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適切な場所にあるという価値

 こんばんは、Dr FJです。
今日は義実家の片付けに行った際に感じたことを書きたいと思います。

 数年前うちのヨメ殿のおばあちゃん、つまりは義理の祖母がなくなったのですが、それに際し義父が相続した祖母の家というのがあります。
それは沖縄県にあるのですが、そこを今後も使うにしろ取り壊して更地にするにしろ、まずはその家の中の残置物を整理するという課題が当家の懸案事項としてありました。
本来なら我々にはわからない貴重なものなどがあるかもしれないため義両親、特に義父がそれをやれば良いと思うのですが、体調面や沖縄が遠方であることなどからそれが困難で、棚上げされた状態でずっと放置されていました。ただ、家というのは空いた状態で放置しておくとすぐに傷んでくるもの…。この家も庭の草が生えて荒れ放題になり、中もカビが生えたりしてきているということで、いよいよなんとかしないといけないという事態になり、今回私達が連休を利用して片付けに行くということになったのです。

 ただ、この残置物処理というやつ…。50年近くそこで住んできた家に残された物の量はハンパなく、最終的にはゴミ袋120袋以上、駐車場スペース1区画以上の粗大ごみが出て、あとから考えるとよく1泊2日でやったなと思えるほどの重労働でした。義祖母は晩年は認知症を患っており、また簡単にはものを捨てることが出来ない性格であったようで、炊飯器が10コ出てきたり、のこぎりが6本出てきたりと、同じものがいくつも奥から奥から出て来るという難敵でした。私は最終的には心を無にして、ほとんどすべてを機械的にゴミ袋に詰めていくという作業をずっと続けました。結果としてはなんとか作業は終了して無事残置物のほぼない状態に持っていくことができましたが、その代償は大きく、今日も一日他のことが出来ずにグダグダ過ごす事になってしまっています…。やはり、無理はするもんじゃないですね。

 そして、そんな作業中には、実は名古屋に持ち帰りたいと思うようなものもたくさん出てきました。有田焼きとか、未開封の焼酎、着物、本格的な絵画のようなものなど。また、贈答品でもらった未使用の石鹸やティーカップのセットなどもあり、これらを捨てるのはもったいないなぁという気分にさせられました。もったいないなと思うものの、今回は滞在時間にも余裕が無いためすべて処分してしまいました。こういうものは、現にどこかでそれはそれに見合うとされている金額のお金を支払って購入されたものですから、実は然るべきときにしかるべきところにあれば良い値段が付いたりしたものなのは間違いありません。

 では、値段がついていた状態のものが値段のつかないガラクタになる中で、失ってしまったものは何なのでしょうか?
私はそれは、一つは『新しい商品であること』だと思いますが、もう一つは『適切な場所に適切な形で整理されてあること』だと思っています。

 『新しい商品であること』については、みなさん異論はないと思います。何十年も前の石鹸なんて、たとえ新品でも誰も使いたくないと思いますし、洋服やタオルなどもデザインが古いとそれは価値を失いますね。日用品も日々アップデートされていっているものなので、過去のものは使いにくいし違和感も出てしまいます。20年前の未使用ボックスティッシュなども出てきましたが、箱のサイズが大きく、『そういえば昔は大きかったよな…』とその商品の変化を感じることが出来ました(笑)

 そして、もう一つが『適切な場所に適切な形で整理されてあること』です。例えば今回廃棄した大量のお皿やコップ、お盆などの食器類や着物などは、当然ですが今でも全く遜色なく使えるものです。きちんと整理して売れば、新品未使用のものも数多くありましたので、いくらかの値段は付いたことでしょう。ただ、それはあくまで整理されて適切な形で適切な場所に持っていって初めてそうなるものです。メルカリに出したり下取り業者などにきちんと整理して見てもらえば値段はつくのかもしれませんが、沖縄の民家の中にあっても全くその価値は発揮されません。

 同様のことは他のことでも言えます。例えばレストランで食事をする際に頼むドリンク。家で飲めば1本300円くらいの瓶ビールがお寿司屋さんだと800円になったりしますし、そもそも飲食店の原価割合は3割位だと言われているので、食材自体もまぁ言ってしまえばそこに持ってこられて適切に調理されることで付加価値がついているというわけです。そして、調理の必要がないドリンクについても、その場で美味しい料理と一緒に提供されるという、『適切な場所で適切な形で提供される』ことで価値が上がっているのです。

 そして、これは不動産投資に関しても同様な場面が数多くあります。リフォームの際に業者さん経由で購入すると高くなるから使われる部材を施主支給で安くするという方法をとる人がいるといいますが、この高くなった部分というのが『適切な場所で適切な形で提供されること』の価値と言えます。普段お金の計算をしていると『なんで自分が買うとこの安い値段で買えるのにわざわざ高い値段で買わないといけないんだ!!』と不満に思いがちですが、その設置してくれる業者さんの手間賃や仕事が滞りなく進むための経費=価値であるということを考えると、いつも施主支給でコストカットを狙っている大家さんは業者さんからはよく思われないかもしれませんね。

 また、そもそも不動産購入の際の仲介手数料についても、その側面が強いものと言えます。売却予定の不動産を商品として整え、買い手と売り手がいるマーケットに適切な価格をつけて提供すること。ましてやその取引に関する事後の責任まで背負うということになると、3%+6万円という金額は、決して高いものではないと言えると思います。なんせ、我々素人は物件を売るのに自分で買い手を見つけてくることなんて出来ないし、物件を買うのによい売り手を見つけることも出来ないのだから。なんにせよ、変な原価厨になってみんなに嫌われて結局損をしてしまうことのないよう、適切な場所に適切に提供することには価値があることを忘れずにいたいものですね。

まとめ

  • 義実家の残置物処理で、しかる場所に持っていけば良い値段で売れたかもしれないものをたくさん処分した。

  • 同じものであっても、適切な場所に適切な形で提供されなければ価値が大きく既存される。

  • 切り詰めて考えると原価厨になりがちだが、変な原価厨になってみんなに嫌われて結局損をしてしまうことのないよう、適切な場所に適切に提供することには価値があることを忘れずにいたい。

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