見出し画像

捨象が引き起こすミスリード

 こんにちは、Dr FJです。

 今日は、物事を判断する時に必要な、いろんな情報の解釈や考え方について私が思うことを書いてみたいと思います。

 人はいちいち個別の事象について考えるときりがないので、捨象してざっくりと物事をとらえるということをします。無限に広がる可能性をいちいち考えているといくら頭が良くても先に進めないため、限られた能力しかない人にとってこれは非常に重要な能力と言えます。かつてスーパーコンピュータであるディープブルーがチェスで現役の世界一であったガルリ・カスパロフに勝てるのかというチャレンジをした際に耳にした話ですが、コンピュータはすべての選択肢を演算処理して最適解を選ぶのに対し、人間は経験からその選択肢の多くを最初から検討するに値しないものとして切り捨てることで処理しているらしいです。

 よくやるのは『アメリカ人は、欧米人は○○である』みたいなことです。確かに国ごとに国民性に一定の傾向はあるため、『この人は○○だ』といちいち場当たり的に考えるよりも実態をとらえやすくなります。

 ただ、くくる大きさや基準を間違えると、トンデモ解釈に陥ることがあります。たとえば『男って、女って…』という話。男女の話はみんなが大好きなのでいろんな人が話してますが、『女という生き物は…』としたり顔で語っている自称恋愛強者のオトコの人の話は、大抵聞くに耐えないひどい内容ばかりです。そもそも、男にも女にもいろんな立場のいろんな人がいて、十把一絡げにして語れるはずがありません。恋愛関係は一対一であることを考えると、こういう話は的を外しています。また、これはまだ男女という確固たる基準でくくっているのでそこに関しては疑念はないですが、これが血液型や星座、あるいはよくわからない九星気学やオーラの色だなんだかんだと言った全く関係のないものでくくられて話を進めると、そこはもうカオスです。かつてそんなことをテーマにしたテレビ番組がたくさんありましたが、本当にこの人たちは何をしているんだろうと残念な気持ちになりました。

 そして、くくる範囲にも注意が必要です。例えば日本の不動産について。『人口減少が進む日本で不動産を買うなんてバカすぎ』と言っていた海外住まいのめいろまさんは昨今の不動産価格の上昇をご存じないようで炎上していましたが、日本の不動産の中にも価値が上がるものもあれば下がるものも当然ありますね。

 また、論破王として有名なひろゆきさんの話でも、くくり方を巧妙に調節することでロジカルに見せるようなことが多いように思います。

 例えば、この動画では古文漢文と税金などのマネーリテラシーのどちらを義務教育で教えるべきかなんていう話をしていますが、彼はこの話を『どちらがより生きていくのに、生活に役に立つか』というくくり方で議論しています。ただ、皆さんにもお分かりのように、義務教育は生きていくための実学をただ学べばよいというだけのものではなく、普遍的な日本人としての教養、リベラルアーツを学ぶ場という側面も強くあります。義務教育を言葉通りの『最低限生活に必要なことを教える場』とくくってしまっているんですね。こうやって物事の多様な面を捨象して議論を進めることで、特定の方向に議論を持って行っているということなのです。

 こういうことって、意識してみてみると普段の生活の中では結構あるものです。口の上手い人に『なんか釈然としないけど、理屈で考えると正しいのかな…』と丸め込まれているように感じる場合、このような意図的な捨象がないか、考えてみると良いかもしれませんね。

まとめ
・物事をありのまま捉えるのは大変なので、多くの場合最大公約数的な特徴を捉え、枝葉の事柄を捨象して考えることは有用。
・ただ、この物事や集団をくくる大きさや基準を間違えると、トンデモ解釈に陥ることがある。
・意図的にこのくくり方を調節してくるような悪い人もいるので、話をしていて釈然としないなと感じた時には、こういう悪意のある捨象が起こっていないか考えてみよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?