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球団ヒストリー45.鹿児島初、就職斡旋

息切れの理由

意気揚々とスタートしたはずの鹿児島ホワイトウェーブが数年で息切れしてしまったのには、ひとつ明確な理由があった。

野球と生活の両立。

企業チームやプロ野球でもなければ、プレーそのもので収入を得ることは難しい。
野球をするためには、お金を払って道具の購入や練習場・遠征費を確保せねばならない。お金を払うには仕事は不可欠。
仕事優先になると野球の練習に行けなくなるし、野球を優先すると職場にも家族にも迷惑をかける。
そんなジレンマが、じわじわとチームをむしばんでいった。

この時期のなにより大きな課題は、正捕手である北迫太樹さんが仕事の都合で公式戦に来られない日もあるということ。チームの要が不在では、どうにも試合が成り立たない。

最初の受け入れ先はユーミーコーポレーション(株)

「とにかく北迫が試合に出られるようにしたい」

球団代表國本正樹さんはそう考え、北迫さんの意思を確認したのち飲み友達の弓場建設株式会社専務、弓場昭大さん(現・ユーミーコーポレーション株式会社社長)に相談。入社試験と面接を経て受かったら、という条件が課せられたものの見事クリア、晴れて就職斡旋第一号となった。

ちょうど、チーム名を鹿児島ドリームウェーブと改め、後援会が発足した2012年のことだった。

受け入れ企業としての姿勢

北迫さんご本人のお話は次回に譲るとして、選手受け入れ企業としての考えを弓場社長にお聞きした。

ユーミーコーポレーション(株)では、野球をやる間だけの受け入れというスタンスではない。もちろん転職してもいいのだが、「基本的には終身雇用というつもりで受け入れている」そうだ。

「野球をやれるのは20代のほんの数年。
 その間は一生懸命そちらをやればいい。
 引退してから仕事はいくらでも巻き返せる」
その言葉が力強い。

仕事で試合を休むのは認めません

とはいえ企業として、忙しいときに野球で休みます、というのは困ることはないのだろうか。そんな当たり前ともいえる疑問に、弓場社長ははっきりとこう答えてくださった。

「仕事があるから試合に行けませんというのは認めていない」

「部署など近いところで一緒に仕事をしている社員は、応援する気持ちと忙しいときに休むのか…という気持ち両方があるだろうとは思います。
 でも試合に行きづらいということはないと思います」

試合を休みました、と耳に入ったら社長から即呼び出されるというから、試合に行くこと自体が社長命令というような印象すら受けた。

なんてありがたい姿勢だろう。

チーム運営の変化

記録によると、このユーミーコーポレーション(株)を皮切りに、2012年は3社が選手の受け入れをしてくださったようだ。

とにかく目の前の試合をなんとかしたい、と始まった“野球ありきで選手を受け入れてくれる”企業探し。
結果的に、その後のチーム運営に大きな変化をもたらすことになった。

会社によって受け入れの態勢は違うらしいので、ほかの受け入れ先企業についてもお話を伺っていきたいと思っています。

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