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小説『死なせてあげない』 by k.m.Joe

「ごめんなさい。私が勘違いさせるような態度を取ったかも知れないわね。きっとあなたには、もっとお似合いの女性がいるわよ。会ったらお喋りするぐらいのお友達でいましょう」

20歳の大学生、駒込 章、失恋の瞬間である。元々、女性を前にすると緊張するタイプで、自分から積極的に話しかけるような事はまず無い。今回も、学内食堂で同じ講義を受けている女子学生から「ノート貸してくれない?」と頼まれ、その時一緒に居た金澤鏡子に惹かれたのだ。女子達は3人組で、一緒に喋ったというより、3人が喋るのを聞いていたというのが正しい。

鏡子は初対面にも関わらず「章くん」と呼び、3人の中で一番、章に話を振ってくれた。その後、向こうからデートに誘ってくれ、映画を観に行き、ディナーを食べてバーで少し飲んだ。章は気の利いた話も出来なかったが、鏡子が楽しんでいるように思え、思い切って告白したのだが、思惑通りにはいかなかったのだ。

鏡子はその後も悪びれた様子もなく、親しげに振る舞ってきた。あっけらかんとした性格なんだろうなあと思う反面、少しいらつくような気持ちも正直、章にはあった。

そんなある日、鏡子がマンションに入ろうとしてた所に出くわす。

「あら、章くん、私の事つけてきた?」

「えっ?」

「まさかね。私ここに部屋借りてるのよ。良かったらコーヒーでも飲む?」

有無を言わさぬ雰囲気に、ひとり暮らしの女性の部屋に入るという、未経験ゆえの戸惑いさえ感じるヒマも無かった。男性の部屋と言っても良いくらい、茶色やベージュのシックな色合いでまとめた部屋だった。キッチンから鏡子が話しかける。

「章くんはバイトとかやってんの?」

「いや……」

「このマンションの1階にファミリーマートがあったでしょ。私はそこでバイトしてる。通勤は楽で良いわぁ」

かぐわしい香りと一緒に、お盆に載せたコーヒーを、鏡子はニコニコしながら運んできた。

「はい、どうぞ」章の前にコーヒーを置くと、自分もひと口飲み、まだ少しにやついた顔で鏡子が続けた。

「大体、章くんアレだよね。おとなしすぎるんだよ。真面目なのも良いけど、もうちょっとねぇ……」

「うーん、と言うか、」

鏡子は章の言葉を遮って喋り続ける。「ねぇねぇ、もしかして童貞?」

「う、うん」

「キャハハー、ウケるー」鏡子は仰け反って笑った。章は反射的に頭に血が上り、顔が紅潮していくのが自分でも判った。

「やーだ、顔赤いよ。童貞ぐらい大丈夫大丈夫!」鏡子は軽い調子で言ったのだが、章は正常な判断が出来なくなっていた。あまりに勢いよく自分に近付いてきたので、さすがに鏡子も危険を感じ、とにかく謝った。

「ごめんなさい、からかうつもりじゃなかったのよ」必死の訴えも章には届かなかった。理不尽な両手が鏡子の首を締め付けた。わめく事も泣く事も間に合わず、彼女は最期の時を迎えてしまった。

章にとっては唐突に、鏡子の苦悶の表情が目に入った。だが、力を緩めるのが遅かった。真っ白な時間が訪れた。それは自分の感覚では永遠のような時間だった。どうにか我に返った章は、ショックの余り震えが止まらず、彼女の様子を確かめる事もなくその場を去った。

その時、鏡子の魂は天井付近を漂い、自分自身と章の姿を見ていた。

「く、苦しい……なんてこと! 私死んでるの? 一体どういうこと、ううー、あいつ許さない! 絶対許さない!」

やがて大きな力に引っ張られるように、鏡子の魂は部屋を"抜けた"。

章は何度も嘔吐しながらどうにか自分のアパートにたどり着き、眠れぬ夜を過ごした。朝を迎えると、霞に覆われたような頭で昨日の出来事が現実なのかどうか考えた。ふと、鏡子に電話を掛けてみようと思い、携帯の履歴を見たが、ボーッとしているせいか見つけ切れない。電話帳で検索しても出てこない。おそらく無意識に自分で消したんだと思い、自分の罪が現実性を帯びてきた。自首しようと思い、近場の交番に向かった。しかし、どういう訳かたどり着けない。場所は確かに記憶しているのだがたどり着けない。暗澹とした気持ちで歩道橋の上に立ち、飛び降りようとした。だが、足が動かない。恐怖心というより物理的に動かないのだ。諦めてただひたすら歩き続けた。やがて鏡子のマンションに着いた。彼女が1階のコンビニでバイトしていると言ったのを思い出す。中に入り従業員に聞いてみた。

「こちらでバイトしている金澤鏡子さんは今日はいらっしゃいませんか?」従業員は鏡子を知らない様子で店長を呼んでくれた。

「かなざわきょうこさん? いや、ウチにはいないですね。ここのマンションに住んでる人? いや、マンションの住人でバイトしている人はいないよ」

一体どういう事だ。彼女が口止めをしているのか? とにかくマンションを離れ、鏡子といつもつるんでいたノートを貸した女子学生に電話してみた。

「あら、駒込君、どうしたの? えっ? かなざわさん? 誰? そんな人知らないわ。誰かと間違えてるんじゃない?」「いつも3人一緒にいたじゃない」「私はどっちかというと恵と2人でつるんでるわよ。誰かと勘違いしてるんじゃ?」ある程度予測はしていたが、鏡子の消息がつかめないどころか、彼女の存在さえ消されている。章は自分の罪を「確認」する術さえ失ったのか……。

その後、章は鏡子のマンションを度々訪れ、コンビニも再三利用していた。その内なぜか店長に気に入られ、そこで働き出した。鏡子に関する手がかりを得られるかもという意識もあった。やがて、実家の両親や兄弟が次々に不幸に見舞われ亡くなり、彼は天涯孤独となった。大学も辞め、コンビニ勤めを続ける内、店長が異動し、なぜか章が店長に抜擢された。鏡子と自分の罪に関する意識で、仕事は正直身に入らなかったのだが、従業員が優秀で、章は生活するのに十分な報酬を保証された。

40歳、50歳となり、せめて鏡子を供養しようと思い仏壇を購入した。位牌には金澤鏡子様と書き、遺影の代わりに彼女の似顔絵を書いてみた。朝な夕なに涙を流しながら謝り続けたが、いまだに自首しようとすれば警察にたどり着けず、死のうとしても思いを果たせなかった。一度、夜の街に繰り出しヤクザ者らしい男に喧嘩を売ってボコボコにされたが、殺せ殺せ!と強要したら気味悪がられ逃げられた。

中高年から老年に差し掛かる頃、身体中に痛みを感じるようになった。絶え間ない頭痛だけでなく、肩と背中の異常な張り、内臓から来る腹部の痛み、膝や関節の痛み……病院に行っても「異常なし」と言われるばかり。仕事を辞めて年金暮らしになったが、一日中寝ていなければならない日もあった。食欲もないのだが、体重は減らず。苦痛は増しても死に至るような事態にはならなかった。何の為に生きているのか判らず、死なない自分が悲しくてならなかった。首を括ろうとしたら紐が切れ、包丁で腹を刺そうとしたが自然に反れてしまう。

起き上がるのもやっとの身体で仏壇に拝み続けたが、来る日も来る日も絶え間ない苦痛の中で生きた。齢90を迎える頃、どうにか入院させてもらえる事になった。ひたすらベッドで過ごし、動きと言えば、手にした数珠を握り締め鏡子への謝罪を続けるぐらいだった。そんなある日、見覚えのない看護師がコップを持って近づいてきた。

「駒込さん、これを飲んで下さい。これで楽になります」笑みを浮かべる看護師の指示に素直に従い、彼の人生は終わった。

遠方に、色とりどりの花が咲く一帯が見えた。章は、ゆっくりした川の流れに浮かぶ舟に、ひとり乗っていた。舟は花畑の方には行かず、ゴロゴロした岩だらけの岸に着いた。おどろおどろしいまでの空の黒さと閑散とした風景に、章は自分がどこに来たか了解した。画に描いたような、金棒を担いだ赤鬼と青鬼が現われ彼の両脇を抱えた。そして、イメージ通りの閻魔大王の前に引き連れてきた。

「おお、来たか。駒込 章だな。お前の人生カルテを今読んでた所だ。これは、あれだな。お前が殺した女は悪魔と取り引きしている」

章には、現実感がなく夢の中の出来事に思えていた。

「どんな取り引きかというと、女の魂を悪魔に渡す代わりにお前を、苦しみながら生き続けるように願ったのだ。魂は悪魔の好物だ。魂を喰われた女は存在自体が無くなるのだ。たぶん女はそこまで聞いてないかも知れない。というか、お前が女を殺す所から悪魔の差し金かも知れんな」

章はただただ茫然とした。

「通常、この地獄ではお前のようなケースの場合、相手が心からお前を赦したら成仏できる。だが、これは無理だろうな。相手がいないんだから。可能性として考えられるのは、魂を喰った悪魔が代理になる事だが、これは考えにくい。悪魔は全くお前を気にしてないだろうから」

「私は永遠に地獄で暮らすのですか。私はそれで構いません。よろしくお願いします」「いや、違う。お前は生き地獄コースだ。刑を決めようがないからな」

「生き……地獄」「そうだ。また生まれ変わってもらう。ワシらもその方が助かる。最近、あの世、お前たちからするとこの世の人間どもが悪さをする事が多いせいか地獄が忙しくてたまらん」

「生まれ変わって私はどうなるんですか?」「同じだよ。苦しみ続けるんだ。ただ、今度は生まれた時から苦悩がついて回る」

「何とかなりませんか! 地獄に置いて下さい!」

「ワシの力ではどうにもならん。諦めるんだな」閻魔大王は席を立ち、最後のひと言を放った。

「それじゃ90年後にまた!」

(おわり)


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