見出し画像

生理学から考えるノイズマネジメント 〜大塚さんはそう言うけどぼくだったらこうするなぁ〜#034

そう音ってなんだ!?

画像1

“そう音”と言うはやすし。
世の中には、いろんな “そう音” があります。
まずは、ことばの意味という視点から“そう音” を整理してみましょう。

騒音・・・みなさんが日常的に話題にするそう音は、この「騒音」のことだと思います。不要な音、不快な音、じゃまな音。わたしたちがふだん騒音というのは、こうしたノイズのことです。「やかましい」「もう、いらん」「嗚呼(ああ)、煩(わずら)わしい」という音がこれです。

しかし、”そう音”は、ノイズとは限りません。

噪音・・・けたたましい音、やかましい音。人によって噪音は、騒音であり爽音(後述)です。暴走族が国道を「パッパ、ラッパッパ〜♪」とか「ドコドコドコドコ〜♫」と鳴りひびかせているその音は、沿道の住民にとってはゲンナリな騒音ですが、暴走している当人には実に心地よく聞こえています。赤ちゃんの泣き声なんかも同じで、泣き声を聴いて「ハイハイ、どうしたのかわいい赤ちゃん」とその泣き声を微笑ましく受け止める人がいる一方、耳にした途端に不愉快そうに顔を歪める人(根っからの子ども嫌い)もいます。音の大きさが大きければそれが騒音とは言えないし、音声の帯域だからノイズではないとは言えないのです。

奏音・・・音楽はわたしたちの心にやすらぎを与えてくれます。楽器を演奏するその音色が「奏音」です。奏音が、心にオアシスを与えてくれるといっても言い過ぎではないでしょう。しかし、同じ楽譜の演奏であっても、演奏家のだれもがわたしたちに心のオアシスを与えてくれるわけではありません。音程不確かでリズムもなってない演奏だと聞かされた方は不愉快になってきますし、時には不安な気持ちに追い込まれてしまうことさえあります。そう、へたくその演奏はどうひっくり返してみたところで、周囲の人に心のオアシスを与えてあげることはできません。聞かされた方はというとそれは音楽ではなく酷いノイズにしか聞こえてこないことでしょう。周波数帯域や音の大きさが同じであっても、演奏家のそのリズム取り方の出来不出来によって結果はおおきく違ってしまいます。

◆操音・・・ある意味うるさく不快で不安さえ感じさせる音なのに必須な音もあります。いわゆるアラーム音、警告音、サイレンといった音や器機の操作に伴って生じる動作確認音などがそれにあたります。
これらの音には、意味が持たされています。意味が持たされそこに価値があることによって、煩くて不快な音にもかかわらず必要な音としてうけいれられています。
NHK緊急地震速報チャイム音は、映画『ゴジラ』のテーマ曲を作曲した伊福部昭さん(1914-2006)の甥である東京大学名誉教授・伊福部逹さんの手によるものです。緊急性を感じさせ、騒音下でも聞気取りやすい音、そして難聴者にも聞ける音で、他のどのアラーム音にも似ていない音という条件を設定して開発された音だそうです。

リンクをクリックすると音が出ます→(NHK緊急地震速報のチャイム音)

3.11の際、このチャイム音は大活躍しましたが、繰り返し余震がつづく日々の中、なんども繰り返し聞かされたこの音に「不安」や「恐怖」を紐付け(プライミング)してしまいこのチャイム音を聞くたびにPTSD的に具合が悪くなってしまう人が震災後しばらくの期間において続出しました。開発時には十分に検討していたはずの音色であっても実際に使われていくうちにその音の持つ意味や印象が変化していった良い事例のように思います(音の快不快とか好き嫌いという定義は極めて個人的なものであって第三者がそれを理解できるのは一部でしかありません。)

奏音にせよ操音であれ聞く人の心の状態や過去の経験が作用して、ときにそれらは不快感や恐怖感を生み出すのです。その逆にその耳にした音色に「うれしい」とか「楽しい」という気持ちがひもつけされたときには、他の人にとってのノイズであっても当人には幸せな音になるのです。冒頭で暴走族が発する音は沿道の人にとって騒音であったとしてもバイクや車を乗り回すその当人にとっては騒音ではなく爽音です。

爽音・・・楽しく嬉しい音、爽快な音を一言で言い表すことは困難です。騒音・噪音・奏音・操音のいずれであっても、個々人の体験とリンクしたときそれは爽音にもなり得る可能性があります。

わたしたち補聴器を取り扱う専門家が、ノイズをまるで周波数や音圧レベルのさじ加減でマネジメント出来ると考えるのは思い上がりじゃなかろうか。とぼくはそう思うわけです。

ここから先は

6,145字 / 7画像

¥ 990

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?