前回(3)、前々回(2)と、ユネスコ資料の中で、「AI とはなにか?」を知るための第2章について述べていきました。
今回は、第2章後半の内容(下の目次の2.4〜2.7まで)について述べていきます。前回、第2章の前半を記した(3)はこちら。
資料の目次はこちら。
0. 前説(シンギュラリティとは?)
AI というと、
「人間にとって置き換わる機械」
「人間を滅ぼす可能性のある機械」
「人間を堕落させる機械」
といった話が、日本国民には幼い頃より、漫画やアニメ、SF小説やSF映画によって確証性バイアスを発揮させるような刷り込みがなされているのかもしれません。
・便利な道具で、小学生を堕落させる自律型AI搭載猫型ロボットとか。
・補完計画発動のための汎用人型決戦兵器のダミープラグとか。
・補完計画に出てくる「東方より来たりし三賢者」と同名のスパコンとか。
・「Ghostが囁く」義体化した公安9課とか。
・海外で申せば、「I'll be back」する映画とか。
・24世紀に任務を続行し、勇敢に宇宙空間を探索する陽電子頭脳とか。
(全部わかった人は、それなり凄い!)
全てフィクションなんですが、人工知能が行き着く先の現実になるやもしれません。
でも、21世紀において、本当にそうなるのでしょうか?
人工知能が人間の知能を超える「シンギュラリティ」という語もあります。
(シンギュラリティについては、以下のリンクをご参考に)
シンギュラリティにより、いろいろと世界が変わる、社会が変わる、価値観が変わる、のでは?とも考えられています
「その門を開いたのは、生成型AIだ」
というエンジニアの方もいれば、
日本政府の政策文書的に申せば、
「Society5.0 の幕開けだ!」
となる政府関係者もいるかもしれません。
1.「強いAI」と「弱いAI」
前置きが長くなりましたが、
『AIの理想型は、なんでも解決できちゃう汎用型人工知能』
=Artificial General Intelligence
これを「強いAI」といいます。
AI に関しての業界用語は様々ありますので、用語を簡略に知るには、以下のリンクの用語集が便利で推奨です。
この「強いAI」に対して、「弱いAI」とはどのようなものかと申せば、
(2)でも記していますが、例えば、以下のような事例が該当します。
いわば、用途に限定されて構築・運用されている AIが、「弱いAI」と言えるでしょう。
「弱いAI」と言えども、社会には十分に貢献しているのは事実ですし、上記のように、「計算処理」能力については、既に一般的な人間を超越していることでしょう。
(1)で述べたように、日本の学校教育や教育産業・学習支援業にも、既に「弱いAI」は導入されており、十分に貢献しています。
では、ChatGPTをはじめとするLLM(大規模言語モデル)の生成型AIは、「強いAI」なのでしょうか「弱いAI」なのでしょうか。
結論から申せば、「弱いAI」です。が、「強いAI」に近づいた「弱いAI」と言えるでしょう。
AutoGPTやBabyAGIというAIサービスが出現し、「AGIの幕開けだ」とする論もたまに見かけますが、はたしてどうなのでしょうか。
教師用(学習用)データセットは、人間の、いや、人類の持つデータの莫大さを考えると、どのようなものなのか、気になります。
2.AIの能力と限界に対する批判的見解
2021年段階でのAIの能力と限界について、ユネスコ資料(2021)では、2章の5で、以下のように示しています。
今回は「AIと教育」というお題で、2021年時点に執筆されたユネスコの資料ですので、実際には、GPT-3の登場時期には間に合っていますが、現在のようなChatGPT(GPT-3.5)の登場よりも前の情報です。
実際に、ChatGPTの教育利用については、OpenAIも公式で述べています。
案外、学校での授業や学習支援業でChatGPTを使用している方も読んでいない人が多そうです。英語だし(笑)
ましてや、教育実習未経験のエンジニアの方々が書かれた「教育にも使えますよ」的な記事の大半にも、このページに触れている割合は、少ないように感じます。
おそらくは、教育用途についてはChatGPTは、まだ「弱いAI」であることをOpenAI社は自覚した上で、教員が注意深く考えながら、監督しながら、学習者と一緒に使って下さいね、というところでしょうか。
どのように使えば良いのか?
可能性と禁忌と、テクノロジーの文脈と教育の文脈と。
浅い二項対立化しやすい話になりやすい議論のタネですが、社会に出れば、既にAIは入り込んでいる状態で、よりAIの利活用が促進される未来で生きざるを得ない、現在のこどもや若者に対する教育を考えなければならない話題ですので、「なんでもダメ」←→「どんどん使わせろ」の間での深まる議論にならないといけないのでしょう。
3. 人?AI?
2元論の話で思い出すと、知能は人間が優るのか、AIが優るのか、というのも、よくある議論と思います。
そこで出てくるのが、「モラベックのパラドックス」です。
やや詳しい話は、こちらでどうぞ。
ユネスコ資料(2021)の第2章の6では、「人間と機械協調知能」という話が述べられています。
これまでの学校教育では、学習者個人が中心で、個人オンリーで学んでいくことが求められています。
それが、生成型AIの登場で、『学習者個人』から、学習者+AIという、それぞれの「強み」「弱み」を活かした『チームでの学び』をする、という選択肢も増えたように考えます。
ただ、すぐに「学習者+AI」の『チームでの学び』について実装しろという話ではなく、中長期で考えて、学校教育に実装するかしないかの話になることでしょう。
4.学校教育の先にあるもの
当然ながら、学校教育の先には、社会で生きていく≒就業する、ことが待っています。
就業は、雇用情勢にも関係する話ですので、本資料では、第2章の7で、第2章の締めくくりとして、「第4次産業革命とAIがもたらす雇用への影響」が述べられています。
これからの時代を生きる「こども・若者」には、テクノロジーの進化に伴って、稼いで食っていくためにも、生涯にわたって学習(アップスキルやリスキル)をし続けなければならない時代になることは確実でしょう。
現在でも、DX(デジタルトランスフォーメーション)の文脈で経済界では「リスキル」がなされ始めています。
一昔前は「社内公用語は英語で」というのも、リスキルの一つだったのかもしれませんが、今後は、
『AIについて学ぶこと』
『AIを使いこなせること』
というのは、義務教育期間で必修で教えなければならない時代となるのではないでしょうか。
現在の学習指導要領のように、10年に1回の改訂では、テクノロジーと社会の変化に学校教育が、そこで学ぶ児童・生徒・学生が社会についていけなくなるような変化の速度が増した時代の中で、教育政策のあり方自体も変わらざるを得ないことは、想像しやすい話に感じます。
さて、どうなりますやらね。
ということで、次回から「AIと教育」の本題である第3章、
『AIと教育を理解する:新たな実践と利得-リスク評価』
に入ります。