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受容と二律背反

イスラエルという国を一言で表すなら二律背反である。一見相容れないような矛盾した出来事、正命題と反命題がここでしかありえないバランスで拮抗しながら共存しているから日常生活もスリリングだ。

イスラエルは民族主義色のきわめて強い国というイメージが一般的だと思う。それは事実である一方、市民レベルではまだまだ形骸化しない民主主義が活きている国でもある。イスラエル人は「私はこう思うけど、言ったところで何も起きないだろう」とは考えておらず、皆が思うことを話合った結果、必ず合理的かつ民主主義的解決がなされる。小国ならでは、自分の言動が国政にも影響すると思っている国民が大半で、選挙の日は公休となりメディアも街もお祭りムードで盛り上げる。日本もそうであればいいなと思う。

これは生い立ちも文化も違う人間たちが集まり暮らすため、みんなが違って当たり前の環境で「受容性」 が育まれ、結果「違うことは特別で素晴らしいこと」という意識が自然と根付いているからと言えないだろうか。だからみんなが徹底的に話合い、たとえ一見矛盾したようなことでも受け容れ合うことで「受容性」と「二律背反性」が育まれるのだと思う。    

10代の頃は左翼のユースメンバーとして活動していた夫と、右翼かつコンサバティブな宗教家の義父。お義父さんが神様の話をしようとすれば夫は「もう20年もこの話してきてるよね。神はいない、それが俺にとっての真実だ」と笑って答える。喧嘩している訳ではない。若い頃は衝突することもあったようだが、それでも家族は家族。認め、受け容れる。平均的・没個性であることが美徳とされる日本とは対局をなす世界である。苦労も多く憎たらしく思うことも多いが、心底嫌いになれないのはイスラエルという国とイスラエル人の愛嬌ゆえなのかも知れない。

※ 写真はエルサレム旧市街のダマスカス門


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