魚を食べる日/9月10日(日)〜9月16日(土)

9月10日(日)

日中は仕事。夜、引き続き、金原ひとみ『デクリネゾン』(集英社、2022年)を読む。これはもう絶対飲みながら読み通そうと思い、大昔に買ってあった日本酒を引っ張り出す。酒のアテはキムチとクリームチーズ。わたしはこういうときに一貫して脂っこいものを食べ、ブクブクと肥え太ってきたけれど、最近やっと酒のアテに野菜を食べることを覚えた。

9月11日(月)

仕事の合間に『ブルーピリオド』第14巻を読む。藝大に通う主人公の「作家の人って制作につまったりしないのかな」「常に描きたいものに溢れてるのかな」という何気ない言葉に考えこむ。幸か不幸か、わたしはネタ切れになって苦しんだことはあまりない。うまく言葉にできなくて書きあぐねることはあるが、それでも言葉にしたいことはたくさんあるのだ。ただそれに仕事が追いつかなくて、時期を逸することがこわい。書きたいことが常に溢れていても、紙の上に落とし込まなければ、いつの間にか流れていってしまう。自分自身から溢れていくものにかまけていなければいけないのに、自分自身とは別の、大きな流れのようなものに、気がつけば流されている。

9月12日(火)

昨日一日中仕事していたせいか、今日はぐったり疲れて文字を読む気に慣れず。facebookの投稿くらいしかしてないが、あきらめてリフレッシュしようと思い、ライターの友人にお茶をしようと声をかけ、出かける。仕事の話や最近読んだ本の話をして、あっという間に時間が過ぎ、カフェを出て駅までの道すがら、今日は火曜日だったなと思いながら「火曜はなんの日?」と聞いてみる。すると友人は「魚を食べる日」と答えた。すごい。友人がシンプルすぎるこちらの質問に的確かつ味わいのある回答をしたことに感動した。いいラリーだ。わたしたちはいいラリーをした。鼻高々である。
わたしはフリーランスのライターとして税務署に開業届を出して6年ほどになるが、以来曜日などあってないようなものだと思って雪崩れるように日々を過ごしてきた。それが最近は曜日ごとにカラーが出てきている。木曜日はバイトの日。水曜日は図書館に行く日。月曜は単著作業および進捗報告会の日。ごみ出し担当でもあるので、可燃ごみ、不燃ごみ、資源ごみ、びん・かん・ペットボトルでもそれぞれ曜日を認識している。シェアハウスに暮らすようになってから、生活が安定し、ルーティーンが決まり、曜日がくっきりしてきたという気がする。そして同じ頃にフリーランスになった友人にも曜日があるのだ。わたしとは幾分違うだろうけど、友人にも確かに時間が流れたのを感じた。たぶん「魚を食べる」というのはいま共に暮らす人との約束なのだ。

9月13日(水)

日中は仕事。とにかくたくさん読む。夕方、スーパーへ。鰯が安かったので購入。昨日の友人に影響されたかもしれない。頭と内臓を取ってから手で開き、酒や醤油、みりん、砂糖で味つけして、蒲焼きにする。鰯は身が柔らかいので手で開けるのだが、そのぶん丁寧にやらないと身がぼろぼろになってしまう。骨と身の隙間に意識を集中させ、慎重に指を差し入れていく時間が、脳みそを空っぽにしてくれる。
夜は読書。しばらく前に買っていた、クォンキム・ヒョンヨン編『被害と加害のフェミニズム』(解放出版社、2023年)を読み始める。これはいまのわたしに必要な本だ、とすぐにわかった。「日本語版序文」と「はじめに」しか読んでいないが、読んだ頁数より多く付箋を貼る。常々、フェミニストとしてトランス排除に反対するなら、同時にMetoo運動の総括もしなければ……と思っていたが、この本はかなりわたしに近い問題意識を持っているようだ。大胆な問題意識を持ちつつ、慎重な議論と入念なチェックを何度も重ねたとのことも記述されていて、頼もしい。今月はとても忙しいけれど、少しずつ読み進められればと思う。

9月14日(木)

バイト。4時間半働いただけなのに、家に帰ってからはずっと横になっていた。毎日8時間働いている人は凄い。しかしバイトしながらライターとして仕事をしてきたわたしにもわたしなりの凄さがある。誰もが誰にでもなれるわけではないからね。
横になっている間、届いていた北條俊正『私はこうしてエンタメ系ライター』(玄光社、今月25日発売)を開く。ライター20人にインタビューした本で、ライターになったきっかけをや日頃心がけていることを聞いている。実はこの本のインタビュイーにわたしも名を連ねているので、発売前のこの本が今日届いたというわけである。インタビューをすることはあっても、インタビューを受けるなんて、こいつは調子に乗っているんじゃないかしらと思われそうで気が引けたのだが、連絡をくださったインタビュアーの北條さんが誠実に対応してくださったので受けることにした。他の人のインタビューも読みたかったのもある。そういえばわたしはライターになる前やなってからもしばらく、この手のインタビューを熱心に読んでいた。この本はいま読んでもおもしろいが、あの頃のわたしにあげたら喜ぶだろうなと思う。あなたもここに載っているんですよと言ったら、さぞかし。しかしいまのわたしは、ありがたいとは思いつつ無邪気に喜ぶにはあまりにもそれどころじゃない。また、こういう類のインタビューの功罪があるのもわかっている。けれど、そういうインタビュー記事を燃料にして生きのびてきたわたしの続きとしていまなんとか生きながらえてきた、その事実は大事にしたいと思う。

9月15日(金)

朝起きて、ふとTwitterを見やるとリブロのアカウントが「新刊」として『文豪悶悶日記』を紹介している。もしや、ついに書店に並び始めたのか……? そう思うといてもたってもいられず、部屋着のような格好でジュンク堂池袋店へと向かう(リブロじゃないんかい)。なんとなく店内を見回して見当たらず、ないなあ、早とちりしたかなあと思ってパッと見た棚に、それはあった。しかも二箇所にありました。

午後、メールでゲラが届く。特別寄稿というかたちで参加させていただく本のゲラである。某寄稿に目を通し、涙。いい本になりますよう……と心から願うけれど、そう願うことが正しいのかわからない。ちょっと悲しい本なのだ。でも、一読者としてありがたい本であることは間違いない。

9月16日(土)

日中はやる気が出ないなりに仕事をし、夜は友人夫婦と飲む。楽しく、話題はいくつもあったはずなのに、エロ漫画における断面図の話をしたことしたか思い出せない。

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