シン・セン・グミ by 神田南田
さて今回のお話は、江戸時代の末期において、京都の治安を守るため、日本の未来を守るため、熱き思いを胸に秘めたる、皆さまご存知「新撰組」のお話です。
シン・セン・グミと申しましても、新しく、千つぶ入った、グミのことではございません。もちろん、江戸時代にグミなんてシャレたお菓子があろうはずもなく、もしもあったとしたらさあ大変。そんなインスタ映えするお菓子があれば、北は北海道から南は沖縄まで、一瞬でSNSで広まったことでございましょう。
それはさておき、そんな新撰組の最も華々しく活躍した出来事と言えば、泣く子も黙る池田屋事件。
時は元治元年6月5日。京都は三条小橋の旅籠、池田屋に潜伏していた長州藩、土佐藩などの尊王攘夷派の浪士たちを、京都守護職配下の治安組織である新撰組が襲撃した事件でございます。
大丈夫ですか、皆さん。話に着いて来ていますか。要するに江戸時代末期というのは幕府VS朝廷で小競り合いが続いておりまして、新撰組というのが幕府側、長州藩・土佐藩というのが朝廷側という構図になっていたのでございます。
ここで新撰組のメンバー紹介をさせていただきたく存じます。
まずは局長、近藤勇。次に副長、土方歳三、第3のコースが沖田総司、その他大勢となっております。
第3のコース沖田総司には黒猫との秘話もございますが、それはまたの機会にさせていただきたいと思います。【後注】
話を元に戻しまして、池田屋事件が起こったその日、新撰組はある重要な情報を掴んでいたのでございます。
尊王攘夷派の浪士たちが、どこかで密会しているとの情報です。ただ、どこで集まっているのかがわからない。
そこで、しらみつぶしで御用改めを決行したのでございます。
夜も深まる五つ時、現在で言えば21時近くでございましょうか、会津藩から集合を命じられた新撰組は、八坂神社前の祇園会所に集まりました。その数およそ32名。およそなら30名で良いのではないかと思うのですが、文献によりますと32名前後となっております。
しらみつぶしの御用改めをするにあたり、局長の近藤勇は隊を3つに分けます。
1隊は近藤自らが率い、残る2隊は副長の土方歳三と、むにゃむにゃむにゃが率いる隊となっております。むにゃむにゃ隊は諸説あるため、その他大勢の隊ということにしておきます。
3隊に分かれて御用改めを行う新撰組のうち、亥の刻に池田屋を改めたのは、最も数の少ない近藤隊でございました。その数、攘夷派20数名に対してなんとたったの10人。
メンバーは、近藤勇、沖田総司、その他大勢となっております。
屋内で浪士たちが会合をしていることを知った近藤は、表口、裏口をそれぞれ3人ずつに固めさせ、自らはわずか3人とともに池田屋に踏み込んだのでございます。踏み込んだのは、近藤、沖田、その他2人です。いずれも一騎当千の剣士たち。
さあ、これから大立ち回りというところで、まことに残念ではございますが時間となってしまいました。
続きは、いずれどこかでご縁があればということで。
これにて、新撰組池田屋事件の序とさせていただきとう存じます。
【後注:黒猫との秘話】
結核で療養中の沖田の前に、死を予感させるような黒猫が庭に毎日やってきて見つめます。それを嫌がった沖田が刀で切ろうとするのですが、体力の落ちている沖田には斬ることが出来ず猫は逃げてしまい、その時に「私には猫さえも斬れない…」と悔しがったということです。