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「ファンクの歴史(下):ファンク現代編」発売開始のお知らせ 【さっと読める上巻・中巻のおさらい付き】

いつもお世話になっております。KINZTOのDr.ファンクシッテルーです。

ついに私の3冊目の本、「ファンクの歴史(下):ファンク現代編」が、AmazonのKindleストアにて発売になりました!

ついにシリーズ完結です!!!

(読み放題のサービス、Kindle Unlimited登録作品となっているので、Kindle Unlimitedユーザーはそのまますぐお読みいただけます)


つい先日、少年ジャンプでもファンクについて書かせていただきましたが、簡単に言うとジャンプに書かれている内容をさらに詳しくしたものが、私の本「ファンクの歴史」です。

👇ジャンプ記事に関してはこちら


今回のnoteでは、発売を記念して、下巻の紹介を…と、いきなり始めたいところですが、

前回の中巻発売から半年ほど経っていますので、まずは上・中巻の簡単なおさらいから入り、その後に下巻の紹介をしていけたらと思います。それでは、行ってみましょう!


上巻のおさらい

上巻は「ファンク誕生編」です。


ファンクは、ジェームス・ブラウン(James Brown、以下JBと表記)が誕生させたと言われている音楽です。

JBは1950年代にゴスペル・シンガーとしてデビューするのですが、同時期に流行していたロックンロール、ブルースなどを吸収し、1960年代に入ってからはマイルス・デイヴィスのモード・ジャズなども参考にして、まったく新しいダンスミュージック、ファンクを完成させます。

これがファンクの誕生と言われている曲。1967年の「Cold Sweat」です。

この曲で生まれたリズムが「16ビート」と呼ばれるものでした。


このリズムはこれまでの「スウィング」「シャッフル」「ロックンロール」などと違い、当時何十年と続いていた、3連符の要素が排除されていました。

簡単に言うと、当時、もっとも新しく、最高に踊れる、かっこいいリズムだったのです。

この「16ビート」とファンクが誕生するまでのストーリーが、上巻のメインとなります。1940年代~1960年代のブラックミュージックが、いかにしてファンクへたどり着いたか?という話です。


👇1940年代 ジャズ

👇1950年代 ロックンロール

👇1960年代 ソウル

👇1967年~ ファンク


そして、下巻を読む前に、上巻で特におさらいしておきたいポイントがあります。それは、JBのバンドは確かにファンクを誕生させた素晴らしいバンドだったのですが、

JBは罰金制度を導入するなど、メンバーに厳しくあたりすぎて、バンドが崩壊してしまったということ。

JBのバンドは、持続可能なバンドではなかったということです。

これを踏まえて、中巻へ進みましょう。


中巻のおさらい

中巻は「ファンク拡散編」です。

JBはファンクを誕生させましたが、JBのファンは黒人層がメインでした。

しかし、ファンクはある曲の登場によって、一気に白人層など世界へ広まっていきます。スライ&ザ・ファミリー・ストーンというバンドの1968年の曲、「Dance to the Music」です。

この曲によって一気に世界が新しいリズム、「16ビート」の虜になり、ありとあらゆる音楽がファンクの影響を受けていきます。

そう、ファンクを「拡散」させたのはスライでした。

結果的に1970年代はファンクの黄金期となり、さまざまなアーティストがファンクや、16ビートに挑戦します。


そして、ニュージャージー州で育ったひとりの青年によるバンドも、その流れに乗って大成功するのです。

彼の名前はジョージ・クリントン。バンドはパーラメント、そしてファンカデリック。後にP-FUNKと呼ばれる集団でした。

P-FUNKには、JBバンドの元メンバーが何人も参加していました。しかもそれらは皆、JBバンドでは、JBの次に人気を集めたプレイヤーたちでした。

なぜ彼らはJBのバンドを辞めて、P-FUNKに参加したか?理由は非常に簡単で、JBがメンバーに厳しくあたりすぎたからです。

P-FUNKはとてもユルい集団だったので、彼らはJBの元を離れ、P-FUNKでノビノビと音楽を楽しんでいきました。最終的に、彼らは1970年代でもっとも重要なファンクグループへと成長します。

しかし、P-FUNKは金銭面でもユルいグループだったため、結果的に経営面で崩壊します。

彼らもまた、持続可能な集団ではなかったのです。


そしてP-FUNKが黒人層を中心に圧倒的な人気を誇っていた時、実際に世界を躍らせていたファンクは、ディスコ・ミュージックでした。

JBの生み出した16ビートがソウルの中に入り込み、フィリー・ソウルというジャンルになり、それがさらに発展したものがディスコミュージックです。

ディスコミュージックは1975年から世界中で大ブームとなり、ありとあらゆる音楽がディスコの影響を受けていきました。最終的に、1977年の映画「Saturday Night Fever」のサントラ盤は、翌78年のグラミー賞最優秀賞を獲得。当時、世界でもっとも売れたアルバムとなります。


こうしたディスコ・ブームは、1979年の「Disco Demolition Night」を境にして一気に冷めていきます。

79年にはすべてのヒットチャートがディスコに浸食されていたので、人々の飽きによって時代が新しい方向へと進んでいくのは宿命でした。

これ以降、ディスコは世界的に黙殺されてしまい、ディスコ・ミュージックは恥ずべき文化だという烙印を押されていきます。


以上、中巻で特におさらいしておきたいポイントを2つまとめます。

①P-FUNKも持続可能なバンドではなかった

②ディスコ・ミュージックは1980年代以降、黙殺されてしまった


ここまでが、上・中巻の簡単なおさらいになります。それでは改めて、下巻の内容を紹介していきたいと思います!



下巻のストーリー

下巻は「ファンク現代編」です。

1980年~2020年のファンクの歴史について解説しています。


ファンク・バンドは1980年代に入ると冬の時代に入ります。ディスコ・ブームも去り、またデジタル・シンセサイザー、ドラム・マシン、MIDIの誕生などによって時代がデジタル・ミュージックに移行したため、70年代のアナログなファンクは急速に価値を失っていきます。

そこで登場するのが、マイケル・ジャクソンプリンスです。


マイケル・ジャクソンはJBに強い影響を受けており、ファンクと16ビートをポップス・ミュージックの中にうまく潜ませ、世界的なスターになります。

特にマイケルはムーンウォークなどのダンスでも有名になりますが、あの有名な「Billy Jean」でのムーンウォークのシーンでは、素晴らしくファンキーなギターのカッティングがバックで鳴り響いています。

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画像引用:https://www.youtube.com/watch?v=g3t9-kf7ZNA

これは、デヴィッド・ウィリアムスというギタリストの仕事でした。


デヴィッド・ウィリアムス、また、ポール・ジャクソン・Jr.といった素晴らしいファンク・ギタリストの起用が、マイケルの音楽を通してさらに世界にファンクと16ビートを拡散していきます。


また、プリンスはディスコ・ミュージックにおけるホーン隊をデジタル・シンセサイザーに置き換え、ドラムもドラム・マシンを導入することで、機械と人間が融合したファンクを生み出していきます。

これが、80年代のミネアポリス・ファンクです。

プリンスの成功もあって80年代はデジタル・ミュージックが支配していき、ファンクもデジタル・ファンクの時代となります。


しかし、1990年代に入ると、多方面でアナログ・ミュージックへの回帰が起こります。

代表的なものがイギリスから登場した新しいファンク、アシッド・ジャズでした。

1988年、ジャイルス・ピーターソンとクリス・バングスによって生まれたと言われている「アシッド・ジャズ」という単語は、すぐに人気ジャンルとなり、世界に広がっていきました。

アシッド・ジャズは基本的には1970年代のアナログなファンクをベースにした音楽で、まだまだデジタル・ミュージックが支配していたチャートにおいて強い存在感を放ちます。


最終的には、ジャミロクワイの「Vurtial Insanity」が「MTV MUSIC VIDEO AWARD 1997」において10部門のノミネート、「最優秀ビデオ賞」など4部門を受賞。グラミー賞も受賞し、世界の音楽のトップに君臨します。


また、ヒップホップによるアナログなファンクのサンプリング、

レッチリやビースティー・ボーイズなどのファンキーなサウンド、

R&Bの進化による、ネオ・ソウルの登場などによって、90年代に好まれる音楽は徐々にデジタルから離れていきます。「アナログなほうがかっこいい!」という意識が、若者に浸透していくのです。


こうした「アナログ回帰」によって、80年代に冬の時代を迎えていたファンク・バンドは復活を果たします。

タワー・オブ・パワーなども有名ですが、当時もっとも勢いがあったのは、JBバンドに在籍していた、メイシオ・パーカーでした。

彼は全盛期のJBバンドのホーン隊を集め、「The JB Horns」を結成。「Life on Planet Groove(1992)」などの成功によって、ファンク界を代表するスターとなります。


このようにして起こっていたアナログ回帰は、いよいよ、新しいファンクの時代へと繋がっていきます。

1999年に結成されたソウライヴと、ジャム・バンドによるファンクです。

ソウライヴは90年代のアナログ回帰の結晶のような存在で、彼らのサウンドは古典的なファンク(ジャズファンク)と、現代的なヒップホップの融合でした。

メンバーは全員まだ20代前半で、彼らは自分たちが生まれる前のファンクに夢中になりながらも、ヒットチャートの音楽とそれらを掛け合わせたのです。


彼らの現代的な感覚によるファンクはジャム・バンドと呼ばれ、2000年代を代表するファンクとして成長していきます。


同時期には、イギリスのDJ、ケブ・ダージを発祥としたディープ・ファンクも人気を集め、ニュー・マスターサウンズなども大人気のファンク・バンドになります。

(ジャム・バンドとディープ・ファンクは音楽的には非常によく似ていましたが、背景となる文化的な側面が異なっていたと本書では考えています。このあたりも下巻に書きました)


そして、いよいよ迎える2010年代。

ここで、上巻・中巻のストーリーが大きく関係してきます!


上巻・中巻で登場した、

・JBとP-FUNKは持続可能なバンドではなかった

ディスコ・ミュージックは1980年代以降黙殺されてしまった

これらの伏線を一気に回収する、2つのバンドが登場するのです。


果たしてそのバンドとは???持続可能(サスティナブル)なファンクバンドは存在するのか?ディスコ・ミュージックは復活できるのか???


答えは、「ファンクの歴史(下):ファンク現代編」にて!



無料プレイリストのお知らせ

「ファンクの歴史」は、全巻、無料のプレイリストがあります。これは本編に出てくる曲をそのまま順番に並べたもので、聴きながら読んでいただくことで、より話が分かりやすくなります。

いちいち曲を検索しなくてよいので、SpotifyApple Musicをご利用の皆様は是非ご活用ください。


表紙は小山ゆうじろう先生

また、表紙イラストは「とんかつDJアゲ太郎」などが有名な、小山ゆうじろう先生です。

完成修正版・下

「とんかつDJアゲ太郎」はもちろんDJがメインテーマなので、ヒップホップが繰り返し登場しますが、実は作中に何度も古典的なファンク&ソウルのオマージュが登場します。

私の本でも、ファンクから生まれたヒップホップが、またファンクを冬の時代から救っていく――つまり、「ファンクとヒップホップの文化的循環」について語っているため、

それを描くには、小山先生がもっとも相応しいと思ったのです。結果として、素晴らしいイラストが完成し、私の本は表紙からもその文化的循環が分かるようになりました。


と言っておりますが――実際は、私が先生の大ファンだったから先生にお願いしたというのが一番大きな理由です!笑

憧れの先生に、自分の本の表紙にぴったりのイラストを描いていただける。こんなに幸せなことはありません!

改めて、本当にありがとうございました。

「とんかつDJアゲ太郎」は、ただいま実写映画化を経て、円盤が絶賛発売中となっております!!!(私も買いました笑)


おわりに


ついに完結した、「ファンクの歴史」。Dr.ファンクシッテルーという著者の視点で書かれた歴史書であるため、けっして、これが「正しい歴史」だとは考えていません。

ですが、読者の皆さまに、少し音楽とブラックミュージックの歴史に関する、ヒントのようなものを与えることができれば、非常に光栄に思います。

ぜひとも、「ファンクの歴史」を宜しくお願い致します!



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―――――著者情報――――――

Dr.ファンクシッテルー

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宇宙からやってきたファンク博士。「ファンカロジー(Funkalogy)」を集めて宇宙船を直すため、ファンクバンド「KINZTO」で活動。

「KINZTO」の活動と並行して、音楽ライターとしても活動。

■「ファンクの歴史」をKindleにて出版。👇


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――――― KINZTO YouTubeチャンネル――――――


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