。だけど、そのツケは次の世代、またその次の世代へと引き継がれていく。

産業革命以降、特に20世紀に人類が進んだ道は未だ計り知れないツケを地球上に遺している。食べきれない食料を無残に捨てながら、見えにくいところに貧困を広げながら、莫大な利益が一部の特権階級に集まっていった。

そして人類の歴史は21世紀に突入した。

その矢先に世界中に伝えられた光景が911だ。バベルの塔からもくもくと黙々と上がる煙。冒頭で書いた産業革命により緑の大地に突如現れた煙突が約数世紀を経て、肥大化した灰色のコンクリートジャングルにて進化し、その象徴的であったワールドトレードセンター(World Trade Center, WTC)から立ち上った命の黒煙は人類の因果応報な輪廻を体現していた。

東京新宿生まれな私は昔から高層ビル群の夜景が好きだった。真っ暗闇にそびえ立つ黒鉄の城。沢山の赤いランプ(低光度赤色航空障害灯)がそこらに群れをなして点滅してる。

そんな光景を見ながら、ふと、王蟲(風の谷のナウシカ)が大群で怒って迫ってくるシーンてこんな様子なのかもと思ってた。

さらに言えば、昼間の高層ビル群を眺めながら

よくよく考えると、これ人類が滅んだら?ただのバカでかい墓石だなと思ったこともある。なぜそんな想像が頭に浮かぶのだろうか?

21世紀も早20年が経とうとしてる。

はじめの10年はそんな911からの動乱期。俗に言うテロとの戦争期だった。ただ、20世紀的利権争奪戦な戦争ビジネスとはひと味違い、長きに渡る勝者なき、戦いに突入し、疲弊し、更にリーマンショックなどの様々な余波もあり、尚且つ、イスラム国みたいな闇組織が世界に蔓延するといったネガティブな部分が目立つ結果を見た。その流れは未だに世界各地の紛争に繋がっている。

それを一方から人道的に見ればアメリカおよび国連軍がワクチン側でイスラム国的なテロ集団がウィルス側での「いたちごっこ」に見える。でも果たして地球にとっては?どちらがウィルスなんだろうか?どちらかといえば、人類というウィルスに対して白血球と赤血球な役割が地表で蠢きのたうちまわってる様に見えなくもない。

そんな戦争すったもんだ、人道なんだかんだ、責任あーだこーだを経て、先進国(戦勝国)は各々の取り分が少なくなりハイリスクローリターンとなった21世紀における20世紀的戦争バブルビジネスの崩壊を噛み締めながら、徐々に自国内外の統治バランスが危うくなり、そこらかしこで、きな臭い火種が燻り、新しい時代のうねりが同時多発に現れ、かつての覇者すらリアルとフェイクの狭間で足元がぐらぐらゆらゆら揺らいでる。

さらに昨今は特に世界的な気候変動が顕著に現れてきた。各地で連動的に起こる天変地異や大規模災害。地球が人類をふるいにかけてる様にしか思えない。正にウィルスに侵された身体が熱を帯びるのと同じように各地で温暖化いや灼熱化が進んでいる。

ここまで顕著に現れてきた事象を目の当たりにして、みんなちゃんと気がついているのだろうか?正に今とは?地球および人類の飽和分岐点=変革期なんだと。なんとなく気がついてる人、なんとなく今までが続くと思ってる人、そんなんどーでも良いと否定する人、受け取り方は自由様々。でも、結局、未だ皆が地球の重力に縛られ地上で暮らすと言うのが人類の現実だ。

正直なところ、今までの旧20世紀的なスタイルや公式、メソッドで今まで以上の繁栄/膨張はないと思う。つーか、維持すら出来ないと思う。ジリ貧も良いとこで下手したら人類餓死ぐらいまで時代が切迫し突き進む可能性もあるだろうね。これは安全な高みから世界を上から目線で俯瞰するだけでなく、ちゃんと底辺から見上げる視点も学べば理解出来る事だ。

そう、たった今は20世紀的な文化が約20年かけてやっとフェードアウトした結果、今までの価値観がまったく新しい価値観にフェードイン=変わりゆくタイミング、すなわち21世紀的文化のインタールードがやっと本流に乗りAメロが聴こえてくるタイミングってこと。宇宙視点DJミックス的に言えば。

しかも天候変動による大荒れなハリケーンの中のステージに人類は立たされてる。そこでマイクを持つフロントマンがいたのなら?さあ何を叫ぼうか!って感じだね。

そんな20世紀から21世紀にかけての大きな流れの中で、運良く恵まれた場所、世代で末期まで生ききれそうな人は、古き良きが長かった分、たった今という時代を認知、理解し難いかもしれないけど、かつての良い人、悪い人な「至極単純」な善と悪、わかりやすい二元論的線引きが変革期/動乱期の流動的カオスにおいて、もはや在って無いようなモノになってる。

ま、元々、綺麗事という包装紙で見えなくされていた人類の性=ビジネスの本質があからさまになってきただけで、ぶっちゃけ、善も悪も罪も罰も実は人類が造り上げた一大スペクタクルだったんだよね。

何十万年経っても結局は人類の本性は獣であり常に光と陰は表裏一体である。その本性を隠し上手に綺麗に見せる為に国家や企業はメディア戦略を駆使する。安全で便利な暮らしがそこにあるとサブリミナル効果でお花畑な夢を見せる。でも、その安全や便利の裏で、誰かが必死に血や汗を流しながら歯車を回してたり、時限爆弾のようなリスクを騙し騙し先延ばしにしながら、既に人類は崖っぷちにまで来てたりして。

特に日の当たらぬ陰/裏の世界は混沌とした闇に覆われ続け、法治は届かず、圧倒的な力のみによる支配で統制され、黒も簡単に白となる不条理が基本設定だったりして。かつてはスペクタクル構造により、そんな陰の世界=臭いものに蓋が出来たけど、新たなフロンティア、インターネット世界の普及により、もはや魔封波は解け、そこら中に顔の見えないツノや尻尾の生えた獣な輩が闊歩するようになった。

匿名、覆面、分身の術やボットが生息可能なネットワーク上の世界ではフェイクもリアルも黒も白も善も悪も一緒くたで分別も可視化も難しい。そんなカオスな世界に迷える子羊たちを放り込めば、自ずと無国籍で狡猾な狼に追われ、自分でも気がつかぬうちに黒い羊と化けていく。ミイラ取りがミイラにと加速度的に黒い羊は増えていく。

そうなると、もはや今までの善とか悪とか普通や常識とかがあっさり壊れる。さらに黒い羊達は独善的バイアスの内で黒き普通や常識を造り上げ、さも当たり前の常識のように語り垂れ流す。その数が一定数を満たした時、善も悪も白も黒も逆転したり、ぐるぐるぐちゃぐちゃに混ざり合って究極のカオスが形成される。

それが変革期の準備段階。

先ずはバーチャルな世界で前世界的な価値観が崩れ、ドス黒い欲望という名の思念が混ざり合い、限りなく黒に近い精神的ソースの海となる。しかも、それは人間が持つ元々の本質でもあったりして。要は建前な白き羊の化けの皮が剥がされ、仮面をつけてた黒き獣の本性があぶり出され、結局、科学技術/テクノロジーだけが進歩しただけで人類全体の知性や本性、精神性はあまり変わらず、地球がただ風邪を引いただけで、また軽く振り出しに戻る的なフェーズ。

そんな21世紀初頭、人類史上未曾有なカオスの時代の荒海に我々は現在進行形で航海/後悔をしている。果たしてその先に栄えある未来はあるのだろうか?その為には何を基準にどこを目指して舵をとれば良いのだろうか?

そんな事を考えていたら、ふと、かつて見た映画「マトリックス」のワンシーンが脳内でデジャヴの如くリフレインした。

マトリックスの作中で救世主たる主人公ネオの導き手であり、後に自身の愛でネオを蘇生させるトリニティ=三位一体なる神の名を持つヒロインは

「その疑問があなたをここに導いた。疑問は分かってるわね。私が分かっていたように」

「実は答えはここにあるのよ。答えはあなたを探してる。あなたが求めれば、答えは見つかるわ」

と言っていた。

そんなシーンがうっすらと記憶に蘇った瞬間、脳天に稲妻が落ちた⚡️⚡️

そうだ。その答えは自分の中にある!

-You already know the anSWer-

私は既に答えを知っていたのだった。

私自身がその答えだったのだ。

それなら、ここからはしばし、自らの記憶を巡る旅をしながら、その経験値から紐解き、たった今から近未来へのビジネス観、引いては21世紀的な生き方や価値観の方向性を導いてみようと思った。

第1輪 (序)地の巻 了

次巻  第2輪 (破) 風の巻に続く。




 

優しさは美徳が育つ太陽光である。 Kindness is the sunshine in which virtue grows.