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アイドルの源流を探る

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「アイドルとは一体何か」という根源的な問いにぶつかった著者による、アイドルジャンルの"副読本"。これだけ巨大化・国際化しているにも関わらず、いまだすっぽりと抜け落ちているジャンル… もっと読む
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2024年1月の記事一覧

アイドルの「出発点」

アイドルの「出発点」 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、近代化が著しく進む社会は、国民教育の仕組みの中に「若者」を創出した。 そして若者の創出は同時に「若者ゆえの不条理」も創出する。 それは半ば一方通行の社会的区分と社会情勢の摩擦から生じてしまう、誰もが逃れられない不条理であった。 フランスの作家、アルベール・カミュは随筆『シーシュポスの神話』で、不条理をこう定義している。 「理性では割り切れない世界」と「明晰を求める死物狂いの願望」。 人がこの対峙に耐えきれなくな

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1944年のフランク・シナトラ

若者と表現者たちの解逅、それは「不条理」の果てに ②1944年のフランク・シナトラ かつて一世を風靡した「ロストジェネレーション」や「フラッパー」たちの享楽的華やかさが、混迷を極める国際情勢の中ですっかり遠い過去になっていた1944年。 ラジオから流れてくるビング・クロスビーのささやく歌声に魅了され、歌手を志したフランク・シナトラは、トミー・ドーシー楽団の所属歌手として発表した『I'll Never Smile Again』が大ヒットしたことをきっかけに、自身もまたスター

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1936年の明日待子

若者と表現者たちの解逅、それは「不条理」の果てに ①1936年の明日待子 日本社会の近代化と閉塞感が急加速していた1920年代末~1930年代初頭、心の逃げ場としてエロ・グロ・ナンセンスが流行したことは既に触れているが、実はほぼ同じ時期に、一部の若者はまた少しベクトルの異なる華やかさにも逃げ場を求めていた。 ちょうど全盛期を迎えていたレビュー・軽演劇の分野における、少女スターである。 1913年の宝塚唱歌隊、現宝塚歌劇団誕生から始まる日本のレビュー(歌・ダンス・寸劇を組

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