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丸い人間になるな、どがった、人材になれ。

かつて、日本経済新聞一面。

「とがった人材」のどから手
「高い意欲とチャレンジ精神を持つとんがった人材がとれた」(立命館大学情報理工学部 国枝義敏副学部長)。

「目的意識が明確で専門家をうならせる逸材」(佐藤慎一東大副学長)。

「答えのない問題に挑戦し最善解を見つけられる人材」(淡路敏之京大副学長)。

「問題意識を持って考え課題を発掘する学生」(沖清豪早大入試開発オフィス長)。


「新たな産業を産む技術革新に挑戦する人材を育てないと、国際競争に勝てない」(淡路京大副学長)。

一定の学力は有しつつ、さらに主体的で能動的な意欲ある学生、あるいは特定の分野・領域に卓越した「とがった学生」をどのように発見し、獲得していくのかが、早稲田の重要課題の一つとなりつつある。


明治以来、日本は「欧米に追いつき、追い越せ」で走ってきた。

欧米のお手本を素早く理解し導入できる人材が重用され、それには正解をいち早く見つける偏差値秀才が適任だった。

だが、日本社会の成熟とともに、お手本探しの達人よりも、自ら考えイノベーションを起こせる人物が重要になってきた。



手本がある社会は、終わりを告げた。

必要な人材像も、丸い人間で周囲とうまくやる人より、何か一つ秀でて、新しい何かを生み出せる力のある人材が必要になってきた。

すべてが平均点より少し上より、すべて平均点以下でも、何かずば抜けて高い能力を持っている人材を捜し求めている。

実際、平均点程度では、社会では戦えない。

自分の得意なもの、優位性のあるもの、好きなものにどっぷりとつかって磨いていきたい。

こういう時代に大学受験をしたかった。



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