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「肩書き」が自分の実力と思いあがる人々。

★10年前の記事です。

かつて、フェイスブック友達の薬師寺みちよ参議院議員が、次の記事を掲載されていた。

素晴らしいと思ったので転載させていただきました。


「参議院議員になり1か月がたちました。
自分自身、周囲の変化に驚かされ、悲しくなってしまうこともありました。
分からぬことの毎日の中で、私自身、自信を失いそうになる瞬間もありました。
しかし、多くの方々に支えられながら、「薬師寺みちよ」の視点を貫いていく覚悟もできました。

会館に詰めてくれる秘書も、3年間、共にチーム薬師寺として支えあった仲間たちです。
政治の世界の人間ではなく、普通の感覚を持った青年たちです。
その彼らが1か月を振り返り、こう言うのです。
『省庁・地方自治体の役人が、資料を持って、「どうぞ、よろしくお願いいたします」と頭を下げてくる。
こんな環境に慣れてしまったら、秘書も勘違いしてしまいますよね』

私もその思いは同じです。
先日の戦没者追悼式でも、自衛隊の演習でも、国会議員が特等席を占めています。待遇も違います。
特に、戦没者追悼式では、ご遺族の方々がますます高齢化する中でも、全国から武道館にいらしていただけるのです。
しかし、県によっては、階段を使用し、2階席に上がらねばならぬ方もいらっしゃいます。
県のバスの待つ駐車場まで、暑い中、歩かねばならぬことも心が痛みました。
中央の特等席は、足のお悪い方に。
近くの駐車場は遠方からいらしていただいたご遺族のために。
この当たり前の配慮がなく、バッチをつけている人間が、肩で風を切りながら黒塗りの車に颯爽と乗り込み、ご遺族の歩いている前をすり抜けていく・・・
違和感を覚え、恥ずかしくも感じました。

きっと、これからますます旧態依然とした環境に矛盾を感じることでしょう。
これからも、私は私の視点で、皆様へ情報をお伝えしてまいりたいと思います。」

薬師寺 みちよ

かつて、党幹部の女性国会議員が、講演会の会場の玄関口まで、車で乗り付け、整理をしていた青年が、「どうして、みんなが遠い駐車場から歩いて来ているのに、あの人だけは、真ん前まで乗り付けるのか?そんなに国会議員は偉いのか?」と、憤っていたのを思い出しました。

地位、権力をもつと、周りがペコペコ、頭を下げて、特別扱いするので、急に自分が偉くなったと勘違いする人が多い。

人の意見を聞かなくなり、自分の考えを押し通そうとする・・・

そういう人をたくさん見てきた。

人格も識見も大したことにないのにね。

女性で勘違いしている人は、男性より哀れに見えるが・・・



是非、薬師寺さんのような精神を持ち続けてほしいと思う。

皆と同じように、歩いて、並んで、同じものを食べて、同じところで待って・・・

特別扱いされて喜んでいるようじゃ、人間が知れていますよね。



大切なのは肩書きではなく責任である。
責任をもつということは、仕事に相応しく成長したいといえるところまで真剣に仕事に取り組むことである。
責任に焦点を合わせるとき、人は自らについてより大きな見方をするようになる。


ピーター・F・ドラッカー


権力は、自分を飾るためでなく、みんなのために使ってほしいものだ。

自分のやりたい放題するためのものではないと思う。

ではまた。

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