日記にかかない幸せ/9月17日(日)〜9月23日(土)

9月17日(日)

トランポリンを跳ぶ。たくさんの技を次々と習得し、ついにぐるっと前に一回転する。喜んで、何度も何度も回る。一瞬、ふと我に返ってとても危ないことをしているような気がしたが、深く考えない。こわい気持ちに追いつかれないよう、逃げるように何度も回った。
汗をかいたので銭湯へ。シャワーの前でぼーっとしていると銭湯のヌシに見つかって、体を洗われる。ヌシは備えつけのボディーソープを指して、「おめえ、これが不満なんだろう?」と言う。それからこちらの反応を待つ間もなく「おれが洗ってやるよ」と言って、ごしごしわたしを洗う。ヌシのタオルは自前の石鹸でよく泡立っており、洗われたわたしも泡だらけになる。わたしの体がすっかり洗われたのを確認すると、ヌシはシャンプー、コンディショナー、洗顔クリームを分け与えた。後は自分でやれ、ということのようだ。どうせなら全部洗われたかった。でも、よく見ると洗顔クリームはSK-Ⅱだ。「SK-Ⅱじゃないですか」。わたしはCMとデパート以外ではじめてSK-Ⅱを見た。頷くヌシ。「これ使ってるからにじゅうは若く見られるんだ。おれいまはちじゅうだよ?」「80歳なんですか!」「いやななじゅうろく」「……」一瞬で真顔になる。早くここから出たいと思う。しかしヌシが目を光らせている。わたしはヌシの指示通り、コンディショナーを塗りたくった髪をタオルで巻いてよく浸透させながら茹るまで湯船に浸かり、洗顔クリームで50回以上顔をこすり、最後に5回湯を体にかけて、「ありがとうございましたあ」と声をあげながら、そそくさと銭湯を後にした。

9月18日(月)

読んだ小説にあてられ、ふらふら歩いていると、人とすれ違いざまに「真っ直ぐ歩けッ」と叱られる。HPがマイナスに。これ以上地球にいられないと思う。

9月19日(火)

夢をたくさん見、なかなか起きれず。体が重い。今日は何もしたくないと直感するが、明日からしばらく雨予報であることを思い出す。洗濯だけでもしなければ……と思いかけて、やめた。今日できなければ後日部屋干しするなりすればいいだけだ。今日は、なんにもしてやらない。そう心に決めてソファにもたれ、窓の外を眺めた。もう9月とは思えない、夏空のような青い空を、もくもくと発達した雲がゆっくり移動している。いいお天気。
それからひと呼吸置いて、おもむろに立ちあがると、洗濯機を回した。それからきっちり48分後、洗濯機がピーッと音をたて他のを確認して、すぐさまベランダに洗濯物を干した。それから、うう、と声をあげた。20代前半ならばやらなければという思いにとらえられながらベッドから出られなかった。20代後半ならば早々にあきらめてそのまま洗濯物を溜めていた。今年34歳、干し終えた洗濯物がふわっと風に吹かれて揺れるのを眺めながら、ここまできた、と思う。うれしいような悔しいような、どっちつかずの気持ちがこみあげる。若い頃、どんなにかこの日を夢見ただろう。洗濯機を回したはいいものの、干すところまで辿り着かなくて数日放置したことも何度もある。悔しくて情けなくて惨めで、よく泣いていた。それがいま、洗濯ができないくらいでは絶対に泣かない。そこまで思い詰めることなく、難なく洗濯できるのだ。うれしい。些細なことだが、こんなにうれしいことはない。けれど一方で、あの頃泣いていた自分のほうが正しかったのだという思いがする。ボロボロの体で、自分を責めることでさらに自分を痛めつけていた自分のほうが。どんどん元気になっていく。うう、と呻いてみたところで涙も出ない。

9月20日(水)

月評を書く。締切までまだあと4日あるので、寝かせる。

9月21日(木)

出先から帰ろうとして、体が動かなくなったのでカラオケボックスに入り、体を休める。何も入れないのももったいない気がして、大森靖子を少し歌う。

誰にもわかってほしくないから
日記にかかない幸せ

大森靖子「あまい」より

日記を書きはじめてから、ずっと頭の中に響いているフレーズだ。日記には心に残ったことや印象的だったことを書いているが、とてもうれしかったことや楽しかったことでも書いていないことはたくさんある。書かれなかったことをとても大事にしている。

9月22日(金)

オンラインで読書会。昨日の疲れが残っていたのか、げっぷがよく出る。

9月23日(土)

まだ疲れがたまっているのか夢見が悪く、また夢見が悪かったせいでどっと疲れる。一日だらだらして、もうだっらだらして、夜少し回復した体力を使って寝かせておいた原稿を見直し、送る。今日はこれで終わり。

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