悩み(2022.05.06)

最近悩んでることがある。

ラジオが聴けなくなった。
昔はあんなに大好きで楽しみにしてたのに。
最近は音楽を聴くか、お気に入りの過去のラジオを聴いていて、全然リアルタイムで聴くこともなくなってしまった。
それでも今もずっと聴いてるのはアルピーdcgと爆笑問題カーボーイと沈黙の金曜日だけかも。
それくらい聴くことが億劫になってしまった。

同じようにテレビも新しいものを見れなくなってしまった。
ずっとYouTubeで昔の番組を見続けている。

なんでだろう、とずっと考えている。
もともとラジオはそんな好きじゃなかったんじゃないか、と頭の中の悪魔がささやいてくる。
ラジオが好きじゃないなんてこれまでの自分を否定するようで怖くてできない。
でも実際聴いていないのでもしかしたらそんな好きじゃなかったのかも、とか思うようになると気分が落ち込んでくる。

社会人になると大変なことはいろいろある。
でもそれらを押し殺しながら仕事をしていく。
なんかその過程で自分の中のなにかも殺されたような気がする。
何も思わなくなってきた。
ラジオを楽しむ感受性も、体力も、noteに書きたいことも、Twitterに呟きたいことも、インスタグラムに乗せたいことも、ネットフリックスで見たいものも、全部なくなった。

正直それはそれで人生を過ごすには楽になった。
何も考えず感じないように仕事をして、家に帰ってからはただひたすら無心でゲームをして寝る。
何にも悩むこともせず生きるのは楽だ。

学生の頃は毎日何かに悩み、葛藤し、反骨心を持ってた。
それは正直辛い日々でもあったけど、それはそれで充実してた。
充実してたというか、心に色が溢れてた気がする。

今はなにも思わなくなった。
多分、人間のメカニズムとして心に負担をかけすぎないようにしてるのかもしれないけど、悲しい。

だからこそこうしてnoteを書いているみたいなところはある。
自分の脳みその中のなくなってしまった場所を掘り起こすために。


ずっと気になってたことだけど、有名人でもないただの20代男性が偉そうに自分のエッセイを書いているのを、みなさんはどんな風に見てるんだろう。
こんな何もない文章を読んでなにを思うんだろう。
気になります。

仕事が辛すぎて鬱になるかも、、、とか思ってたけど、意外と僕の心は丈夫なようで、身体はピンピンしております。
ただ先日面白いツイートを見つけました。

「人生に疲れている人は『自分の好きなことがわからない』という状態に陥るので気をつけてください。特に食事の関心が失せるので、スーパーの総菜売り場の前で『何を買おうかな…』とウロウロすることになります。スーパーでの滞在時間が長い人はやや注意ですね。」

まじで俺のこと言ってるのかなって思って。
俺ちょっとやばいかもしれない、と思ったので自分のストレスをなくすために我慢することやめたり、給料を使うようにしてます。

「みんな辛いんだから」という人がいます。
たしかに辛さを感じてる人は他にもいるかもしれません。
でも自分が苦しい時、自分の世界の中で1番辛いのは自分です。
そんな時は恥じることなく慰めて労わってあげるのがいいと思います。
僕はそうします。

あともう一つ目から鱗だったツイートがあります。

「誰のツイートだったか…「年収100万円台くらいなのに、週に1度小綺麗な恰好をしてスタバに行くシングルマザー」みたいな話。側から見れば馬鹿馬鹿しい無駄遣いなのだろうけど、それは彼女が人間らしさを保つ為に、けして削ることの出来ない出費なのだ、と。」

こういうことが誰にでもあると思います。
自分のなかで絶対に削ってはいけないもの。
僕にとってそれは「何かを表現すること」なんです。
だからこそ、表現欲はあるけど表現するものがない今の状況が辛いです。

弱みつらつらと述べていきました。

今度は「女の人と付き合えない」について書きたいと思います。

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