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学校教育関係者のためのAI×教育(4)

前回(3)、前々回(2)と、ユネスコ資料の中で、「AI とはなにか?」を知るための第2章について述べていきました。
今回は、第2章後半の内容(下の目次の2.4〜2.7まで)について述べていきます。前回、第2章の前半を記した(3)はこちら。

資料の目次はこちら。

目次:UNESCO資料(2021)

0. 前説(シンギュラリティとは?)

AI というと、
「人間にとって置き換わる機械」
「人間を滅ぼす可能性のある機械」
「人間を堕落させる機械」
といった話が、日本国民には幼い頃より、漫画やアニメ、SF小説やSF映画によって確証性バイアスを発揮させるような刷り込みがなされているのかもしれません。
・便利な道具で、小学生を堕落させる自律型AI搭載猫型ロボットとか。
・補完計画発動のための汎用人型決戦兵器のダミープラグとか。
・補完計画に出てくる「東方より来たりし三賢者」と同名のスパコンとか。
・「Ghostが囁く」義体化した公安9課とか。
・海外で申せば、「I'll be back」する映画とか。
・24世紀に任務を続行し、勇敢に宇宙空間を探索する陽電子頭脳とか。
(全部わかった人は、それなり凄い!)
全てフィクションなんですが、人工知能が行き着く先の現実になるやもしれません。
でも、21世紀において、本当にそうなるのでしょうか?

人工知能が人間の知能を超える「シンギュラリティ」という語もあります。
(シンギュラリティについては、以下のリンクをご参考に)

シンギュラリティにより、いろいろと世界が変わる、社会が変わる、価値観が変わる、のでは?とも考えられています
「その門を開いたのは、生成型AIだ」
というエンジニアの方もいれば、
日本政府の政策文書的に申せば、
「Society5.0 の幕開けだ!」
となる政府関係者もいるかもしれません。

1.「強いAI」と「弱いAI」

前置きが長くなりましたが、
『AIの理想型は、なんでも解決できちゃう汎用型人工知能』
=Artificial General Intelligence
これを「強いAI」といいます。
AI に関しての業界用語は様々ありますので、用語を簡略に知るには、以下のリンクの用語集が便利で推奨です。

この「強いAI」に対して、「弱いAI」とはどのようなものかと申せば、
(2)でも記していますが、例えば、以下のような事例が該当します。

・Auto-journalism
・AI legal services
・AI weather forecasting
・AI fraud detection
・AIを活用したビジネスプロセス
・スマートシティ
・AI ロボット

UNESCO資料(2021)2.1節

いわば、用途に限定されて構築・運用されている AIが、「弱いAI」と言えるでしょう。

AI科学者は、強いAIとして知られる人間レベルの人工知能(AGI)を夢見て出発しましたが、2.1節の各アプリケーション(上述の引用)は、実際には狭いAIまたは弱いAIの例です(Searle, 1980)。 それぞれのナローアプリケーションが動作する領域は、厳しい制約と制限を受けており、AIを他の場所に直接適用することはできません。
例えば、天気予報に使われるAIは株式市場の動きを予測することができず、自動車の運転に使われるAIは腫瘍を診断することができません。それでも、人間的な意味での「インテリジェント」ではないものの、これらのアプリケーションのそれぞれは、効率や耐久性、そして膨大な量のデータから重要なパターンを特定する能力によって、しばしば人間を凌駕することができます。

UNESCO資料(2021)

「弱いAI」と言えども、社会には十分に貢献しているのは事実ですし、上記のように、「計算処理」能力については、既に一般的な人間を超越していることでしょう。
(1)で述べたように、日本の学校教育や教育産業・学習支援業にも、既に「弱いAI」は導入されており、十分に貢献しています。

では、ChatGPTをはじめとするLLM(大規模言語モデル)の生成型AIは、「強いAI」なのでしょうか「弱いAI」なのでしょうか。
結論から申せば、「弱いAI」です。が、「強いAI」に近づいた「弱いAI」と言えるでしょう。

AutoGPTやBabyAGIというAIサービスが出現し、「AGIの幕開けだ」とする論もたまに見かけますが、はたしてどうなのでしょうか。
教師用(学習用)データセットは、人間の、いや、人類の持つデータの莫大さを考えると、どのようなものなのか、気になります。

2.AIの能力と限界に対する批判的見解

2021年段階でのAIの能力と限界について、ユネスコ資料(2021)では、2章の5で、以下のように示しています。

AIを3つの基本的な成果のタイプで考えることは有効かもしれません:

◆「本物の急速な技術進歩」を示すAI技術は、主に「知覚」(スキャンからの医療診断、音声からテキストへの変換、ディープフェイクなど)を中心としたものである(Narayanan, 2019)

◆(スパムやヘイトスピーチの検出、コンテンツの推薦など)判断の自動化を中心とした「完璧とは言い難いが、改善しつつある」AI技術(同上)

◆「根本的に疑わしい」AI技術で、主に社会的成果(犯罪の再犯率や仕事の成果など)の予測が中心となっている(同上)。

重要なのは、ディープニューラルネットワークは信じられないようなタスクをこなすように訓練されていますが、できないこともたくさんあるということです(Marcus and Davis, 2019)。特に、彼らは純粋に知的なことは何もしていないのです。

"その代わり、統計学によってパターンを誘発するだけである。それらのパターンは、歴史的なアプローチよりも不透明で、より媒介的で、より自動的で、より複雑な統計現象を表現することができるかもしれないが、どんなに壮大な結果が出たとしても、それらは単なる数学の化身であって、知的実体ではない。((Leetaru, K. 2018.)"

UNESCO資料(2021)

知的エージェントには、ディープラーニングが今のところあまり得意でないことがあります。抽象的な推論が苦手なのです。また、初めて見るような状況や、比較的不完全な情報を扱うことも苦手です。私の考えでは、記号操作(ルールベースAI)とディープラーニングを一緒にする必要があると思います。両者はあまりにも長い間、別々に扱われてきたのです。(Marcus interviewed by Ford, 2018, p. 318)

UNESCO資料(2021)

今回は「AIと教育」というお題で、2021年時点に執筆されたユネスコの資料ですので、実際には、GPT-3の登場時期には間に合っていますが、現在のようなChatGPT(GPT-3.5)の登場よりも前の情報です。

実際に、ChatGPTの教育利用については、OpenAIも公式で述べています。
案外、学校での授業や学習支援業でChatGPTを使用している方も読んでいない人が多そうです。英語だし(笑)
ましてや、教育実習未経験のエンジニアの方々が書かれた「教育にも使えますよ」的な記事の大半にも、このページに触れている割合は、少ないように感じます。

https://platform.openai.com/docs/chatgpt-education

教育関連のリスクと機会の例

このテクノロジーがどのように使用されるか、また、人々がこのテクノロジを使用してどのような種類のアプリケーションを探索できるかについては、まだ理解の初期段階にあります。ジェネレーティブ AI の教育分野での多くのアプリケーションに期待を寄せていますが、他のテクノロジーと同様に、教育者の監督の下で教室に導入することが重要であると考えています。また、多くの教育者がテクノロジーの可能性と限界について疑問を持っていることも理解しています。

以下に大まかな概要を示します。このリストは包括的なものではありませんが、このテクノロジーを採用する際に考慮すべきことについて、さらなる議論と意見のきっかけとなることを願っています。添付の入力フォームで、これらの考慮事項に関するフィードバックをお待ちしております。

https://platform.openai.com/docs/chatgpt-education

合理化された個別化(パーソナライズ)された教育

教育者が ChatGPT のようなツールを使用して教え、学ぶ方法を模索している例をいくつか紹介します。

◆授業計画およびその他の活動のための起草およびブレインストーミング
◆クイズの質問やその他の演習の設計を支援する
◆カスタマイズされた個別指導ツールの実験
 さまざまな好みに合わせて教材をカスタマイズする (言語を単純化する、さまざまな読解レベルに合わせて調整する、さまざまな興味に合わせて調整した活動を作成する)
◆文章の一部について文法的または構造的なフィードバックを提供する
◆ライティングやコーディングなどのスキルアップ活動での使用 (コードのデバッグ、ライティングの修正、説明の依頼)
◆批評 AI 生成テキスト

上記のいくつかは、ChatGPT のパーソナライゼーションのツールとして検討される可能性を利用していますが、学習者のプライバシー、偏った扱い、不健康な習慣の開発など、そのようなパーソナライゼーションにも関連するリスクがあります。直接の監督なしにこれらのサービスを提供するツールを学習者が使用する前に、学習者と教育者は以下に概説するツールの制限を理解する必要があります。

同様に、教師はモデルを課題の作成や生徒のエッセイへのコメントに役立てることに成功したと報告していますが、ChatGPT 自体を評価ツールとして信頼するべきではありません。むしろ、教師はインプットとアウトプットの両方を注意深く確認し、利用ポリシーで概説されているように、AI システムを使用または依存した場所を開示する必要があります。

https://platform.openai.com/docs/chatgpt-education

おそらくは、教育用途についてはChatGPTは、まだ「弱いAI」であることをOpenAI社は自覚した上で、教員が注意深く考えながら、監督しながら、学習者と一緒に使って下さいね、というところでしょうか。

どのように使えば良いのか?
可能性と禁忌と、テクノロジーの文脈と教育の文脈と。
浅い二項対立化しやすい話になりやすい議論のタネですが、社会に出れば、既にAIは入り込んでいる状態で、よりAIの利活用が促進される未来で生きざるを得ない、現在のこどもや若者に対する教育を考えなければならない話題ですので、「なんでもダメ」←→「どんどん使わせろ」の間での深まる議論にならないといけないのでしょう。

3. 人?AI?

2元論の話で思い出すと、知能は人間が優るのか、AIが優るのか、というのも、よくある議論と思います。
そこで出てくるのが、「モラベックのパラドックス」です。

コンピュータに知能テストやチェッカーで大人並みの性能を発揮させるのは比較的簡単で、知覚や移動に関して1歳児並みの能力を持たせるのは難しいか不可能である。

(Moravec, 1988, p. 15)

やや詳しい話は、こちらでどうぞ。

ユネスコ資料(2021)の第2章の6では、「人間と機械協調知能」という話が述べられています。

AIの構築には人間が不可欠であることは、しばしば無視されます。多くの場合、人間は問題を設定し、質問を立て、データを選択し、スクリーニングし、ラベル付けし、アルゴリズムを設計または選択し、ピースをどのように組み合わせるかを決定し、結論を導き、価値に従って判断し、さらに多くのことを行う必要があります。したがって、多くのタスクが自動化されると思われますが、人間が果たすべき重要な役割はまだあり、それに対して適切に準備する必要があります(Holmes et al.、2019)。

実際、人間とAIの関係がますます複雑で微妙になっていることから、AIを構成し直し、「拡張知能(augmented intelligence)」として再ブランド化することが求められています(Zheng, 2017)

UNESCO資料(2021)

これまでの学校教育では、学習者個人が中心で、個人オンリーで学んでいくことが求められています。
それが、生成型AIの登場で、『学習者個人』から、学習者+AIという、それぞれの「強み」「弱み」を活かした『チームでの学び』をする、という選択肢も増えたように考えます。
ただ、すぐに「学習者+AI」の『チームでの学び』について実装しろという話ではなく、中長期で考えて、学校教育に実装するかしないかの話になることでしょう。

4.学校教育の先にあるもの

当然ながら、学校教育の先には、社会で生きていく≒就業する、ことが待っています。
就業は、雇用情勢にも関係する話ですので、本資料では、第2章の7で、第2章の締めくくりとして、「第4次産業革命とAIがもたらす雇用への影響」が述べられています。

今日、私たちが直面している多くの多様で魅力的な課題の中で、最も強烈で重要なのは、人類の変革に他ならない新しい技術革命をどのように理解し、形成するかということです。(Schwab, 2017, p. 1)

UNESCO資料(2021)より

インダストリー4.0には、3Dプリンティング、自律走行車、バイオテクノロジー、ナノテクノロジー、量子コンピュータ、ロボティクス、モノのインターネット(IoT)などの技術があり、これらはすべてAIに支えられています。実際、製造業、銀行、建設業、運輸業など、現代の職場にはすでにAIが偏在しており、システム全体の対応を必要とする意味合いを持っています。必然的に、失業と新しい職業の両方が増加することになります。最近の世界的な試算によると、2030年までに労働活動の30%が自動化される可能性があると言われています。その場合、世界で最大3億7,500万人の労働者が影響を受ける可能性があります。

UNESCO資料(2021)より

しかし一方で、AIをはじめとするフロンティアテクノロジーによって、独自の創造力や分析力、人間同士の交流が必要なハイスキルな仕事の幅が広がっています。つまり、多くの労働者の仕事がなくなる可能性があり、AIが可能にする新しい職業に就くために、アップスキルやリスキルといった新たなスキルセットを身につける必要があるのです。教育省(文部科学省)や訓練プロバイダーは、こうした変化を予測し、現在の労働者に必要な技術的・社会的な職業スキルを身につけさせ、新しい世代を準備することで、社会の持続可能性を確保しつつ、AIが介在する世界への移行をスムーズにする必要があります

UNESCO資料(2021)より

これからの時代を生きる「こども・若者」には、テクノロジーの進化に伴って、稼いで食っていくためにも、生涯にわたって学習(アップスキルやリスキル)をし続けなければならない時代になることは確実でしょう。
現在でも、DX(デジタルトランスフォーメーション)の文脈で経済界では「リスキル」がなされ始めています。
一昔前は「社内公用語は英語で」というのも、リスキルの一つだったのかもしれませんが、今後は、
『AIについて学ぶこと』
『AIを使いこなせること』
というのは、義務教育期間で必修で教えなければならない時代となるのではないでしょうか。
現在の学習指導要領のように、10年に1回の改訂では、テクノロジーと社会の変化に学校教育が、そこで学ぶ児童・生徒・学生が社会についていけなくなるような変化の速度が増した時代の中で、教育政策のあり方自体も変わらざるを得ないことは、想像しやすい話に感じます。

さて、どうなりますやらね。

ということで、次回から「AIと教育」の本題である第3章、
『AIと教育を理解する:新たな実践と利得-リスク評価』
に入ります。

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