ボトルメール

1

気がつくと、そこは辺り一面が砂浜であった。
波がまるで生きているかのように鳴いている。
そこは紛れもなく、自分が生まれ育った町にある小さな海水浴場だった。
一体、何年ぶりだろうか?久しぶりに見たせいだろうか?
見慣れた海もたいそう美しく見える。
海に入るにはまだ早いが、海辺の散歩にはちょうど良いぐらいの気温である。自分は半袖を着ていて、そこから見える皮膚は若かった頃のように小麦色の光沢をまとっている。試しに砂浜を全力で駆け抜けてみる。そうすると足裏がはねるように、砂を踏みつけぐんぐんと前に進んだ。
しばらくそうしていると息が切れて、砂の上に大の字で寝転んだ。

「よっ。久しぶりだな道斗。」

見覚えのある顔が大の字に寝る自分を覗き込んだ。
声をかけてきたのは60年前に津波で死んだはずの風汰であった。

2

「道斗本当に久しぶりだなー!長生きしやがって。ずいぶん待ったよ。」

風汰は砂の上に腰を下ろしながらそう声をかけた。

「おいおい。俺死んだのか?つまりここはあの世か?」

「あはは。そうだよ。このへんで生まれた奴はみんなどこに住んでいようと、死ぬとこの砂浜に戻ってくるんだ。」

「よく分からないな。ははは。じゃあ他の奴はどこに行ったんだ?大勢死んでいるはずだが。」

「みんなお母さんのお腹の中に帰ったよ。死後の世界は母親のお腹の中って話聞いたことないか?それは半分正解だ。死んでから海の近くて生まれた人間は一旦、ここに移動させらせる。その後みんなはここから生前の実家まで歩いていくんだ。実家についた瞬間、また母親の腹の中から人生がスタートするんだ。」

「じゃあ風汰はもう一度、津波で死ぬ人生を送りたくなくてここに残っているわけか。」

「ははは。あくまでもう一度、同じ両親、同じふるさとで人生が始まるってだけの話さ。出会う人も、出来事も全然違うさ。だから次死ぬのはお前かもな。」

「あはは。そうかもな。じゃあなんでここに残ってるのさ。」

「そりゃ俺だって最初は、みんなのまねして実家に向かったよ。でも自分だけはどう頑張っても実家に帰ることはできなかった。理由はすぐに分かった。母親がまだ生きていたからだ。」

「そうか。長い時間ここにいたんだな。3年前ほどに亡くなったって噂で聞いたけど、あれ?別の人だったか。」

「いーや。本当さ母は3年前に死んだ。だがもうじきお前もここに来るだろうと思って待ってみた。」

「おいおい。俺のためだけに3年も砂浜で待ったってことか。」

「あはは。なーに。いつも一緒だったろうが。」

確かに定期的に誰かはここにやってくるだろう。でもほとんどがすぐに実家に向かって歩いていったに違いない。確かに風汰とはいつも一緒だった。家が隣で幼少期から仲が良かった。学校に行くにしても、海に遊びに行くにしても隣には風汰がいた。しかし、そんなことなんてもう思い出すこともしなくなっていた。申し訳なさで言葉が出なかった。

「それにさあ。こっちには面白い暇つぶしがあるんだぜ。ほら。いくよ。」

僕は風汰につられて、砂浜を走った。

3

「先生たちがこのへんにいらない書類とか文具とかをこのへんに捨ててたのを覚えてるか」

「あー。確かに。一緒に埋めにいったなー。みんなで」

「この辺を掘るとね。ほら!じゃじゃーん。」

風汰はボールペンを持って得意げな顔をした。

「宝探しで暇をつぶしてたのか?」

「あはは。いーや。もっと面白いよ。」

風汰は同じように、何かの裏紙をみつけおもむろに何かを書き始めた。

そして、それを得意げに自分に見せた。

”陽奈へ。あの頃告白していたら、どうなっていましたか?”

「あはは。なつかしいなあ。風汰だけじゃなくて、みんなが陽奈のこと好きだったよなあ。陽奈とは卒業してからそれっきりだ。」

風汰は落ちていた空き瓶を拾い、その中に紙を入れ、栓をしめるとそれを海に向かって投げた。

「ボトルメールかあ。でも本当に遠くになげないとすぐに波で戻ってくるんだよなあ。。ほら。もう戻ってくるよ。」

「ほら!拾いに行くよ!」

「おいおい。じゃあなんで投げたのさ。」

風汰は足首まで海水に2人ながら、先ほどの空き瓶を拾い、栓をあけて紙をもう一度自分に見せた。

”どうして早く告白してくれなかったの?あなたが生きていればどんな大人になったかをたまにふと考えます。”

「は?これどういうことだ?」

「あはは!見ての通り返事がもらえるのさ。お前も陽奈に書いてみるか。」

「は?まあよく分からないけど、俺みたいな男。陽奈は覚えてないさ。こんな老人になってまで恋で傷つきたくないさ。」

「ははは。そいやーお前じいさんだったんだもんな。俺はこうやっていろんな人にいろんなことを聞いたよ。18までしか生きていないのだけれど、両親に自分を産んでよかったですか?とか、兄に自分が弟でよかったですか?とかいろんなことを聞いて、自分がたいそう愛されていたことを知って驚いたよ。みんなこういうことは伝え合わないもんだね。」

「はあ。たいそう不思議な話だな。死んでしまった後の世界があるだけでも十分不思議なのに。」

「ほら。このへんではよく言うだろ?みんな海から生まれてきたんだって。だから海はみんなが普段気付けない心の一番深いところと繋がってるんだよ。ボトルメールは、受け取り主の心の奥にある思いを届けてくれる。お前は誰か書きたい人はいないの?」

「いないさ。ずっと自分は孤独な人生だったからね。」

海がこれまで以上に大きな波音を立てた。

「ほーら。海が教えてくれるってさ。」

遠くのほうで、2人の子どもと父親らしき男性が野球をしているのが見えた。

4

そこにいたのは、幼い自分と弟の結斗、そして若い父親だった。
とても懐かしく感じる。家族とは就職のために地元をでてからそれっきりだ。

3人ともこちらに気付かずに、野球に夢中になっている。

父親がゆっくり優しくボールを投げて、それを幼い自分が打っている。もう1人の子どもは弟の結斗だ。結斗は自分が打ったボールを一生懸命走って取りに行く。3球打ったら、結斗と交代する。今度は結斗が打ったボールを一生懸命、自分が取りに行っている。

幼い子どもの声と父親の笑い声が砂浜を包み込んでいる。

「これはどういうことだ?」

「海がさっきのお前の発言に怒ってお前の心の奥底にある光景を映しているんだ。」

心の中がじわりじわりと動くような感覚を覚えた。

「はあー。こんな時もあったんだな。」

「確か俺の記憶だと。お前は野球を高校まで続けたのに、結斗は小学校卒業で辞めちゃったんだよな。ホームラン連発で新聞に載ってたのにな。」

「俺のせいなんだ。結斗のほうが才能があってさ。それで俺が腐って、中学で悪さするようになったんだ。それを見た結斗は俺の素行不良の原因は自分なんじゃないかって、気を遣って野球を辞めたんだ。そしてそれを機に気持ちの悪いほど、正直に自分の素行は直っていった。もし自分がいなければ、結斗は好きな野球を続けていた。」

「へー。そんなことがあったなんて知らなかった。」

「ずっとそのことが気がかりだった。老人になってもたまに夢に当時の自分と結斗を見ることがあったよ。なあ風汰。自分抜きで結斗が人生を送れることはないのかな?」

「ないこともない。両親どちらも死んでいる状態で40年以上この海辺にいると、跡形も無く消えてなくなってしまうって海に教えてもらったよ。海辺の岩のように徐々に風化して消えていくんだ。」

「なんでも知ってるな。」

「あはは。暇すぎて、ボトルメールで色んなことを試した。例えば、宛先を海にして”このまま砂浜に居続けたらどうなるんですか?”って聞いてみるとかね。どうやら海にも意志があるらしくて、機嫌がよければ返事をくれるんだ。だからこの世界のことはほとんど海に教えてもらった。」

「そうだったのか。本当に頭が追いつかないよ。」

疲れ切った頭で、考え、1つの答えをだした。

「じゃあ。40年間ここで暇を潰すことにするよ。」

風汰は道斗が話し終わるか終わらないかのタイミングで、目をぎょっとさせて早口で話し始めた。

「お前が一体、どんな悲惨で長い人生を送ってきたかは知らない。だが友人として全力で止めさせてもらうよ。生きることの価値を過小評価しているようにしか感じられない。なんせこっちは生きたくても生きられなかったからね。」

「でもな風汰。俺は生きているだけで他人に悪影響を及ぼすような人間だったんだよ。ずっとわがままで他人に負担をかける人生だった。就職した会社では常に同僚に仕事を押しつけてきた。老人になってからは毎日のように介護士に罵声を浴びせた。何も結斗だけの問題じゃない。俺はずっとわがままにだだをこねて他人に迷惑をかけてきた人間だ。なんで風汰みたいな素晴らしい人間が死んで、なんで俺みたいなゴミクズが生きているのかずっと悩んでいた。」

「ははは!」

風汰は腹を抱えて笑った。

「それが分かっているだけで十分じゃないか。ほら。悪いことをしたときは、素直に謝るに限るよ。」

5

”結斗へ。自分のせいで野球を辞めさせてしまってごめんなさい。”

”こちらこそ。話し合わずに勝手に辞めてしまってごめんなさい。そのせいで道斗が悩んでいたなら、あのとき話し合わなかったせいだね。また3人で野球しに砂浜に行こう。あのとき楽しかったなあ”

”部下の近藤くんへ。いつもいつも仕事を押しつけてごめんなさい。最悪の上司でごめんなさい。”

”何言ってるんすか!仕事も教えてくれたのも職場の雰囲気を明るくしてくれたのも全部道斗さんじゃないですか!また一緒に働きたいです!”

”介護士の藤原さんへ。いつも怒鳴りつけてごめんなさい。”

”道斗さんが書いている日記実は毎晩こっそり読んでいましたよ。この人、不器用なだけで本当は優しい人なんだなって思いました。だから怒鳴りつけられても嫌な気はしませんでしたよ。”

「ほら。もう帰ろ。」

風汰はボトルメールの中身を見ながらくしゃっと笑った。

「今思うんだけどさ。どうしてこんなに謝れなかったんだろう?」

「ははは。それはお前が不器用すぎるだけさ。でも不器用さから逃げないで少しずつ向き合っていけば、変わるかもよ」

「変われるかなあ。」

「ははは。もしかしたら次は自分が変わるための出来事や人に会えるかもしれない。そんな希望を抱きながら生きたら最高じゃないか。」

海はいつもより多めの太陽を反射した。

「確かにな。風汰!お前すごいよ。ずいぶん色んなことを海に教わったんだね。」

「ははは。海だけはずっと話し相手でいてくれたからな。あともうひとつだけお前に突っ込みたいことあるんだけど。」

「あ?なんだよ。」

「お前はごめんなさいばかり言うにはもったいない人間だよ。ボトルメールでもう分かっただろ?だからその代わりにありがとうっていうんだ。野球辞めさせてごめんなさいじゃなくて、そんなに自分のこと考えてくれてありがとうって言えれば楽になると思う。」

「ははは。難しいな。」

「ははは。そのために長く生きなきゃないな。」

「さてそろそろ行くか。」

「そうだな。話しているうちに40年経ってしまいそうだ。ははは。」

2人は実家に向かって歩きはじめた。

波音は驚くほど静かになった。

6
堤防に2人の老人が座って、酒を飲みながら海を眺めている。

「道斗。お前医者にあと半年で死ぬって言われてからどれぐらいたった?」

「4ヶ月だな。」

「ははは。お前あと2ヶ月で死ぬんか。」

「いーや。そんなに持たないと思う。おそらくもう長くは持たない。明日にでも死ぬような気がしている。不思議と自分の死ぬタイミングってのは分かるように人間はつくられているらしい。」

「んで、俺を海に誘ったってわけか。」

「まあ。そうなるな。」

「んで人生どうだった?」

「俺は風汰の違って、不細工だし、運動も勉強もできない少年時代を過ごしたせいで、過度に自分が嫌いで、人付き合いも仕事も最初はうまくいかなかった。ただそれがよかった。うまくできないからこそ、うまくなろうとする。それが自分の生きる意義だった。最初にごめんなさいを言えるようになって次はありがとうと言えるようになる。次は他人からありがとうって言われるようになる。少しずつできることが増えることが幸せだった。」

海は穏やかで暖かな潮風を2人に運んだ。

「死んだら、海になるとかって言うよな、このへんの人間は」

潮風を全身で浴びながら風汰は話した。

「あー。確かにな。でもずっと海なんて退屈だから勘弁して欲しいよ。死んだらもう一度、母ちゃんのお腹の中ってほうの説のほうが好きだな。生まれ変わるのはまた自分でいい。」

「ははは。俺は海になるってほうも好きだ。なんせ海が好きだからね。ほら。今日の海なんてとびきり美しく、穏やかだ。あんなふうになれたらって思うよ。」

風汰はおもむろにポケットから紙とペンを取り出して、何か書き始めた。

「ボトルメールか?一体誰に?」

風汰はくしゃっと笑いながら紙をこちらに見せた。

”陽奈へ。あの頃告白していたら、どうなっていましたか?”

「ははは。懐かしいな。風汰だけじゃなくて、みんなが陽奈のことが好きだった。」

「懐かしいよなあ。もし陽奈が18で死なずに、生き続けていたら、どんな大人になっただろうな。」

その日の海はどこまでも青く穏やかで2人を見守っていた。

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