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EMOARUHITO ep.4 里美

平日水曜の13時頃、中肉中背の眼鏡をかけ、伸びっぱなしの髪を後ろで結んだ男子大学生が若干マイナーな洋画を、すこしおずおずとした態度で持ってくる。先週はアキ・カリウスマキを数本と、ホン・サンスを借りていった。なかなかいいセンスじゃないか。でも平日に来るのはおかしくないか?一度ポイントカードと間違えて学生証を提示されたので、学生であることは間違いないのだが。しっかり卒業しなよ、眼鏡くん。

同じく平日、金曜の18時すぎ、近くに住んでいるであろう30代前半のサラリーマンが、アニメの長編映画を借りていく。子供と見るのだろうが、その辺の作品なら今日日、オンデマンド配信サイトにあるぞ。この機会に入会したらどうだい。それとも奥さんに管理されて、サブスク厳禁の環境だろうか。そんなあなたに私がおすすめするとすれば、「うる星やつら2 ビューティ・フルドリーマー」なんてどうだろう。きっとあなたが生まれたころのアニメの内容に衝撃を受けられるだろうし、子供も奥さんも置き去りにして、のめり込んでみられること請け合いだ。

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里美は、自分の働くレンタルビデオ屋に来る客の生活を想像しながら、毎日のようにひとり頭の中で会話を繰り広げることが楽しみだった。決して外に出すことのない、悲しきレコメンド大会。
しかし、自粛期間の最中から、その数がめっきり減ってしまった。自宅での時間の過ごし方はNetflixやhuluにすっかり奪われてしまい、あの大学生も、サラリーマンも、たまにしか顔を見なくなっていた。もしかしかたら、このままレンタルビデオ業界は縮小していき…というどうにもできない不安を抱える悲観的な自分もいれば、働き口なら選ばなければいつでも見つかるだろう、と思う楽観的な自分もいる。

楽観的な考えを持っていることにも理由がある。
高校の時から連れ添ったパートナーと一緒に暮らして6年になる里美にとって、仕事は暇つぶしに近いものなのだ。彼に会えない昼間の時間を、気おくれなく消化するための、精神衛生上最も健全なアクション。里美にとってみればなんでもない、彼にとっては大変な問題である仕事の愚痴を聞き、なだめながら映画やドラマを見たり、彼の集めているレコードを聞きながらお茶をしたり、寄り添って眠ったり。夜の営みは、少ないけれどそこそこに。ふたりとも多くはない手取りで、暮らしの大部分をサポートしてもらっている負い目を強く感じている里美には、時折の理不尽な扱いを全て飲み込むくらいの気概もある。ここまで波風立てずにやっているのだから、きっと大丈夫。なかなか進展しない関係だが、いつかきっと報われる時が来る。そう自分に言い聞かせるようになってどれほどの時間が過ぎたかも、今は考えるのをやめてしまった。

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もはやルーティンとなった暇つぶしを終えた里美は、ユニフォームをロッカーに掛け、タイムカードを切って帰路についた。
今日は給料日だったし、金曜日。ちょっと特別なメニューにしてあげよう。売り出していた旬の秋刀魚を2尾。きっと喜んでくれる。そしてこんな健気な私を、そろそろ評価してほしい。
「ああ、早く。顔が見たいわ。」いろいろな気持ちがこもって、つい独り言をこぼしたのだった。

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夕餉の支度を終え、ダイニングテーブルで待つ。
時計の針はとっくに24時をまわり、まもなく1を示そうとしていた。
握りしめたスマートフォンが、明るい通知音を鳴らした。

彼は、もう帰れないそうだ。永遠に。持ち物は処分してくれとのことだ。
ずいぶん自分勝手なやつだ。知ってたけど。
聞かなくても理由はわかる。いや、わかるというよりは、感じると言った方が正しい。
お互い口にせず、抱き続けてきたモヤモヤが、今日たまたま、同じタイミングで形になった。たったそれだけのことだが、別れには十分すぎる。意外と涙は出なかった。

呆然とした里美の目に、彼の持ち物であるCDプレイヤーが留まった。思い返せば6年間、自分で操作したことはなかったな…と感慨に浸りながら、再生ボタンを押した。
突然歌い出して、少し鼓動が早まった。けれど、軽快なメロディで、なんだかすこし元気がでる。こういうのも聴く人だったんだ、と今更ながら知った。

空のケースに目をやると、駅員さんのようなおじさんが写っていた。バンド名なのか、アルバム名なのかはわからないが、認識できた言葉は「ザ・プロミス・リング」。なぜだか急に悲しみがこみ上げて、枕に顔をうずめてひとしきり涙を流した。

少し寝て落ち着いたら、このアルバムだけ残して売りに行こう。そういえば、半年くらい前に、北区の高架下に中古買取りもやっているレコードショップができたと聞いた。
里美はぼんやりとそう決めて、ひとりでは広すぎるベッドに仰向けになり、目を閉じた。

2020年9月25日 金曜日

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