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夫婦関係について - 私が正しい、あなたが変わるべきと思った時

こんばんは!カモミールです。

夜遅くに投稿しております。本来であれば夢見る羊飼いのことについて、色々と書きたいのですが、とにかく今は思い付いたことを書いて楽しもうと思っているので、思い立った時に、思い立ったことを、書きたいように書いてみたいと思います。お付き合いいただけたら嬉しいです(笑)

突然ですが、夫婦関係って本当に難しいですよね。結婚するまでは、勝手気ままに自分の好きなように生きてこられて、好きな時に好きなことを決めて生きてきてもそこまで支障がなく生活することができました。買いたいものをいくら買っても誰も怒る人もいないし、部屋を散らかし放題でも、誰かに何かを言われるわけでもありません。

しかし結婚するとそうではなくなりますよね。自分の好き勝手に生きられなくなる。ましてや、子供が生まれれば、奥さんも大変になりますし、本当に好き勝手に生きたりすることはできなくなりますよね。

後で自己紹介をできたらなと思っていますが、僕は今、長期育児休暇を取って10ヶ月ほど会社をお休みさせてもらっています。今年の3月から育児休暇を取らせてもらっています。その中で、育児を一緒にできる大変恵まれた環境にいるのですが、やはりそれでも、妻とぶつかることはありますし、喧嘩もやっぱりしてしまいます。特に妻は、愛を追い求めて生きている人なので、僕のように楽しいことして生きていられればそれでいいじゃん、と思っている人にはとても厳しい面があって、今まで怒られるようなことがなかったことまで怒られることは多々あります(笑) でもその度に、クリスチャンとしては愛を実践できる人に訓練されているのかなとも思えるのでそれもいいのかもしれませんが、実際の妻からの訓練はなかなかのもので、大変だなと思うことも山ほどです(笑) 妻から言わせれば、私の方が大変だ、と言われてしまいそうですが。。。(笑)

そんなことはさておき、最近妻と喧嘩している上で今日思わされることがありました。我々夫婦は、たびたび大きな喧嘩をするのですが、結婚して2年ほどしかたたない夫婦にしては結構激しいバトルを繰り広げられることもあります。それはまあ、僕が愛が足りないことが原因なのかもしれませんが、お互いが育ってきた環境や、お互いの価値観が違いすぎて、なかなか理解しあえず、その度に大きな喧嘩になってしまうのです。

そして、その根幹に当たるのが、育った環境や持っている価値観が違いすぎて、なぜ相手がそう思うのか、なぜ相手がそれをしてほしくないのか、なぜ相手がそれを大切にしているか、がいまいちお互い分かり合えないところが原因になるのです。

例えば、妻の家族は感謝の気持ちを表すのが大切だから、お世話になった人たちにこまめに感謝を表していくのがルールとして掲げられていて、僕もある時にはそのようにしてほしいと伝えられたことがありました。それまでの僕は、本当に心から感謝を伝えたいと思った時に伝えることが大切だと思っていましたし、そんなに沢山感謝の言葉をなんで伝えていかなければならないんだろうと疑問に思いました。それでも今は、彼女の思いもしっかりと理解して実践できていることはありますが、そういった価値観やルールなどは、おおよそ2人の間で全然違いますし、理解できるところもあれば、全然理解できないことも往々にしてあるのです。

そんな時に、なぜこの人はこの大切さが理解できないんだ?なぜ私の言っていることを聞かないんだ。私の言っていることが正しいに決まっている。わかっていない、あなたが問題だ!と思ってしまうのです。確かに、それもよくわかります。それはその人が生きてきて何かしらの成功体験を重ねて、実践している習慣となっているので、これをやるとこんなにいいことがあると片方は知っているのですが、片方は成功体験もなければ実践したこともないので、相手が何を言っているか理解できないんです。

そんな時に、私が正しい!あなたが変わるべきだ!なんて思い始めるんですよね。そしてそんなふうに思い始めると、相手も、あなたが変わるべき!と思って、結局お互い自分は変わろうとせず、相手が変わるのをただ待つだけになってしまうんですよね。そして、言っても変わろうとしない相手を見て、腹が立ってきて不満をどんどん貯めていく。。。そんなループに陥ってしまうのですよね。

時に、人が変わるって、簡単なことなんでしょうか?変わるってとっても難しいと思うんですよね。小学生や中学生の時、先生から見て明らかに考え方を変えた方がいい子供たちに対して先生がいくら注意しても、素直にその注意を聞いて、「はい、わかりました、先生。悔い改めて、今日から変わります!」なんて言える人は果たしてどれくらいいるのでしょうか?

それはノンクリスチャンにも同じく言えることではないでしょうか?聖書を読み、真理を知ろうとした上で、イエスキリストは神ではないと言うのであればそれはいいとして、知ろうともせず、それでも大丈夫です、間に合ってます、という人々はこの日本にどれだけいるのでしょうか?我々クリスチャンは、そんな彼らを見て思うのです。なんで信じないの!!なんで受け入れないの!!なんで変わらないの!

でも、神様は「時」を用意していると思うんです。どんなことも時があると思うんです。実が実るには時間がかかったり、タネから1日で芽が出て収穫できないように、神様に定められた時があると思うのです。「時にかなって美しい」とはまさにそのこと。全ては時があって、神様の時にそれが起こって美しいと言えるのだと思います。

映画の「I can only  imagine」という去年放映されたクリスチャンの映画があります。その映画の中で、主人公のお父さんは、子供や奥さんに虐待をして、奥さんには逃げられるお父さんでした。そんな暴れ回るお父さんでしたが、ガンを宣告され余命がいくばくもない時に、イエスキリストを受け入れ全く新しい人に変えられました。おそらく、この家族はお父さんのために相当祈ったと思います。しかしその祈りは余命が残り僅かになるまで叶えられなかった。しかし、それも神様が定めた時だったのです。そして、その主人公はお父さんが救われたことで大きな奇跡を見ることができました。まさに、時にかなって美しい瞬間でした。

人が変わるって、そんなものだと思うのです。非行少年が変わる時も時がある。引きこもりの人が家から出てくるのも時がある。病気が癒やされるのも時がある。むやみやたらと、あれこれしようとしてもその時が来るまではどうしても変えられないこともあるのだと思います。

そんな、変えられることが自分にとっても難しいことを、相手にいくら言ったところでどれだけ伝わるのでしょうか?もちろん、熱意を持って伝えればわかる時もありますが、もしそれが理解されなかったとして、むしろそれは当然なのではないでしょうか。そして、変われない、何も変わらない、としても落胆するどころか、むしろそれが普通と思っていいのではないでしょうか?

それでは、相手に落胆してそれで終わりでしょうか?そうではないと思うのです。それこそ、祈り求めて神に求めていくのではないでしょうか?「妻は(夫は)、もしかしたら、こういったことがわかっていないかもしれません。主よ、もしあなたの御心でしたら、彼女(彼)を変えてください(癒してください)。そして、私たち夫婦を憐んでください。」と。そうやって切に祈り求めていくことなのではないでしょうか?そして、それがもし自分本位な思いでしたら、神様はきっとあなたが変わることを伝えてくるでしょうし、神様がもしそのことを憐んでくださるなら、その人を変えてくださると思うのです。落胆せず、絶望せず、ただただ奇跡を行ってくださる神様が、このことをなさってくださるんだと信じてそう祈り求めるのが正しいのではないかと思います。

そして何より、変わって欲しいと思うのは愛を持って、ということが前提だと思います。自分本位に、自分が楽になるために変わって欲しいなんていうのは論外だと思います。また、それによって相手が変わることによって、その相手が本当に解放されて、変わる前よりもより明るく生きられる。相手の人生のために、相手の益のために、祈り求めるということが大切なのかなと思います。

映画の「祈りの力」で印象に残っているところがあります。おばあさんが「私は旦那に本当に怒っていた。」もしかすると、夫婦関係の中で、多くの女性たち、もしくは男性たちは、結婚相手に心の底から怒っているのかもしれません。しかし、同時におばあさんは言いました。「でも、敵は相手じゃない。」とも。僕はそう思います。敵は結婚相手ではないのだと。

その敵に惑わされないため、また相手を憎まないためにも、祈りをもって戦っていく必要があるのです。映画の「祈りの力」の英語名は War Room です。戦い(戦争)の部屋、と日本語では訳されるのです。つまり、夫婦関係は祈りの戦いといってもいいのだと思います。それだけ多くの戦いがあり、憎しみや怒りが湧き出てくる、いわば戦争のようなもので、愛し合って楽しく和気藹々なんてものでは到底ないのだと思います。(そういう時もあると思いますが。)戦争のような、戦いをもってして、夫婦関係が成り立ち維持されていくのだと思います。だからこそ、その戦いに勝てなかった夫婦は、別れの道を歩んでいくのだと思います。。。離婚率がこんなに多いことからも、その戦いの激しさはどれだけのものか、ということだと思います。

だからこそ、私たちは祈るのだと思います。祈って、祈って、夫婦関係を戦っていくのです。それは相手ではなく、相手と自分の間に働く敵と戦っていくために。まずは、相手と自分の間に存在しているサタンの存在に気づき、そこに惑わされないよう、祈りをもって激しく戦っていくのです。それはもう、戦い、戦争のように。。。そして、祈りをもって戦っていった時に、神様は大いに働き、大いに奇跡を起こし、そして夫婦は戦いに勝利していくのだと思います。

そのために大事なことは、自分を正しいと思い相手を変えることに実際的な労力を使いすぎないことです。説き伏せて、言いくるめて、是が非でも変えてやろうということに、時間と労力を費やしすぎないことです。それをしても、疲れ果てるだけですし、たとえそれで相手が変わったとしても、おそらくそこには相当の傷や憎しみがあなたに対して残るのではないかと思います。

互いに愛し合うことが大切だと思います。そのためには、祈り求めていくことです。相手のために祈ることです。また相手との関係のために自分が変えられるように祈ることです。その時に、神様は時にかなって大きな奇跡を必ず夫婦に起こしてくれるのだと思います。そのことを信じて待ち望むことこそ、私たちクリスチャンにとっては大切なことなのではないかなと思います。

ということで、少し長くなってしまいましたが夫婦関係について書いてみました。今回の文章は割とすらすらかけたので良かったなと思いました!赴くままに書いていくことをモットーにしていきたいと思います!(笑)

読んでくださってありがとうございました!


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