今までの体験が私を育て深い愛へと導いてくれた
私が今ここに生かされていること、それが既に奇跡なんだと思える。
だからと言って宇宙の真理を完全に思い出し、覚醒したとは感じない、まだ私の旅は継続していく。
でも何かが変化していることを実感する、もうかなりの執着を手放せたような軽やかさが確かにある。
私の人生で憎むべきキャラクターの人物は沢山登場してくれた、元夫や親戚の人達や父方の祖母や弟夫婦等、又 友達との別れも沢山経験して悔しい悲しい思いもした。
今その全ての人達を思い出しても、私は全く憎しみや悔しさは湧いて来ない、特にあんなにも許せなかった元夫に対して、何もマイナスの感情はなくなったことに驚いている。
私の体験したことは、私の心を成長させてくれた、だから私はこの先その記憶を元にして、ミラクルを起こす度に、深く感謝できる人になる。
あの壮絶な体験がなかったならば、絶対に味わうことが不可能な深い感謝、このことの為に先に沢山の試練を体験してきたのだろうと思っている。
例えば、最愛の人に出会った時、私は満面の笑みを浮かべて愛情を表現したい、実行できる私になれたのは、それまでの半生で沢山の後悔と絶望を味わったから、今ここで素直な自分になろう!と思えるのだ。
そして私は素直な自分に深く感謝するに違いない、もう嘘や疑いや計算のない本当の純粋な自分を、最愛の人に見せることができる、それが私のやりたかったことなのだから。
どうなっていくのかは、宇宙に任せて、ただ自分がどう在りたいか?に意識を向けておく。
私はその時その時の感情を素直に出して、精一杯味わい尽くす、大好きな人に大好きだと伝える、自分の全部を愛おしく思い大切にする。
無理だと半分諦めかけていた願望が叶った時、私はそれまでの辛かった体験を思い出し、何倍 何十倍にも感動することだろう、そしてそんな体験たちに対して、深く深く感謝することだろう。
だから辛い苦しい体験は無駄ではない、後に必ず感謝することに繋がっているのだ。
私がハマった中国の歴史ドラマ 孤高の花とコウラン伝は、私にどう生きたいかを教えてくれた。
ここまで導かれたことで、きっと私は望みを叶えることになるだろうと、根拠のない自信が定着してきている。
覚えた中国語(中国語特有の漢字は変換できないので読み方だけ記します)
好 痛苦 (ハウ トンク) 辛い
ハウ ナン グォ 悲しい
ヘン カイ シン 楽しい
ヘン ガン ドン 感動した
幸せをありがとう♡
ここまで読んでくださって感謝します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?