見出し画像

諸葛孔明「出師の表」~優秀な人材を用いなければ国滅ぶ

諸葛孔明「出師の表」

「出師表」(すいしのひょう、「出師の表」)とは、臣下が出陣する際に君主に奉る文書のことである。「出師」とは文字通り「師(=軍隊)を出す」ことであり、「表」とは公開される上奏文を指す。「出師表」自体は一般的な文書名であるが、歴史上、三国時代蜀の丞相であった諸葛亮が、皇帝劉禅に奏上したものが著名であり、特に述べられない場合、「出師表」とはこれを指す。(ウィキペディア)


いよいよ、五丈原の決戦へ、出陣する孔明が、国に残す若い皇帝劉禅を

心配して書いたというのが、「前出師表」である。



原文と書き下し文(参照)
http://members.jcom.home.ne.jp/diereichsflotte/3CsH/HyoOfDispatchTheArmy.html


「賢臣に親しみ小人を遠ざくる、此れ先漢の興隆せし所以なり。
小人に親しみ賢臣を遠ざくる、此れ後漢の傾頽せし所以なり。」

「賢臣に親しんで小人を遠ざける、これは前漢が繁栄した理由です。
小人に親しんで賢臣を遠ざける、これは後漢が衰退した理由です。」



諸葛亮が北伐(魏への遠征)に出発する前に、国に残す若い皇帝劉禅を心配して書いたという前出師表の内容は次の通りである。

まず、現在天下が魏・呉・蜀に分れており、そのうち蜀は疲弊していることを指摘する。そういった苦境にもかかわらず、蜀漢という国が持ちこたえているのは、人材の力であるということを述べ、皇帝の劉禅に、人材を大事にするように言う。

さらに、郭攸之・費褘・董允・向寵といった面々の名をあげ、彼らはよき人材であるから、大事にしなくてはならないと言い、あわせて後漢の衰退の原因は、立派な人材を用いず、くだらない人間を用いていたからだとも指摘する。

最後に、自分が単なる処士に過ぎなかったのに、先帝である劉備が3回も訪れて自分を登用してくれたことにとても感謝していると述べ、この先帝の恩に報いるために、自分は中原に進出し、逆賊たる魏王朝を破り、漢王朝を復興させようとしているという決意を述べ、全文を次のように結ぶ。

臣不勝受恩感激 今當遠離臨表涕泣不知所言

大意:わたしは恩をうけたことの感激にうちかつことができません。いままさに遠く離れるにあたり涙をながし、ことばもありません

(ウィキペディアより)


まさに、先帝の偉業の威光で、現在の繁栄があることを忘れ、先帝と同じ威光があると錯覚し、
「小人に親しんで賢臣を遠ざける」状態である。

まさに、孔明が憂いた「後漢」と同じであることに気が付いているのだろうか?


「陛下も亦宜しく自ら謀りて、以て善道を諮諏して雅言を察納し、
深く先帝の遺詔を追ふべし。
臣恩を受けて感激に勝へず。
今当に遠く離るべし。
表に臨みて涕零ち、言ふ所を知らず。」と。

「陛下もまた自らお考えになって、正しい道について臣下と相談し、
的確で合理的と思われる進言をお入れになって、深く先帝の遺言を思い返しますのがよいでしょう。
私はご恩を受け、感激に耐えません。
今こそ遠征を行なうべきです。
この表に向かっていると涙がこぼれてしまい、何を申し上げるつもりだったのか忘れてしまいました。」



ああ、小人かな・・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?