見出し画像

貧乏くさい行動をすると、本当に貧乏になる?

仏教に「依正不二」という法理があります。

依報と正報は二にして不二であること。
正報とは過去の行為の報いを現在に受けている主体。つまり私達自身のこと。
依報とは私達がその報いを受けるための依り所である環境のこと。


ということ。

3000年も前に、人間の生命の本質を、説いていることに驚きを禁じえません。


上掲の本は、ルー・タイス氏著の「アファーメーション」です。

時間に余裕のある方は、人間というものを理解するうえで、参考になる一書ですので、読まれることをお勧めします。


推薦文に、こんな表記がありました。

人間は肯定的であれ、否定的であれ、言葉によって脳内に映像=ビジュアルや感情を生み出します。
脳内に浮かぶこれらの映像と感情は、過去の情動記憶(感情を伴った記憶)を元に呼び起こされます。
それが肯定的なものであればプラスに働き、否定的なものであればマイナスに働きます。



20世紀以降の科学が、人間が、いかにしたら、望みどおりに、生きていけるかを解明してきました。

いまや常識と言われることに、

「人間は、自分が考えている通りの人間になる」

いわゆる

「思考は現実化する」



これは、さまざまなところで述べられてきたところである。


ボク達には、まず自分自身がありますよね。

それは、自分でコントロールできる、意識とコントロールできない無意識、潜在意識。

そして、自分自身の体外の環境。


この意識の層は全体の4%といわれています。

つまりあとの96%は潜在意識・無意識になります。 (心理学)


ということは、自分自身の4%の行動により、無意識、潜在意識が方向性を決め、環境に影響を及ぼすということですね。


何が言いたいかというと、まず、決めるのは自分であって、環境はその結果の投影にすぎないということ。


たとえば、例は良くないが、Aさんが仕事で失敗したとしましょう。

家族は、心配しますが、ライバルは、ほくそ笑みます。

つまり、同じ外部環境の出来事でも、感じる主体によって、意味合いが変わってくるんですね。



要は、自分の感じ方で、環境は、いかようにでも変わっているんですね。

自分自身が、結局、環境を支配しているんですね。

だから、同じ事象でも、自分の見方次第で、幸せにもなれば、不幸になる。



では、自分自身の思考はどう作られているのか。

誰でも、無意識のうちに行動していること、習慣で行動していることってたくさんありますよね。

心臓や、胃腸、自律神経なんかは、勝手に動いています。

すべて、決められた通りに動いています。

動かしているのは、自分の意識下の意識。潜在意識、無意識なんですね。



生命である以上、潜在意識が、全く別の意思によって動くことはあり得ません。

結局は、すべての過去。

場合によっては、今世以前かもわかりません。

そのすべての過去に、自らに課した、行動、考え方によって、刷り込まれたように、動いているといわれます。



したがって、現状は、すべての過去の収支決算ということですね。

誰のせいでもない。

したがって、現状を変えたいのであれば、自分自身に、なりたい自分になるための命令を出し続けて、生命を自動化させなければならないんですね。

だから、目標って大事なんです。

「いつまでに、なにを、どうする」

決めることが大事なんですね。



さまざまな科学者の研究によると、潜在意識は、

①現実と空想の映像を区別できない。

②否定と肯定を区別できない。(「〇〇しない」は、「〇〇する」と認識する)

ということらしいですね。



アスリートが、よくレース前、試合前に、イメージトレーニングしてますよね。

ありありと自分が勝利することをイメージしているそうです。



長くなりましたが、結局は、

自分自身が、なりたい自分をイメージして、自分自身の潜在意識に刷り込んでいく。

イメージ映像であったり、言葉であったり。

そして、その命令に沿って、潜在意識は一生懸命働きだします。

そして、その思考に沿った環境を描き出していきます。(環境はとり方次第ですから・・)

これが、今までと違った、思考が習慣化されると、自分自身も、いままでとは違う自分自身になってきます。



ですから、

いつも、貧乏くさい行動をして、貧乏くさい発言をしていると、

それが習慣として潜在意識に刷り込まれ、本当に貧乏になります。


「ああ、俺ってなんでついてないんだろう」
「いつもこうだ、うまくいったためしがない」


と思っていると、ついてないように、うまくいかないように、潜在意識が一生懸命働きます。


「こんなことをしたら罰が当たる」といわれて、それを信じていたら、本当に罰が当たります。

世間で罰が当たるようなことをしても、平然と生きているひとは、五万といます。

「罰が当たる」と思い込んで、自分でいわゆる、本人が思うところの罰を招いている人もいます。


人は、心地よいとする安全地帯(コンフォートゾーン)から、出ようとせずに、相変わらず過去の習慣のままに生きています。


安全地帯から抜け出す、新しい習慣をはじめ、目標を定めて、それに向かって動き出せば、人生が動き出しますよ。

二流三流の人が話す、伝聞の話を聞いていても変わりません。

一流の人の話、一流の書物を読んでいかなければ、大事な人生、取り返しがつかなくなりますよ。

「〇〇やって。テレビで言うとった。」という話。最悪。ほとんど間違っていると思っていいですよ。

民衆の記憶はあいまいですから・・

変えようと思えば、誰でも変えられるのが人生。

わくわくしませんか?

ではまた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?