岬の管理人



「どうしたの颯真?」

大勢のクラスメイトが合唱の練習を中断して僕の泣き顔を覗き込んだ。
文化祭は1週間後に迫り、合唱の練習もラストスパート。
僕もクラスメイト同様に合唱の練習に熱中していた。

しかし、今日突然、声がでなくなってしまった。

「クラスの合唱としてはとてもきれいだよ。だから今後は、1人1人が自分自身の持っている想いや情熱を歌詞に乗せて運んでみて。文化祭はみんなの”表現”のための場所だから」

と担任が言った。僕もクラスメイト同様に、担任が言っていることを実践しようとした。

そしてピアノの前奏に続いて、声を出そうとした瞬間に全身の筋肉が硬直して声がでなくなってしまった。

みんな一生懸命歌っているのに、僕だけ歌えていないんだ。
意図的にサボっていると思われたらどうしよう?
これをきっかけにクラスでの居場所がなくなるんじゃないか?

様々な不安が脳内に駆け巡って、気付いたら涙が止まらなくなってしまった。

散々、泣きわめいた後、僕はクラスメイトにカウンセリング室に運び込まれた。

広い部屋の真ん中に小さな机と椅子があって、カウンセラーらしき中年の女性が柔らかい表情でこちらを眺めている。

「颯真くんはじめまして。奥津です。」

奥津さんは、僕の分の紅茶を入れた後、

「家族は何人いる?」とか「部活、委員会は何をしてるの?」

みたいな簡単な質問から

「合唱は好き?」とか「どうして悲しくなったの?」とか今日の事件に関する詳細までを僕から聞き出した。

「つまり、矢田先生から自身の持っている想いや情熱を表現しろって言われたら筋肉が硬直して、そこから不安になっちゃったんだよね。」

「そうです。。。。」

「颯真くん。きっと自分が持っている想いや情熱が分からなかったんだね。だから”表現”できなかったんだね。あなたの想い。」

自分でも分からなかったの自分の心の中を言い当てられたことに、驚きと安心感を覚えまた泣いてしまった。

「きっと学級委員で自分自身の思いとか情熱とかを押し殺して、クラスや先生のために頑張ってきたんだね。泣いてすっきりしたら今日は、ゆっくり休んでね。そうすれば、きっと表現したい想いや情熱も見つかるよ。これは颯真くんの問題じゃなくて、先生の問題でもあるから。副校長先生にも相談してあげるから。」

教室でしばらく泣いた後、下校時間のチャイムが鳴った。

もうカウンセリングから1時間は経っている。
これほど泣いたのははじめてだ。
他人の顔色ばかりを見て生きる自分の”想い”の無い人生。
これが日々感じていた苦しみの正体、そして声がでなくなった原因だった。

これから自分の”想い”を見つけたい。
”表現”をみつけたい。
合唱に早く合流したい。
ずっとそんな考え事をしていた。

「颯真!貴様!よくも俺に恥をかかせたな!」

僕の考え事を突き破るように担任の怒号が聞こえた。

担任はあっという間に僕に近づき、思いっきり僕を平手打ちした。

「俺の技量が無いせいで、颯真が代わりにクラスのバランスを見てるだって?そのせいで自己表現ができてないだって?」

担任はもう一発、僕を平手打ちした。

「もういいよ!!!そんだけ自己表現したいなら1人で壁新聞書いとけ!!合唱には来るな!!!」

顔面は腫れ上がっているというのに何の感情もわいてこなかった。

僕は行き先も考えずに、ゆっくりと歩いた。

気がつくと僕は岬で潮風に当たっていた。

もう5mもまっすぐ歩けば、海に落下する。

ここは自殺の名所として有名な場所で、毎日のようにここで誰かしらが、飛び降りるか、降りないかを何時間も悩み続ける。

「ははは。君まだ中学生ぐらいだろ?かわいそうに。」

振りかえると、そこには担任と同じぐらいの年齢の中年の男が立っていた。

「いや。。別に自殺しようと思ってここに来たわけじゃないんです。今日色んな大変なことが同時に起きて、ただ呆然と歩いていたらここにたどり着いただけなんです。」

「じゃあ。潮風に当たって落ち着きたかったってこと?」

「そうなのかもしれません。実際、自分の”想い”がよく分からないんです。自分が何を想い、どうそれをどう”表現”したいのか分からず、周囲のバランスを調整するだけの毎日です。だから今日、合唱で声が出なくなってしまったんです。」

「ははは。みんなそうじゃないのかな。みんな分かったふりをしているだけさ。そのほうがずっと楽だからね。君は声を出さないという形でその問題と向き合っているのかもしれない。」

僕ら2人は眩しい赤い夕日に照らされた。
もう夕日は沈みかけている。

「ちなみに俺は君と違って、自殺しに来たんだよ。君とのお話が終わったらそこから飛び降りるんだ。」

「そうですか。別にあなたの自殺を止める気はありませんが、1つ聞いておきたいことがあります。」

「ははは。なんでもどうぞ。」

「どうしてわざわざ自殺するなんて強い”想い”を持てるのですか?先ほど言ったように僕は自分が何を”想い”、なにを’表現”したいのか分からない。つまりなにがしたいのか分からないんです。だからおそらく辛いことがあってもその決断をできないと思うんです。」

「そんなに難しい話じゃない。自殺する理由は至って簡単だ。両親が死んだことだ。元々、俺は人生が退屈で、苦痛で、毎晩、このまま突然死して朝が来なければどれだけ楽だろうと考えていたよ。子どもの毎日より、大人の毎日のほうが退屈だってことは伝えておくよ。君が言う”表現”も見つからなかった。でも俺は両親から愛されていた。退屈で苦痛な人生を送っていた自分にはそれだけが救いだった。だがその両親もどちらも死んでしまって、俺が生きている理由はなくなった。人生という大がかりの手術の中で、両親という麻酔を失ったんだ。僕はこれから今まで感じていた”人生の退屈、苦痛”を”自殺”という形で”表現”するんだ。」

「そうですか。僕には父がいません。母は身を削って水商売をして僕を養っています。どうして母はそこまで頑張れるんだろうとずっと疑問に思っていました。これはあなたの両親があなたに与えていた愛情と同じですか?」

「そりゃあ。君の母ちゃんに会ってみないと言い切れやしないけど、同じだと思うよ。君はそんな母ちゃんがいるだけで生きている意味がある。だからこんな危ないところにいないで家に帰りな。かあちゃんが死んだとき、もう一度考えるといい。」

中年の男はおもむろに歩き出すと、そのまま飛び降りた。

彼は運悪く、海ではなく尖った小さな岩場に落ちてしまった。

ものすごい音が鳴り、そのままぐしゃりと体が曲がり、血を流して動かなくなっていた。その死体を波がさらっていった。

僕はものすごい高揚感を覚えた。

「もういいよ!!!そんだけ自己表現したいなら1人で壁新聞書いとけ!!合唱には来るな!!!」

担任の声が脳内に再生された。

自殺者は面白いことを僕に教えてくれる。
そうだ!文化祭まで毎日、ここで自殺志望者にインタビューをしてそれを壁新聞にしよう!!!

日は沈んで辺り一帯は完全に暗くなった。

僕は早歩きで、文房具屋まで行き、模造紙や黒マッキーなど必要な物を買い込んだ。

家へ帰ると母親が酔っ払って、リビングで寝ていた。

今日、買った模造紙の端を破り、そこに母に対してメッセージを書いた。

”母さん。いつもありがとう。僕は母さんのために生きる”

今日出会った、中年の男に関する記事を書いているうちに朝が来ていた。

リビングではまだ母がいびきをかいて寝ていた。

母の歳に似合わない茶髪を少しなでた後、僕はまた岬へと向かった。

朝日がうつくしく、岬とその先の海を照らしていた。

まだ自殺志望者は来ていないようだった。

僕は徹夜で記事を書いていた疲労もあり、岬の上で寝転んで、そのまままどろんでしまった。

目が覚めると、視界に美しい若い女性が見えた。

「ははは。いつからこんなとこで寝てんのよ。こんなとこに中学生ぐらいの子どもが寝てたら、気になって自殺どころじゃないじゃない。」

太陽は真上から、僕と若い女性を照らしていた。

「あのね。お姉さん。僕は自殺しようとしてる人にインタビューして、それを記事にしてるんです。というわけでインタビューしてもいいですか?」

「まあ!なんて不謹慎!!」

「でも自殺する人っていろいろ考えていて面白いなあと思うんです。だから聞かせてくれませんか?どうしてあなたが自殺するのかを」

「ははは。私が自殺する理由はそんなに面白くないよ。ただ恋人にふられてしまったからだよ。恋人がいるから毎日元気に生きれた。必死に仕事を頑張れた。でも今は何にも身が入らない。それに恋人がいないと毎日、苦しい夜を過ごさなければならない。それだけ。」

「苦しい夜って何ですか?寂しいってことですか?」

「これを寂しいっていうのかは分からないけど、彼に伝えたいことがあふれてきて、それを今まで伝えられなかった自分がものすごく情けなくなる。それがものすごく苦しい。」

「少しだけ分かる気がします。僕も僕自身が一体、何を考えていて、誰にどんなことを伝えたいのかが分からないんです。」

「ははは。それはあなたがまだ子どもだからだよ。私はずっと彼に伝えたいことは心の中にあった。でもまた今度でいいやを毎日繰り返してしまった。それが別れの原因かは分からないけど、いずれは別れが来るんだって受け入れていられれば、伝えられた気がする。大人になってまでそんなこともできない自分が情けない。」

「じゃあ僕と恋人になってよ。ほら。そんなに不細工じゃないでしょ?」

「ははは。子どもが何言ってんのよ。」

「お姉さんが思ってることは伝えた方がいいって教えてくれたでしょ?。だから早速、実践してみたんです。」

「ははは。素直でいい子ね。でもそれはできない。それはあなたが子どもだからってことじゃない。彼じゃなきゃだめなの。でもね。もし伝えたいことが今みたいに見つかったらそうやって素直に伝えてあげなよ。そのほうがきっといいことがあるから。」

先ほどまでの晴れ模様が一変し、岬には雨が降り始めた。

「これで少しは私のこと思い出すかな?」

若い女性は何の躊躇もなく、走り出し海に向かって落ちていった。

僕は不思議と失恋をしたときのような喪失感を覚えて呆然と立ち尽くしていた。

しばらくすると青ざめた若い女性が力なく浮いてきたのをみて、底知れぬ高揚感を覚えた。

「こんなくそみたいな天気の日に何してるの?不審者少年。」

後ろを振り返ると傘を差した老人がこちらを見ながら微笑んでいた。

「ははは。不審者は俺のほうか」

老人は僕にビニール傘を手渡しした。

老人に言われるがまま、岬にあるプレハブ小屋に入った。

10畳ほどの空間の真ん中にまるいテーブルが置かれている。その他の空間は大量の文庫本と原稿用紙と使い古された電子ケトルが覆い尽くしていた。

老人はおもむろに2人分の紅茶を入れた。

「俺は梶原だ。30年ほど、ここの管理人をしている。死体を拾ったり、自殺するかしないか車の中で迷っているような人間から駐車料金を徴収したりしている。だから死神って言われたりもする。ははは。趣味で小説を書いたりもしている。若い頃は普通にサラリーマンをしていたんだがね。きつい仕事をして安い給料をもらうのが馬鹿らしくなって、ここに来ることにした。この仕事はすこぶる給料良いんだよ。んでお前は?」

「颯真です。自殺をする人にインタビューしてそれを文化祭の壁新聞にしようとしてました。」

「あははは!!!!んでどうだった?」

「すごく面白いなと思いました。それぞれいろいろなことを考えていて、そこから学ぶこともありました。いい記事も書けています。」

「ははは。そうかお前は自殺者の声から面白さを見いだしたんだね。俺も同じようなことしたことあるよ。面白さは見いだせなかった。」

「じゃあどんなことを見いだしたんです?」

「見いだしたのは絶望だ。生きることの苦しみという生きていて生じる当たり前の感情が、俺ら人間を簡単に殺してしまうという絶望だ。言い換えるなら俺らは自殺して当然の世界に生きているという絶望だ。だから俺は小説を書く。現実はあまりにも絶望的でつまらないからだ。それに加えて、俺は死体を拾う。打ち上げられた死体の顔を見ると一時的に非現実な気分を味わえて高揚するんだ。」

「あ!!!僕も死体を見たとき気分が高揚したんです!!!!きっと僕も同じですね!!!!」

「ははは。気が合うガキがいるとはな。たまに遊びに来いよ!タイミングがよければ死体を一緒に引き上げに行こう。」

「みんな帰る前にちょっといい?」

それは文化祭前日の帰りの挨拶が済んだ3秒後のこと
僕が声を発するとクラス全員が僕の顔を覗き込んだ。

「文化祭前の大事な時期に休んじゃったお詫びで、みんな分の喉スプレーとメッセージを用意してきました!持って帰ってください!明日は頑張りましょう!」

「ははは。だから颯真今日はスーツケース持ってきたんだ!」

「みんな心配したけど、休んだこと誰も悪く思ってないと思うよ!」

「わざわざありがとう!みんな頑張ろうな!」

「さすが我らが学級委員!」

僕の周りに賑やかな生徒の輪ができている。
担任はそれを無関心を含んだ冷笑で見つめ、職員室に帰ろうとした。

「あの!先生の分もあるんです!」

「お。おう。ありがとな。」

担任は不意を突かれたようにビクリとした後、職員室に向かって歩きはじめた。

喉スプレーとメッセージで一杯だったスーツケースはあっという間に空になり、生徒の数も少しずつ減っていって教室には僕1人になった。

僕はずっとドキドキしながら担任が教室に戻ってくるのを待った。

”壁新聞書きながら自分の表現したい物が見つかりました!アドバイスいただきありがとうございます!もしよろしければ放課後先生と2人でお話ししたいです。”

15分ほど待つと、担任は教室に戻ってきた。

「颯真こないだはすまなかった。」

「はい。」

「実は壁新聞書いてろってのも、怒りにまかせて言ってしまったんだ。いつも颯真には助けられてる。ありがとう。俺の技量が足りないのも事実だ」

「いいえ。そんなことないですよ!それより明日の合唱は貢献できると思います!先生にいい姿見せたいです!」

「お前ってやつは。。ありがとう。」

担任が握手をしようと僕に手を伸ばし、体をこちらに近づけた隙に、僕はポケットから包丁を出して、担任の腹を刺した。

担任は無言のまましゃがみこんだ。
僕は無我夢中で担任の首を何度も切りかかると、担任は青ざめた顔で動かなくなった。

血を教室にかけてあった雑巾で完全に拭き取り終えると、担任をスーツケースの中に無理矢理押し込んだ。

心がじわりじわりと熱くなった。

スーツケースを押しながら、校門に行くと教員たちがまだ見送りのために残っていた。

「颯真!今日は荷物が多いな!!話は聞いたよ!学級委員として素晴らしいよ!明日頑張ってね!!」

「ありがとうございます!さようなら!」

スーツケースを押しながら岬までたどり着くと、スーツケースの中身を出した。

担任は全身の関節をぐにゃりと曲げながら、力なく横たわった。

体中の血液が天に向かって蒸発するほどの興奮を覚えると、僕は担任を海に向かって突き落とした。

翌日、僕が最初に向かったのは学校ではなく、岬の上にあるプレハブ小屋だった。

「よ!颯真!お前運いいな!今日は死体が打ち上げられている!一緒に引き上げに行こう!」

「ははは!楽しみです!」

僕は梶原さんと岬の隅にある急な階段を降りながら、波打ち際まで歩いた。

すると水を吸って、ぶくぶくに太った担任が波にもまれていた。

「妙だなあ。」

梶原さんは不思議そうに担任を見た。

「どうみてもこれは刺し傷だな。おそらく殺されて捨てられたんだろう。これはでかいニュースになるかもしれん。」

「ねえ。これ!僕が殺したの!!」

「は?つまらん冗談だな!ははは。」

「違うよ!!!これは僕の作品だよ!!!僕がはじめて”表現”したんだよ!!」

僕は担任の死体に対して一心不乱にシャッターを押した。

「ははは。何してんのさ。」

「今日、文化祭なんだ!!1合唱とか絵の展示とかたくさんみんなが”表現”したものが飾られる日なんだ!!!でも!!!僕の作品はこれ!!!これが本当に僕が”表現”したいものだからみんなに見てもらわなくちゃ!!!!」


この猟奇的な殺人事件のニュースは世界中に駆け巡った。

犯人の15歳の少年は少年法に守られ、顔も年齢も世の中にさらされることはなかった。

あの事件から20年後、遠くの町の岬で管理人が変わった。

どうやら新しい管理人は死体を拾いに行くことになんの恐怖も覚えていないどころか、たまに死体に向かって無我夢中でシャッター切っているそう。

そうそう”死神”って言われてるあの中年のこと。

この男がどういう人生を歩み、どういう経緯でこんな悪趣味を覚えたかはもはやこれ以上言うまでもありませんね。

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