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「みんな大学教員になれば良いと思う。」

先日、私の説明の仕方が下手なせいで、誤った情報を発信してきてた。

「説明が下手なせいで」と書いたが、実際のところは丁寧に説明するのがめんどくさかった。
結果的に説明が下手になった。

「みんな大学教員になれば良いと思う。」
私がそう言い放ったのは友人に連れられて行った飲み会でのことだった。

20人規模の飲み会で、私は友人以外に知り合いはいなかった。
ざっくり言うと意識高い系の人たちの集まり
ただ、高学歴かと言うとそうではなく、高校を中退して会社を経営しているような人なんかも集まっていた。

そこで自己紹介をすると、やはり職業に興味を持たれる。
どんな仕事なのか色々聞かれる。

ただ楽しくお酒が飲める会だと思っていただけにちょっとめんどくさかった。

大学院生、大学教員、研究職の方だと少なからず理解してもらえるのではないだろうか?
ただの社交辞令で研究のことを聞かれても楽しくない。
専門的な会話ができるわけれもなく、頑張ってわかりやすく楽しそうに説明しても「そうなんだ。難しいね。」で終わる。

労力の割に合わない。

それに、普通の会社員には初対面で仕事のことを根掘り葉掘り聞かないだろう。
世間一般の人は大学教員には何を聞いても良いと思っているのだろうか。

そんな感じなので、仕事のことを聞かれても気分が乗らないと適当に受け応えてしまうのが私の悪い癖だ。

「大学の先生ってどんな仕事をしてるの?」
→「会議以外は自由に時間が使えるのでぼーっとしてます。」

(次の研究助成金を当てるための作戦を考えたり、今進めている研究の出口を考えたり、何かしら妄想に耽っている時のことを私は日頃から「ぼーっとしている」と表現している。)

「研究はしないの?」
→「実験を構築する部分はやるけど作業的な部分はほとんど学生さんがやってくれます。」

「今週は何してたの?」
→「興味のある論文を探して読んでたかな。」

実際はこれに限った話ではないのだが、秘密保持の関係で話せないこともたくさんあるし、論文を書きながら膨大な量の論文を読み漁ってたのは事実だ。

すると次に就職の話になった。

「大学の先生ってどうやったらなれるの?」
→「千差万別だからこうやればなれるっていうのはないから私の話になるけど、みんなが就活して卒業していく中、ずっと大学に残ってたらボスから教員の道を勧められた。」

「そうなんだ。なんかいいな。僕も大学の先生になろうかな(笑)」「ねー。楽しそう。」
周囲の人間は口を揃えた。

この人たちは知らないのだ。
教員になるためには、どれだけ実験をしてどれだけ論文を書かなければいけないのかを。

でもきっと本気で大学教員になりたいわけじゃない。

だから私はこういった。
「本当に今の生活は自由で楽しい。みんな大学教員になれば良いと思う。」

今思い返せばなんて無責任な言葉だと思う。
ただ、相手にしていた人は誰も本気で大学教員に興味があるわけではなさそうだった。

だから、受け答えもこんな感じでちょうど良いだろう。

ただ、今の生活は比較的自由がきいて楽しいのは事実だ。
だから、本気で研究職を目指したいと思っている人には全力で話をしたい。



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