無題/9月24日(日)〜9月30日(土)

9月24日(日)

疲労。

9月25日(月)

疲労。ぼんやりしたくて、映画を観にいくことにする。行きがけに書店に寄って、歌集を2冊買う。永井祐『日本の中でたのしく暮らす』(短歌研究社、2020年)と青松輝『4』(ナナロク社、2023年)。
上映まで永井祐のほうを読む。すでに散々言われているだろうなと軽く調べたらしっかり指摘されていたが、やはり助詞の使いかたがおもしろい。この歌集を読むと助詞とは視角のことなのだなとしみじみ思う。

「台風がもうすぐくるよ」コーヒーに注ぐミルクの口開けながら

永井祐『日本の中でたのしく暮らす』

そして「日本の中でたのしく暮らす」というタイトルに込められたニヒリズム。これがシニカルな諦めの歌集だったらやだなと思っていたのだが、杞憂だった。永井祐は許してない、「日本の中でたのしく暮らす」こと。何も諦めていない。ちゃんと恨んでる。

あと五十年生きてく僕のため赤で横断歩道を渡る

同上


9月26日(火)

疲労。

9月27日(水)

疲労のあまり、淫夢を見る。大きな木の柱に抱きつき、性的興奮を覚えるというものだった。すごかった。

9月28日(木)

疲労。バイトを休んで、ゲラを直す。

9月29日(金)

昼間道を歩いていたら、おじいさんが車道に向かって転ぶのが見えた。「東京の人ってなんで道で人が倒れても助けへんの?」という友人の言葉がふとよぎり、近寄って声をかける。わたし以外にも何人かが駆け寄り、起こそうとするが起きあがれず。酔っているようだ。頭からうっすら血を流している。救急車を呼びましょうか、と聞くと「うーん」と要領を得ない返答しかしないので、救急車を呼ぶことにした。やがて通りがかった消防車が途中引き継ぎ、わたしはその場を離れた。わたしにしては冷静に対応できたのは、やはり疲れていたからか。

9月30日(土)

友人とお茶。

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