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悪意の話が書けない

私は人の悪の感情が書けない。

物書きをするようになって早7年。処女作執筆は約10年前。その中で9割5分は二次創作を書いている。一から設定を練るのが苦手なオタクなので基本的に公式からお借りしたキャラクターを喋らせることしかできない。

私の小説を読んでくれている人は分かるかもしれないが、全ての話において展開はほぼ似通っている。山も落ちもない話か、少しだけトラブルがあっても何事もなく終わる。起、承、結。こんな無味無臭の話を読んでくれている人がいることは感謝してもしきれません。ありがとうございます。

とはいえ一本の話として構成する以上、特に同人誌ではある程度展開が無いとメリハリのないものになってしまうもので。カップルがイチャイチャ平和に過ごす一冊も勿論素晴らしいのだけれど、形に残るものだから何かしらのテーマは確保したい。そういう思いで同人誌を作るときは頑張っています。

で、表題。私は悪意の話を書けないのだ。

ここで言う「悪意」とは私の中の「触れたくない人間の感情」のことで、他社を肉体的/精神的に傷つける行為、人間社会のモラルに欠ける行動、その他犯罪行為など……言葉にすれば大げさになるけれど、「それがきっかけでキャラクターが傷つくこと」の総称だと思ってください。これは私の性格に依拠することでもあるのだけど、人との衝突を避けてきた人生なので、お話の中でもついそうした「悪意」と距離を取ってしまうのだ。

例えば話の展開上、キャラクターを曇らせる展開を書く時。その本のオリジナルのモブであっても「キャラクターを貶める悪口、陰口」を一言でもセリフにしたくない。その言葉で傷つくキャラクターを書きたくないし、何よりそのセリフを言わせるために登場するモブの子の存在すら汚したくないのだ。

じゃあ展開作りにはどうするか。キャラクターが一人で思い悩むしかないですね。

「羨望」「嫉妬」「恋慕」「憧憬」「自罰」「諦念」
私の小説のキャラクターの感情表現はほぼこれらの典型で収まっている。
ほぼ全て他者との衝突による発露ではなく、個人の中で沸々と熟成される感情だろう。思いの対象になる相手はいるとはいえ、それが表立って相手に伝わることは少ない。9割8分はこれらの感情で一人で勝手にもにょもにょしている。

とにかく話の幅が狭い。解決方法も対話による相互理解がメインウェポンなので似たり寄ったりだ。いい加減違う構造の話も書きたいと思うときもあるが、先程の「悪意」が私の邪魔をする。意図的に傷つける話を書くと、傷つけた側のキャラクターも書かざるを得なくなる。その子が可哀想で、私にはそれが出来ないのだ。

でもそういう話を書ける人を貶める意図はないです。自分には書けない感情を書き表せるのは本当に羨ましい。ないものねだり。

しかし出来ないことを無理にやろうとするより持ち味を生かすのが社会の掟という説もある。幸い今までの人生で熟成された内的思考は誰にも譲れない自信はあるので、これからもその強みを生かしてキャラクターには悶々としてもらおうかなと思う。ネガティブに見せかけてポジティブな帰結でした。オリジナルもぼちぼち、頑張っていこうかなと思います。百合文芸帰ってきて……。


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