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私の為に時間を使う

思えば私は、自分の為に時間を使ったことがあっただろうか?

常にやらなければならないことに追われ、決して楽しめず、焦って焦りまくって時間を使い続けてきたように思う。

そんな私にダメ出しはしない。

見えない何かに突き動かされ、全てが仕組まれて操られているのだから、後悔しても嘆いてもどうしようもないのだ。

でも確かに今、こうして思考しながらnoteに記事を書く私は存在している。

これも脳が見せている幻想だとしても、とてもリアル過ぎて気がつくと どっぷりとこの世界に入り込んでしまう。

それでいいと思うようになった。

とにかく逆らわず、今ここで私という“個”を体験すればいい。

私は孤独だ。

そのどうしようもない孤独感をじっくりと味わっておけばいい。

それが自分の為に時間を使うことなのでは?とふと思いついた。

だからこうしてnoteに記事を書く私は、贅沢に自分の為に時間を使うことができているのだと分かる。

私はまだ外の世界の反応を気にする余り、もっと自分をさらけ出した記事を書くことに躊躇いがある。

でもやっぱり私はnoteが一番の癒しであり、生き甲斐なのだ。

なんでもいい、こんな内容はダメというのも私の思い込みに過ぎないのだから。

もっとプライドを捨てて、何も飾らない素の私を文章に表してみたい衝動。

このnoteに記事を投稿することで、私は沢山のネガティブな自分を自覚できた。

玉ねぎの皮を剥くように、一枚一枚プライドをはがしていった先に、見えてきた自分は、とても幼くて優しい光を放っていた。

私は自分で言うのも変かもしれないけれど、本当に優しい性質だ。

こんなに優しい私が、生きづらいのは明らかにおかしい!と怒りを覚える。

だから更に自分の内側に集中して、隠れた古い観念を探り続ける。

自分の見えている世界は、何処まで行っても自分の思い込みの映像でしかない。

つまり、答えは自分の内側にしかないということだ。

だから私は諦めず、自分をもっと掘り下げてみたくて、noteに記事を書いている。

このnoteに文章で自分を表現する為の時間は、誰にも邪魔されない私だけの貴重な時間なのだ。

私はもっともっとこの時間を大切に確保していきたい。

厳しい私の左脳は、記事の内容をチェックしてダメ出ししてくる。

そんな無駄な時間を使うのはあなたの為にならないと、警告してくる。

でも私は本当の私に到達するまで、noteにがむしゃらにひたむきに記事を書くつもりだ。

それでいい!それが最も私らしい生き方だ。

今私は自分の為に時間を使えている。

それが嬉しくてたまらない。


ここまで読んでくださって感謝します。

幸せをありがとうございます✴️



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