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鹿児島ドリームウェーブ球団ヒストリー

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2005年に、イベントをきっかけに誕生した社会人野球チーム『鹿児島ドリームウェーブ』。生まれては消えていく球団が多い中、17年目を迎えた2022年現在も「クラブ日本一」を目標に走…
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#都市対抗野球大会

球団ヒストリー70.積年の課題、練習場所の確保Ⅱ

なぜ今、このことについて書くのか? ところで、今になって練習場所の確保について書こうと思…

加納かおり
1か月前
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球団ヒストリー69.積年の課題、練習場所の確保Ⅰ

週末夜の必然 鹿児島ドリームウェーブが正式発足した2006年ごろ(当時のチーム名は鹿児島ホワ…

加納かおり
1か月前
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球団ヒストリー48.企業の懐と主軸の確保

2012年に就職の斡旋を始めた鹿児島ドリームウェーブ。 その第一号は、2011年後半に入団し、そ…

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球団ヒストリー47.理念~立ち戻る場所

活動理念 鹿児島ホワイトウェーブから鹿児島ドリームウェーブへとチーム名を変えたころ。チー…

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球団ヒストリ-36.初めてのプロとの対戦

プロとの対戦~選抜チームで2009年7月4日。 鹿児島県の地方都市薩摩川内市の総合運動公園野球…

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球団ヒストリー33.エロ男爵監督の苦言

「ちょっと考えたほうがいいよ」2008年、2009年と欽ちゃん球団とのイベントで監督を引き受けて…

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球団ヒストリー32.スカウト事始め

「ピッチャーいねぇなぁ」 鹿児島ホワイトウェーブ球団代表の國本さんがふとそう思ったのは、いつのころだっただろうか。 これまでも書いた通り、2008年は鹿児島で23年ぶりの都市対抗野球大会予選を開催。またクラブ選手権九州ベスト4、西日本クラブカップ準優勝と、創設からたった3年ながら確かな手応えがあった。 勝ち進むために必要なこと『勝つ』ことが目標だったのに、にわかに『勝ち進む』ことができるようになって見えてきたのが、試合に出られる選手が少ないこと。 少し前の資料だが試合遠

球団ヒストリー31.三方がうるおう提案

『支援型自動販売機』というのをご存じだろうか。 売り上げの一部が、特定の団体や活動の資金…

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30.準優勝の裏側で

愛媛の坊ちゃんスタジアムで開催された、西日本クラブカップ野球大会。 これ、実は鹿児島ホワ…

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29.準優勝。俺たち、イケるぞ!?

九州代表優勝候補筆頭であった新日鐵大分クラブを破り、薩摩との鹿児島対決を制して掴んだ九州…

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28.大金星!そして

2008年。 23年ぶりの地元での公式戦開催に、運営側がドタバタしていたころ。 しかし、グラウン…

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27.23年ぶりの公式戦・グラウンド側

2008年、23年ぶりに鹿児島県で開催された都市対抗野球大会一次南九州予選。 前回を知る人が誰…

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26.23年ぶりの公式戦

2008年5月6日。 鹿児島のメインスタジアムである県立鴨池球場(現在の平和リース球場)で、…

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25.社会人野球2大大会

「鹿児島県代表として、都市対抗野球に出よう!」 鹿児島ホワイトウェーブが正式に発足したときからの大きな目標だ。 実はこの『都市対抗野球大会』はじめ社会人野球の大きな大会を、誰よりも私自身がよくわかっていなかった。 どうにも情報が少なく、個々の大会の個性が分からない。だから、どこかでチームの目指すところに共感ができていないような気がしていた。 というわけで、今回はこの都市対抗野球大会をはじめとする社会人野球の主たる大会のお話をさせていただこうと思う。 ちょっと複雑なのですが