夢見るお魚

💫隙あらば自分語りというかここはまあ私の隙なので好きにさせてくれ。すきだけに。💫


夢見る魚・東京都(20歳)…愛の戦士、純文学と芸術・映画・音楽など俗。普段は新人賞に寄稿したりへそ出して寝たりしている。ここは落書きみたいな、合間に書く適当屋さんです

私のランドセルは青だった。今はカラフルなのが普通かもしれないけれど今から15年くらい前は男の子は黒、女の子は赤、みたいな定番で構成されていて、(その2,3年後くらいからカラフルなのも珍しくなくなってきた)教室の後ろのランドセル置き場で赤と黒のなか私のランドセルはひとつだけ浮いていた。それは深みのある紺に近い青色で、幼卒のわりにはいいセンスじゃんと今でも思う綺麗な色だ。 

休み時間は男子に1人混ざってドッヂボールかサッカーをして、仮面ライダーやレンジャーものを見た。(初恋はゲキレンジャーのレツだった)ディズニープリンセスもラブアンドベリーもプリキュアも好きじゃなかった。サンリオキャラの給食袋を持っている子に対してアホちゃうかとさえも思っていたしリボンやらフリフリの服を着てる子は人種がちげぇと思っていた。斜に構い散らかしていたしとことん捻くれていた。変わってるアピールというより、人を笑わせることがすごく好きで、ブスだけど面白い、明るいという立ち位置にいる為には可愛げは必要ないと本気で思っていた。(容姿について触れ出すとまた長くなるから割愛(わりラブ)する。)

私の家はかなり厳格で、親は有名大を卒業して親戚は薬剤師やら医者やら、姉は獣医師だし優秀な人に囲まれて育った。でも今だから言えるけど親は過保護で毒親気味で、母親には一度も褒められたことがない。2回家出したし、少なくとも物心ついてから200回くらいはどうやって殺そうか考えた。それでも好きだから、親子って不思議だね。比較的裕福で、ちゃんと言えば何でも買ってもらえたし、小さい時から年に1回は海外旅行にも行った。小学生の時から母手作りの漢字練習帳、英語練習帳(ノートにどっかから仕入れた問題を手書きで書いてあってそれに解答していく)を渡されてノルマを課され叩かれはせずともやっていた。しかし精神年齢とは裏腹に反骨精神だけすくすくと育っていた私は『ドチャクソめんどくせえじゃねえか!やってらんねえ!』と気に食わず泣きながらノートにグッチャグチャにボールペンで落書きしてブリブリ引きちぎって投げつけたりしていた。負けず嫌いだから最後は自分で拾って解き出すんですが。この時から漢字はかなり得意だった、漢字テストで満点以外取ったことないし、漢検準一級も取得するくらいにはなったのでそこそこ感謝しています。ちなみに算数練習帳はマジで嫌すぎて何回作られてもごみ収集所に直接持って行って捨てた。10年後、センター数学52点です。とてもわかりやすいですね。

そんな中で自ら好きでやっていたことが2つだけあって、読書とピアノ。特に読書は、小中でそれはまあ読み倒した。小説中心に、おんなじ本も何度も読んだし、何が面白いかわかんないけどとにかく読んだ。めちゃくちゃ読んだ。ピアノはまあ楽しかったから苦じゃなかったくらいだけれど、本だけは昔から読んできました。ちゃんと今に繋がっていてえらいえらいちゃんですね。本についてはまた詳しく書きますが、小学生の時から少し書いていた。小5,6年かな?毎日出される宿題の裏に、お化けがどうだの天使がどうだの厨二病full throttleのバカ痛小説を書いた。毎日。大迷惑。先生もコメントに困っただろうけど、毎日書いてくれた。"面白い!"'続きがはやく読みたい!" 嬉しくてどんどん書いた。でもある日の「文才がある!」という一言で、そのわざとらしさに『あ、言わせてたんだ』ということに気づいてしまった。それからは書くのはやめて、再び読む専の日々。

さて、長々と振り返ってきたけれどかなり実情に近い自分を思い出せたので記録代わりにも良いですねこのツール。誰がおもろいんやこれ。まあいいか。明日には忘れてる


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