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「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ」と武士道
日本には、本来「武士道」と言うのがあった。
武士(ぶし)道と云(い)うは死ぬ事と見付けたり
「葉隠」の一節。武士たる者は主君のためには死ぬことも覚悟しなければならない。
没我・献身に重きをおく武士道を説いた言葉。
![](https://assets.st-note.com/img/1686658598685-Nd2eQFviTe.jpg)
武士道(ぶしどう) [ 日本大百科全書(小学館) ]
新渡戸稲造(にとべいなぞう)の英文著作。
原著名『Bushido, the Soul of Japan』。
1899年(明治32)アメリカのフィラデルフィアで出版され、翌年日本でも刊行された。
彼は武士階級の道徳的あり方を律してきた武士道を「日本の魂」としてとらえ、
道徳体系としての武士道が説く義・勇・敢為堅忍の精神、
仁・礼・誠・名誉・忠義・克己等々の徳目は、単に武士階級にとどまらず
広く人間形成における普遍的規範として西欧におけるキリスト教的な個人倫理に
比肩されうるものであると強調している。
少なくとも、明治、大正までは。
昭和の大本営になって、崩れてしまった。
最前線には、まだあったが、首脳部にはなかった。
魚は、頭から腐ると言うが、その通りだ。
リーダーが、リーダーであった時代。
大国ロシアや、中国を相手に、極東の島国、日本が勝利したということは、
中近東の欧米に支配されてきた地域には、痛快事だったらしい。
僕たちが知らなくても、彼らには「明治リボリューション」というのは、
有名で座右の銘としている若者も多いと聞く。
![](https://assets.st-note.com/img/1686658598653-vgPECsaMfj.jpg)
無敵、バルチック艦隊を破った日本海海戦。
リーダーたちの明確な指揮が勝利を呼んだ。
当時の記録を振り返ると
1905.5.27 日本海海戦 5時05分、連合艦隊全艦艇に出撃が下令された。
連合艦隊は大本営に向け
「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」と打電した。
13時55分、東郷は連合艦隊旗艦「三笠」へのZ旗の掲揚を指示した。
この時連合艦隊が使用していた信号簿ではZ旗は
「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」
という文言が割り当てられていた。
日本の命運をかけて闘った、武士たちの思いを思い起こすと
身が引き締まる。
そして、快勝のあと、
連合艦隊解散の辞より
「神明は唯平素の鍛練に力め、戦はずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、
一勝に満足して治平に安ずる者より直に之を褫ふ。 古人曰く勝て兜の緒を締めよと。」
戦と言うのは、平素から勝つための準備を怠らず行ってきたところが
戦う前に既に勝つということを肝に銘じたい。
『孫子』の中に「夫れ未だ戦はずして廟算するに勝つ者は、
算を得ること多きなり」とありますが、戦の勝敗というのは廟(びょう)
で作戦会議を行う時に既に決しているわけです。
北尾吉孝氏
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