球団ヒストリー51.これまでの試合傾向
2012年都市対抗二次予選の結果
2012年5月。
第83回都市対抗野球大会南九州地区(一次)予選で優勝した新生鹿児島ドリームウェーブ。
6月に北九州大谷球場で開催された九州地区(二次)予選の結果は以下の通りだった。
一回戦
vs苅田ビクトリーズ(福岡) ★ 1-8(7回コールド)
敗者復活戦(第二代表トーナメント)一回戦
vsビック開発ベースボールクラブ(沖縄) ★ 1-3
前回もお話したように一勝もできずに敗退。
このあとの全日本クラブ選手権九州予選の結果にも関わってくるので、この都市対抗二次予選の結果は次回まで覚えていてほしい。
ただ、敗退したとはいえ二次予選に進むだけでもどんなにすごいことなのか、最近の私にはわかってきた。
半分近い選手が退団したにもかかわらず一次予選優勝での二次予選進出。
まさに底力のある濃い”野球バカ(失礼)”だけが残った少数精鋭のチームだったということだ。
前年までの試合傾向
ここからの快進撃をお伝えする前に、前年までの、つまりホワイトウェーブ時代のゲームの傾向をお聞きしたので記しておきたい。
「大勝ちしたあとに大負けするチーム」
球団代表の國本正樹さんは、そう表現しておられた。
たしかに戦績を見ると、21-13でのコールド勝ちのあと、1-14でコールド負けなど、大味な試合が予測されるスコアがある。
確認できるのは公式戦だけだが、OP戦でもまたそういう傾向があったのかもしれない。
脆さ
それでも一つは勝つんだからいいじゃないか、と思うだろうか。
実は、私の母校がまさに「大勝ちしたあとに大負けする」チーム。
というか、私たちは一期生なので、そんな土台を作ってしまった。
卒業してからも幾度となくそんな試合を見る中で、いかにそのチーム傾向が”脆さ”を現わしているかを感じ、毎回「妙な土台を作っちゃったな」と苦々しく思ったものである。
大勝ちしたあとに大負けするチームは、勝ち続ける気が薄いんだ。
大勝にはしゃいで、自分たちの野球を忘れ浮足立って大敗するのかも。
そう感じていた。
当時のチームを実際に観たわけではないが、2011年ごろのホワイトウェーブは少なからずそんな脆さのあるチームだったんじゃないだろうか。
目標
しかし、それだけではないことを國本代表は知っていた。
チーム名変更の記者発表の中で明言したこんな目標がそれを表している。
「3年で全日本クラブ選手権出場、
5年でクラブ日本一、
10年で都市対抗野球本戦出場」
これについて話してくださった。
「いい選手がいるので、全日本クラブ選手権にはいつ行けてもおかしくないと思ってました。だから3年あればいいかなと。
やる気のある選手だけが残り、就職斡旋で主力が試合を休むことがないしこれから投手力も安定してきたら、クラブ日本一も夢じゃないと思いましたね」
脆さの奥にあったもの
脆さの一因としてあったのは、ふだんの練習に集まる人数の少なさや、主力が公式戦に出場るか分からないというチームの不安定な実状だったのだろう。
それが払しょくされた。
不安要素が激減したことは、在籍人数が減ることよりもずっとずっとプラスに働いたようだ。
「ちゃんと野球をやりたい!勝ちたい!」という思いの強さを、当時の主将芹ケ野拓選手が持ち続けていたのも大きかった、と國本代表は話してくださった。
さてさて、たいへんお待たせいたしました。
次回から快進撃のお話です。
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