見出し画像

策を帷幕の中に巡らし、勝ちを千里の外に決すること

なぜ、劉邦が天下を取ることができたかを臣下に問う。

「陛下は傲慢で人を侮ります。これに対して項羽は仁慈で人を慈しみます。
しかし陛下は功績があったものには惜しみなく領地を与え、天下の人々と利益を分かち合います。
これに対して項羽は賢者を妬み、功績のある者に恩賞を与えようとしませんでした。
これが天下を失った理由と存じます」


しかし、劉邦は、言下に否定し、

「貴公らは一を知って二を知らない。

策を帷幕の中に巡らし、勝ちを千里の外に決することではわしは張良に及ばない。

民を慰撫して補給を途絶えさせず、民を安心させることではわしは蕭何に及ばない。

軍を率いて戦いに勝つことではわしは韓信に及ばない。

わしはこの三人の英傑を見事に使いこなした。

しかし項羽は范増一人すら使いこなせなかった。

これがわしが天下を取った理由だ。」


と答える。


これが、マネジメント、人事の極意だろう。

有能な人材を、適材適所に使う。

劉邦は決して、各分野で最も優れた能力を持っていたわけではない。

この、人材群を見出し、活躍させることができたからこそ、天下を取った。

天下人の極意だろう。



最近、ますます組織の力が衰えてきたところと、ますます隆盛を極めるところの格差が出てきた。

もう取り返すことができないほどだ。


それは、なぜか?

それは、プレーヤーを監督にしたことである。

大将には、器というものがある。

その器のないものを、大将に据えると、組織は無茶苦茶になる。


「名選手、必ずしも名監督にあらず。」


優秀なプレーヤーであった上司ほど部下を見下し、部下の方も近寄りがたく感じてしまうのですね。

優秀なプレーヤーは、自分ががんばって結果を出すことは得意でも、

部下を取りまとめて、激励し、組織全体で勝つと言う、マネジメントができない。

できない人の心がわからない。

これでは、皆の心が離反するだけですね。

だから、名選手を監督にするときは、そのための訓練がいりますね。

それをいきなり監督にすると”天狗”。

あちこちに、鼻の高い”天狗”ばかりで、組織は衰退・・・

こういうことが多いのではないでしょうか?



しかし、まだこのケースは、組織のために、

優秀なプレーヤーとして貢献してきた、

実績だけでも、認めることはできる。

本人は、一生懸命で、野心的ではない。





最悪なのは、自分では何もせず、人にやらせて、ゴマすりだけで、上司に取り入った、連中が、大将に座ったときである。

一番の組織の不幸。

この大将の周りには、”ゴマすり””提灯持ち””太鼓持ち””腰巾着”と呼ばれる人ばかりになり、組織的には末期状態になる。

この大将が、権力を持ってないとわかると、すぐに寝返り、新しい権力者になびく。

大将の器が大事である。







のなかで、ある大手企業の元社長は答えている。

「自分の立場を覆す可能性のある人物は、後任には選べないだろうね」

そして、この元社長。

長く社長を続けられる条件は、

「できるだけ長く後任を決めないこと」

だそうだ。

こんな組織が発展するはずもない。

急落あるのみだ・・・


あの、”世界のソニー”の凋落がすべてを物語っている。

過去の栄光は、あくまでも過去。

情熱のある、向上心のある、公平な大将でないと持たないね。。


しかし、歴史は”勝者の歴史”であることを知らなければならない。

そのときの権力者が、すべて都合のいいように書き換える。

それが歴史だ。


ではまた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?