生成AIが手書き絵師を置き換えるなら、なぜ「人間の感情」という発想が出なかったのか?という技術屋としての疑問

手書きの絵師はじつは絵を書いたあと、「やっぱりこの絵を今出すのはタイミングが悪いからしばらくお蔵入りにしよう」という感情が生まれることがあります。
例えば「大災害の絵」を書いたときに、運悪く本物の大災害が現実に起きたとか。
絵を書いてと頼まれたけど、依頼者が嫌がるような絵に運悪くなってしまったときとか。

これは絵師に限らず、他の職業でもそうです。
日用品の商品を売る店員でもそういうシーンはたくさんあります。
それはなぜか?
絵師や店員は「接客業」「サービス業」だからです。

絵師や店員を生成AIが置き換える?
じゃあなぜ「人間の感情」を生成AIは学習できなかったの?と思います。

例えば、生成AIがある「アイドル歌手や声優の声を無断学習したとする。」
もしも生成AIが人間を置き換えるならば「私はアイドル歌手の声を学習してペラペラしゃべれるようになりました。しかし、これでは本物のアイドル歌手が悲しみませんか?」とまで意見を言ってくるのでは?と思うのですが。

「もしも本物のアイドル歌手が落ち込んで、歌手を引退した場合、わたしは新しい学習をできなくなります。どうすれば良いのですか?」とまで生成AIが心配すべきなのでは?と思います。

最近の生成AIの技術的なニュースを見てると「まるで人間と話してるようだ!これは革命的だ!人間を置き換えるぞ!」みたいに見えますが
じゃあなぜ「人間の感情」を学習してないのですか?
といつも思います。

私は「技術屋」の一人として素朴な疑問として思うのです。

「初音ミク」と「生成AI」って本当に対照的だなと思います。
初音ミクって、ある声優さんの声を学習してるわけですが、その声優さんを置き換えてるわけではない、今も、というのがまさに「人間とAIが、仲良くうまくいってるケース」なのかなと。

超有名なSF小説の「ロボット三原則」みたいに「ロボットは人間を攻撃しない」などのルールが今になって「なるほど、ここでそのルールが生きてくるのか」と「人類の知恵」のように噛みしめてるのが今の現実なのではと思います。
例えば、初音ミクは学習元の声優さんを攻撃しない。
しかし、最近話題の生成AIは学習元の絵師を攻撃する。
ここが「ロボット三原則」の「ロボットは人間を攻撃しない」のルールを生成AIは破ってますね、と。

初音ミクはどうやって、「ロボットは人間を攻撃しない」のルールを守ってるか?初音ミクは学習元の声優の声に戻らない?ようにわざとプログラムで仕組んであるからです。初音ミクは初音ミクであって、学習元の声優とは別人格であると。
初音ミクで「学習元の声優とそっくりの声を出せ」となったら、それは学習元の声優さんも困惑するでしょう。
しかし、生成AIは逆ですよね。学習元の絵を「アノテーション」という作業で「この形は自転車です。覚えろ」という風に学習させてる。


まあ、今後、手書き絵師と生成AIは「出会い方が最悪で、別れ方も最悪だったね」となるかどうかはわからないけれど。

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