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アルジャナン・ブラックウッド「Jimbo's Longest Day」試訳

 3月14日は英国の怪奇幻想作家アルジャナン・ブラックウッド(1869~1951)の誕生日です。というわけで、短篇集『Ten Minute Stories』より「Jimbo's Longest Day」を訳してみました。想像力豊かな少年ジンボーと夏至の神秘を描いた作品です。

ジンボ―のいちばん長い日

アルジャナン・ブラックウッド
渦巻栗 訳

 夏至は子どもからすると不思議な、言いつくしがたい期待感を秘めている。日の出がとても早いというのがその理由のひとつで、一日の半分――午前中――が夜の神秘をたたえているのだ。夏至は、あたかも妖精郷からやってきた、日常の忙しさや焦りとは無縁のものように、こっそり世界へ忍びこむ。あまりに長いので慌ただしい出来事はまったくなく、日が照る間はずっと心地よいゆとりがあり、百もの計画をのんびりこなせる。「もう終わり!」という声もなく、「早くしなさい!」とせかす者もおらず、たしかに時は経つのだが、それとわかるはじまりもはっきりした終わりもない、ループを描く夢のように過ぎてゆく。夏至と比べるとクリスマスやイースターですら短く、あっという間に思える。そうした記念日は時計で計れるからだ。夏至は夜明けから夕暮れまで楽しい、終わりなき驚きで満ちている。予想外の事件は夏至ならではだ。
 これらすべてに加えて、おとながきちんと理解できない何かが、ジンボーの質問にこっそりまぎれこんでいた。
「おじさん、あしたは夏至だよ。何しよっか」彼はちらっと母親を見やって、そんなことやめときなさいという言葉に備えた。が、母親は盗んだ本に夢中で話を聞いていない。ジンボーはわたしを見た。「大丈夫、母さんは聞いてない。けど、できたら外で話し合おうよ」そんな顔つきだ。だがわたしは、念のため、こちらへ来るよう合図した。わたしの立場は盤石だとわかっていた。というのも例の盗品の本はわたしの本であり、わたしの書き物机から取っていったものだからだ。ジンボ―の母親はそうやって本を盗むわけで、その情熱といったら不道徳もいいところだった。書評を書いてくれと本が送られてきたり、友達が本を贈ってくれたり、わたしが買ったり借りたりして――本が家の敷居をまたいだ瞬間、彼女は感づく。「ちゃんと掃除してるか、ちょっと覗いてみただけよ」というのが決まり文句だ。「お邪魔してごめんなさいね」そして出て行く。が、彼女はもう新しい本を見つけている。不思議な直感だ。郵便配達員を買収しているんじゃないかと考えたこともあった。彼女は新着の本を嗅ぎつけて、まっすぐやってくる。「これ、探してたの?」一時間もしてわたしが問い質したら、彼女は家計簿をほったらかして無邪気にそう言うだろう。「ごめんなさいね。ちょっとめくってただけなのよ」彼女は手に負えない上に、厚かましいときている。何にせよ、本がなくなったことはない。「母さんが取ってったよ」という言葉がいつも隠し場所を教えてくれるのだ。
 というわけで夏至の予定をジンボーと話し合っても大丈夫だと感じ、あけっぴろげにおしゃべりしながら、彼女がページを繰るのを見ていた。
「お日さまが昇る瞬間が好きなんだ」とジンボー。「日の出を見たいな。お日さまは三時四十四分に昇るんだよね。四時十五分前か――いつも起きる時間の三時間十五分前だね。どうしたらうまく起きれるかな?」彼は入念に計画を練っていたのだ。
「夜なんてないようなものだよ」わたしは言った。「太陽が沈むのは八時十八分だから、まっくらな時間は本当に短い。いいかい、二時にはもう明るくなるんだ」
 彼はじっとわたしの顔を見た。「マリアが目覚まし時計を持ってる。それでいつも起きてるんだ。ほら、屋根裏のマリアのベッドのそばにあるやつだよ」
 母親がぱらりとページをめくったが、目はあげなかった。怖がる理由などないのに、わたしたちはつい声を低めた。いかにすばやく、巧みに約束を交わしたかはとても言い表せない。おかげでわたしが時計を盗み、二時きっかりに設定し、起きて、着替え、ジンボーを迎えに行くことになった。が、その結末は火を見るよりも明らかだったから、わたしは男の義務として任務を引き受けた。かたじけなくもジンボーは心躍る冒険を譲ってくれたのだ。「時計が鳴らなくて起こしてくれなくても」彼は心もとなげに尋ねた。「ちゃんと起きて鳴らしてくれるよね? そうしてくれないと、きっと日の出を見逃しちゃうから」わたしが心のはたらきと目覚まし時計の仕組みについてちょっと説明すると彼は満足したようで、それからもうひとつ重要な質問をした。「夏至ってほんとは何なのかな、おじさん? 一日なんていつもだいたい同じだと思ってたよ――こんな風に」と言って片手で空中に線を描いたので、テリアのマックは遊んでほしいのかと勘違いしてしまった。わたしがまた満足するように説明すると、彼はもぞもぞと身を寄せてきて、肩越しに母親を見やってから「何もかもが夏至だって知ってるのかな――鳥も、牛も、世界中の野原に住んでる生き物たち――その、うさぎとかも――そうなのかな? みんな知ってる?」と訊いた。
「みんな気づいてるさ。ほかの日、いつもの、何でもない普通の日より長いってね」とわたし。「間違いないよ」それからやかましく咳払いすると、ジンボ―の母ははた目にもわかるほど驚いて本から目をあげた。「あら、本当にごめんなさい」顔を赤らめもせずにずけずけと言ってのけた。「あなたの本、要るかしら? 探してたの? あたしはちょっとめくってただけで――」わたしが本を小脇に抱えて部屋を出るときにふり向いてみると、ジンボーはもう姿を消していた。
 その夜、ジンボーは文句も言わず八時半に床に就いた。彼はわたしを信じきっていた。「時計取ってきた?」とか「どうやって取ってきたの?」とか尋ねることはせずに――わたしがそれを取ってきていて起こしてくれるという揺るぎない確信だけを抱いていた。しかし、彼は階段でふり向いてわたしに手招きした。彼の後についてこのサセックスに立つ別荘の勝手口を抜けると、そこはもう果樹園だった。そして、彼は何も言わずに指さした。あちこちを指さし、あたりをじっと見つめ、耳を澄まし、わたしの顔を見あげてから果樹園を眺め、またわたしの顔を見た。ちっちゃな体でせいいっぱい背伸びして、目を光らせ、見つめ、聞き耳を立てている。最初、わたしはがっくりした。変わったものなどどこにも見当たらなかったからだ。「ねえ、何を指してるんだい?」そう言わんばかりの態度だっただろう。しかしふたりとも無言だった。サフラン色の空がりんごの幹の向うで輝き、つばめの群れがひらりひらりと空を翔ける。くろうたどりが一羽、見えないところでさえずった。生け垣の向うでは大きな牛が頭をこちらへ突き出したが、体は隠れたままだ。手前にはみつばちの巣箱が見える。大気は凪いでいて、かぐわしかった。パイプの紫煙もほとんど揺らぐことなくとどまっている。わたしは脚から脚へ体重を移し替えた。
「ああ!」ため息をまじえて意味ありげにつぶやいた。「ああ!」
 ジンボ―にはそれで充分だった。わたしが自分と同じものを見て理解したとわかったのだ。一歩近寄ってきたその顔は、大まじめで期待感に満ちていた。
「ほら、もうはじまってる。すてきだよね。みんなわかってるんだ」
「それに準備万端だ」わたしはつけ加えた。「身構えてる」
「いちばん長い日に、ね」彼はそうささやいて、あたりを見まわした。弾む心を抑え、必要なら、地球がじきに回転をやめると信じそうな気配だ。不思議そうに空を見やると、一瞬だけ激しいよろこびに身を震わせてわたしの手をこっそり握りしめ、そして小鬼のように屋敷のなかへ消えた。しかし、その後には彼のちっちゃな存在が呼び起こした何かが漂っていた。驚きや期待感はまさに力の言葉であり、胸の高鳴りが下地をつくり、そこへ想像力が妖精の群れを連れてくるのだ。わたしはジンボーが見た光景を実感し、理解した。果樹園、牛、みつばちの巣箱、すべてが違って見えた。あたかも何かがやってくるとでもいうかのように、さし招いていた。夏の宵闇が広がって、空はいつもの六月の夕暮れとは思えぬ色に染まった。夏至前夜が妖精たちを解き放ったことをジンボーは知っていたのだ。薔薇があちこちで羽ばたいているかに思えて……ライラックの花が目を見張り……空の彼方、瞬く星々にスカートのはためきを聞いた……。
 その様子はとても言い尽くせない。というのもわたしが床に就いたときは頭のなかで羽や花が飛びまわっていたからだ。その夜は魔法にかけられたように静かで、たった四時間の透明な闇はすべてをさらけ出してほのかにきらめいているかのようだった。マリアの目覚まし時計はわたしのベッド脇にはなかった。要らなかったからだ。ジンボ―と夏至がわたしに魔法をかけていた。その魔法は何時間とか、何分とか、何秒といったものでは計れなかった。心地よく、不可解だった。しかし、いつものわたしはぱっとしない人間であり、時は金であり金は並大抵の努力では手に入らないと承知している。が、魔法は見返りを求めなかった。ジンボーがこれを成し遂げたのだ。
 それでわたしの方はジンボ―に何をしてやれたか? とても言い表せない。彼が成し遂げたのは大いなるいにしえの神秘なのだ。彼は信じ、感じ入り、無意味な質問などせずに待った。時間と空間は彼の威厳あふれる幼い意志に屈した。彼は目を覚ましていても眠っていても夢を見て、新たに世界を創った。わたしはその夜、一睡もしなかった。めぐる星座が昇り、移ろうのを見守った。世界は、澄みわたった夏の夜は神々の沈黙で満ちていた。きっとわたしは開けた窓のそばで夢を見ていたのだろう。そこには薔薇とクレマチスが這い登り、かわいらしい芝生を見おろして、星の美をふりまくランプのように輝いていた……。一時半、東の空がひそひそささやきはじめて〈誰か〉の到来を告げると、わたしは椅子から腰をあげ、忍び足で狭い廊下をジンボーの部屋へ向かった……。わたしは悪知恵に自信があった。ジンボ―を起こして、いちばん長い日がはじまるよとささやけば、彼はきっと目を半分だけ開けて、幼い子どもらしくぐっすり眠りながら寝返りを打ち、寝言のように「何でもいいよ」なんてつぶやくだろうと思っていたのだ。だから、正直なところちょっとくたびれて部屋に行ってみると――びっくりしたことに――ジンボーは開き窓にちょこんと乗っかって、ぱっちり目を見開いていた。一睡もせず、まどろみもしなかったのだ。五感を研ぎ澄まして見張っていたが、わたしと同様、見るからに疲れていた。
「ジンボ―」わたしはささやきかけて、そっと近寄った。「夏至はもうすぐそこだよ。空から降りてくるのが聞こえるくらいだ。きみがいままで見たどんな夢よりも優しいよ。外に出てみるかい――よかったら――果樹園から見てみようよ」
 彼はこちらを見た。寝間着姿で小鬼みたいだ。目をいっぱいに見開いているものの、気を抜くとまぶたが落っこちてしまうのだった。
「おじさん」とかぼそい声で言った。「夏至がやっと来たんだね? ものすごく遅かったけど、きっとものすごく長いからだよね。すてきだなぁ」
 それからわたしはジンボーを寝かしつけた。肩までシーツにくるまる間もなく彼は眠ってしまい……そして翌朝、朝食の席で会ったときはこっそりこう尋ねただけだった。「母さんもぼくらが見たものを見たり想像したりしたのかな?」わたしたちはテーブルを挟んで、暗号でいっぱいの視線を交わした。母親の手紙は皿のそばで積み重なっており、その下に本が一冊あった。盗まれたわたしの本だ。どうやら夜半過ぎまでむさぼり読んでいたらしい。
「いいや」わたしは小声で言った。「母さんは何も気づいてないと思うよ。それに」とつけ加えた。「きょうはいちばん長い日だから、何にしても母さんは気づくまでたっぷり時間がかかるよ」彼は満足したようだった。わたしは胸の内がすっきりしたのを感じ、もう何も言わなかった。

Cover Photo by Wojciech Święch on Unsplash(https://unsplash.com/photos/SZ9jmeD9jIg)

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