KINZTOのDr.ファンクシッテルーだ。今回は「どこよりも詳しいVulfpeckまとめ」マガジンの、39回目の連載になる。では、講義をはじめよう。
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このマガジンで何度も登場しているのでご存じの方ばかりだと思うが、Vulfpeck(ヴォルフペック)にはメイン・シンガーがいる。それがこの、
Antwaun Stanley (アントワン・スタンレー)だ。
「Wait for the Moment」「1612」「Funky Duck」などのVulfpeckの曲は、ファンであれば何度となく聴いていることであろうし、そこに入っているアントワンの歌声が、Vulfpeckになくてはならないことも知っているだろう……。
さて、では、あなたはアントワンについては、どれだけのことを知っているだろうか?
出身は?いつから歌い始めた?得意なスタイルは?
そして、どうやってリーダーのジャックと知り合ったのか?
今回の記事では、こういった話をなるべく詳しく紹介していこうと思う。
まずは彼のヴォーカルについてや、人物像などの基本的な情報から初め……それからVulfpeck加入の話などについて触れていきたい。
アントワンの人物像
アントワン・スタンレーは、1987年、ミシガン州フリントのハーレイ病院に生まれた(生年はこちらの記事で2005年に高校卒業となっているため)。
そして彼は地元を強く愛し、故郷のフリントで生活し続けている。フリントは近年、水質汚染問題で大きな被害を受けた地域だが、彼はインタビューでもたびたび地元愛を語り、フリントを良くしていこうと働きかけている。
また、彼はステージ上ではハイテンションで動き回っている姿が印象的だが、本来は優しく穏やかな性格で、ステージに上がると活発な人間に変身するらしい。これについては彼が自ら語っている。
ゴスペルを基本としたスタイル
さて、では彼の歌について触れていこう。
アントワン・スタンレーの歌は、ゴスペルを基本としている。
彼はソウル・シンガーであり、ファンク・シンガーでもあると思うが――そのルーツは教会のゴスペルだ。例えば、このCory Wong(コーリー・ウォン)との動画を観ていただきたい。
ここで聴けるのは、深い慈しみに満ちた、包容力のある力強い歌声。こういったスタイルはまさに、ゴスペルならではのものだと思う。
ゴスペルは、1960年代にソウルの誕生に大きく貢献した。そしてレイ・チャールズ、サム・クック、アレサ・フランクリン、ジェームス・ブラウンなどによって、ゴスペルが持つ力強い歌い方はソウル・ファンクの中に深く深く入り込んでいるのである。
(ゴスペルの歌い方に関しては、こちらのアレサの動画がかなり分かりやすい👇)
前述した以外にも、当時のソウル・ファンクにおいて有名なシンガーの多くが、教会などで歌うゴスペル・シンガーからキャリアをスタートさせている。
そして結論から言うとアントワンも同じ道のりをたどり、教会からVulfpeckというファンク・バンドへ入っていくのである。
幼少期~レコード会社契約まで
それでは、彼のVulfpeckまでの道のりを、生い立ちから追っていくことにしよう。最初は彼が3歳の頃にまで遡る。
このように、彼の素晴らしい歌声は天性のものだった。この後、アントワンは教会を含めたさまざまな場所で歌うようになる。特に、彼は教会でシンガーとしての基本的なスタイルを確立し、同時にステージに立つことに慣れていったと語っている。
(👆牧師による"説教"と歌の例。こういった形で、教会では説教と歌と演奏が一体化し、人々の生活の拠り所となっている)
そしてこの後、アントワンはすぐに有名なオーディションやテレビ番組に出演。母親のサポートを受けながら活動を続け、そのまま10代でレコード会社と契約する。
アントワンがレコード会社と契約したのは、ちょうど高校生活の終わりのほうだった。ということはこのまま、プロのシンガーとして活躍し、大学へ進学しないという選択肢もあっただろう。
しかし、彼はそうしなかった。そこには、アントワンの母親の教育方針があったのである。
こういった理由で、アントワンはデビューアルバムをレコーディングしながら、そのまま大学へ進学することになった。彼は地元に残りたかったので、そこから引っ越すことなく通える、近所の大学を選ぶことになる。
そこに、運命の出会いが待っていることを知らずに――。
ミシガン大学にて
アントワンが進学したのは近場の名門校、「ミシガン大学」だった。
彼は大学2年生の時に、無事にバハダ・レコーズ(Bajada Records)からデビューアルバム「I Can Do Anything(2007)」をリリース。
このアルバムはゴスペルのアルバムであり、ビルボードのゴスペル・アルバムチャートにて最高22位を記録するヒット作となった。
アルバムリリースにあたってはMVを制作したり、テレビ出演なども行なっていた。今回の記事では、それらの貴重な映像も載せておきたい。
しかし彼は、同時期に重要な方向転換をすることになる。幼少期から基本的にゴスペルのみを歌い、17歳から3年かけてゴスペルのアルバムをリリースした彼だったが、高校~大学で過ごした時間が、彼を変化させていた。
この時期にさまざまな人種や音楽に触れたことで、
「ゴスペル以外の歌も歌おう、もっと多くの人と交流しよう」と考えるようになったのである。
こうしてアントワンは、大学でDicks and Janes(ディックス&ジェーンズ)というアカペラ・グループに参加する。
ミシガン大学にはアカペラ・グループが多く存在していたが、Dicks and Janesは学内でも有名な実力派グループだった。彼が歌っている映像も残されている。
ここで彼はメイン・シンガーとして歌っており、Dicks and Janesの内部でも高く評価されていたことが分かる。
さて、もちろん私はいま、何の意図もなく、アントワンがDicks and Janesに入った話をしているわけではない。
Dicks and Janesの話をしなければ、そのステージを観ていた「彼」の話ができないのである。
ここでついに登場した「彼」こそが、後のVulfpeckのリーダー、ジャック・ストラットン(Jack Stratton)だ。
ジャックもミシガン大学の生徒で、Dicks and Janesで歌っていたアントワンに目を付けたのだ。これが2人の出会いであり――そしてこのジャックが、アントワンの「ゴスペル以外の歌も歌おう、もっと多くの人と交流しよう」という想いを、最高の形で叶えることになるのである。
Groove Spoon加入
2009年、アントワンはジャックに誘われて「Groove Spoon(グルーヴ・スプーン)」に加入する。
Groove SpoonはジャックがVulfpeck結成以前に大学で組んでいたバンドで、Vulfpeckとは違って管楽器やヴォーカル、コーラスもたくさんいる大所帯のファンク・バンドだった。
音楽的には1970年代のスティーリー・ダンなどに近い、ファンキーなポップスのサウンドである。このあたりは実際に曲を聴いてもらったほうが分かりやすいだろう。
(こちらの記事でも、バンドの公式情報として、無人島に持っていくアルバムはスティーリー・ダンの「Royal Scam」だと書かれている。これは恐らくジャックのセレクトによるもので、実際に同アルバムの「Kid Charlemagne」は後にVulfpeckでカヴァーしている)
サウンドの方向性を決めていたのはジャックだったが、振り返って当時の録音を聴いて全体を俯瞰してみたときに、Groove Spoonのサウンドにおいてもっとも欠かすことができなかったのは、アントワンの歌声だったと私は考えている。
歴史的に有名なソウル、ファンクのヴォーカルの多くが教会とゴスペルを経由してきたことは最初に書いてきたが、Groove Spoonにおいても、プロのゴスペル・シンガーという経歴を持つアントワンが歌ったことで、演奏に類まれな説得力が生まれている。アントワンがいなければ、ここまで全体でリアルなファンク・サウンドになっていなかったのではないだろうか。
さらにこのGroove Spoonには、後のVulfpeckのベーシスト、ジョー・ダート(Joe Dart)も加入していた。この段階で、メンバー的にはかなりVulfpeckに繋がる要素が揃っていたことが分かる。
2009年~2010年の間に、ジャックとアントワンはGroove Spoonとして、ライブだけでなく複数のレコーディングを行ない、それらはbandcampやYouTubeで公開されていった。
また、Groove Spoonは2010年にオバマ大統領がミシガン大学で卒業式スピーチを行なった際、そのオープニングでライブを行なっている。
しかし、Groove Spoonは2010年、ジャックの大学卒業のタイミングで活動終了となり、そこからしばらく、アントワンとジャックは一緒に活動しなくなってしまう。
それでも――もちろんジャックは、アントワンのことを忘れてはいなかった。
そしてVulfpeckへ
ジャックは2011年、ジョー・ダートを含めたミシガン大学の仲間の4名で、Groove Spoonとは違った、シンプルでミニマルなファンク・バンドを結成する。
これがVulfpeckだ。
この時のコンセプトは、ヴォーカルを入れずにリズム隊だけでレコーディングするというものだったので、まずはアントワンが呼ばれることはなかった。
翌年、2012年のVulfpeckのレコーディングで、シンガーソングライターのジョーイ・ドーシック(Joey Dosik)がゲスト参加しているが、彼もヴォーカルではなくサックスで参加している。
しかし、この「リズム隊のみでレコーディングする」というスタイルは、ジャックは「架空のヴォーカルがいるフリをしてレコーディングする」「後からヴォーカルが入るためのカラオケをレコーディングする」という意味で捉えていたため、
Vulfpeckには、実はすぐにでもヴォーカルを入れることができたのある。
そして満を持して――Vulfpeck初のヴォーカルゲストとして、アントワンが呼ばれることになった。これが2013年のことである。
この後も、2014年の「1612」、2015年の「Funky Duck」、2016年の「Aunt Leslie」など、毎年リリースされるVulfpeckのアルバムに必ずアントワンは参加。
Groove Spoonもそうだったが、特にこのVulfpeckは、アントワンの「ゴスペル以外の歌も歌おう、もっと多くの人と交流しよう」という想いを、最高の形で叶えていくバンドだった。
Vulfpeckではソウル、ファンクなどを幅広く演奏し――さらに彼は、とても、とても多くの人たちと繋がることができた。メンバーだけでなく、多数のゲストや、モータウンのレジェンド・プレイヤー、フェスに一緒に出演して仲良くなった他のバンドなど、Vulfpeckへの参加を通して、アントワンは数えきれないほど多くの出会いを体験していくのである。
そして――2019年、Vukfpeckはマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)での単独ライブを敢行。
MSGは「世界でもっとも有名なアリーナ」と呼ばれ、ここでライブを行なうことは超一流アーティストの証明であった。マイケル・ジャクソン、マドンナ、プリンス、名前を挙げればきりがない。
この偉大なる名前の列にVulfpeckが入り、そしてジャックとアントワンは、2人揃ってMSGのステージを踏むことに成功したのだ。
そしてこのVulfpeckの成功にも、やはり、アントワンのゴスペル・シンガーとしての経歴が関係していると私は考えている。
もちろんジョーのベースが、コーリーのギターが、ティオやジョーイの歌声が、ウッディの鍵盤が、ジャックのドラムが重要な要素であり、それ以外にも本マガジンで述べてきたような様々な理由が彼らの成功を導いたことに疑いはない。
それでもやっぱり、アントワンの力強い歌声は別格なのだ。
これが教会からVulfpeckに入った彼の実力であり、また、3歳にして母親を驚かせた、天賦の才だと言える。Vulfpeckは、アントワンがいるからこそ、Vulfpeckとして成立しているのだ……。
以上、ここまでが今回の記事である。
今回はVulfpeck加入までの経歴を中心として書いてきたので、実はVulfpeck内部でのもっと詳しい話や、それ以外の彼の参加作については触れずに終わった。
次回の記事では後編として、そのあたりを解説させていただこう。まだしばらく、アントワン・スタンレーの世界にお付き合いいただきたい。
◆著者◆
Dr.ファンクシッテルー
宇宙からやってきたファンク研究家、音楽ライター。「ファンカロジー(Funkalogy)」を集めて宇宙船を直すため、ファンクバンド「KINZTO」で活動。
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