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ディストピア化する都心で「バルス」を叫ぶ!

とってもとってもクレイジーな世界。
昨日ふと、都心の電車内で、入力される感覚情報の全てがノイズだと気づいて愕然とした。
広告・ニュース・色彩・音・ピリピリした感情エネルギー...全てがノイズで。
どうも感覚が鈍いから、調子悪いのかな?と思ってみたが、そりゃ防衛本能として閉じて当然だ。
入力される情報がノイズだらけなこの世界で、人のシステムが健全になるはずがない。
元々そういう風に作られた社会構造なのだが、最近、そのクレイジーさが隠しきれなくなっている。

オリンピックなんて、元々スポーツマンシップを悪用した利権ちゅうちゅう活動だから、大変冷めた目でみていた万年帰宅部の私。。。
しかし、従来であればそれでも、真剣に取り組み自分超えをしていく選手に人類の可能性を見出し、それを応援する人々の心には何かしらの感動を与えていたに違いない。

が、「犠牲」を払ってまでやれというバッハ会長の発言を踏まえて、オリンピックが民のためではないのは明らか過ぎてもはや失笑。

元々、民は犠牲者となり、無意識に生きていると、勝手に搾取され、勝手に病気になっていく社会構造なのだが、この茶番劇のボロが出過ぎていて呆れるレベル。

ここで立ち上がらないと、終末は近いぞ!

と、ディストピア化して苔むした東京のビル群を想像してみるのだが、残念ながら岩と違って水が入る隙間がないコンクリートには、菌根菌の菌糸が入り込めないので、苔もむさない。
ラピュタの墓みたいにはならない。
ただの、劣化したビル群など、絵的にもつまらぬわ!

「バルス!」と叫ぶギリギリのところ。

しかし、こうなるとエネルギーが湧き、
みておれ、世界は美しいのだ!
人は強いのだ!
と、火がつく反骨精神は、明らかに父母譲りですわ。
血が騒ぐわ〜。

しかし、戦いではないのです。
二元論では世界は変わらないから、全てを包んで超えていくんだい!

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