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noteを書くって難しい

前回書いたnoteを読み返してみて、びっくりした。

結構読みにくい…

文字が詰まっていて、スマホでスクロールするにも、結構文章が上手くないと先に進む気になれない。
そんな中「スキ」をくれた10人の心優しい方々には、直接会って握手したいくらいに感謝です。ありがとうございました。

たぶん、見出しをつけたり、引用したりと、noteで表現できるいろんな機能を駆使しないとダメなんだろうなぁと思いました。
ただ、それをやると私はnoteを続けるのが面倒くさくなってしまって、続けることが難しくなってしまいそうな予感がするので、可能な範囲で取り掛かってみることとします。

私がnoteをはじめた理由

エッセイを描けるようになりたいな、と思ったんです。

私は、何かを成し遂げていて武勇伝を綴れるわけでもないし、書くことが得意な訳でもないのですが、「書けるようになりたい」とは常々思っていました。

というのも、正直、私は喋ることが得意です。
普段の友達との会話でも、仕事でも、とにかく喋ります。
失敗しても笑い話にして乗り切れる。時間は過ぎていくので誤魔化すこともできます。
喋りは、その場の雰囲気とか空気感で伝わることがたくさんあるし、身振り手振り・表情も含めた“生放送の総合格闘技”です。

一方で、書くことは全然違います。
文字が残るし、読み手に完全に判断を委ねられることになります。
発信する側の方でできることは、文章を作って発信するところまで。
そのあとはどうにも出来ないんですね。誤魔化すことが難しい。
読まれないと意味がないんだけれど、読まない選択は読者側が握っていて、発信側は「話を聞いて!」「ちょっと待って」ということを言えないです。
だからこそ、書くときはすごく頭を使うし、試行錯誤する。

だから、「すごいな」って思うんです。
読んでもらうって、奇跡みたいなことですよね。

考えていることや、日常のことを、発信して楽しんでもらいたい。
そいういうことが出来るようになりたいと思ってnoteを始めました。

あと、私はお笑いが好きなので、オードリーの若林さんや、ハライチの岩井さんが書く文章が好きです。もちろん、喋りも大好きです。そういうところからも影響されています。

ミーハーなので。

コンテンツを“摂取”するだけの毎日から脱出したい

ところで、お笑いを好きだと書くと、途端に「喋りは得意」とさっきまで言っていたことが恥ずかしくなります。
私の喋りは私のことをよく知る間柄においてしか得意ではないです。
だから芸人さんはすごいんです。画面の先の見ず知らずの人たちを笑わせることができるから。

私は、とてもエンタメが好きです。
小説・映画・お笑い・テレビ・ラジオ・Youtube…
隙間時間を見つけては様々なコンテンツを“摂取”しています。

ラジオは毎週聴いている番組が5本、アフタートークなどの付随するコンテンツも追います。
テレビはTVerで5本、Youtubeは毎日何かしら見ています。
小説は1冊、常に持ち歩いているし、映画は1回見始めると週1で映画館に通ってしまいます。

そうやって、時間の大半をコンテンツを“摂取”することに使っているんです。

そのことを「無駄な時間だ」とは思ったことがありません。
それぞれ惰性で見ているわけではないし(そういう時もありますが)、何より好きで時間を使っているので、とっても幸せです。

ただ、ふと「このままで良いのかな?」と思うんです。

最近、ネット上で発信することって、怖くないですか。
自分が正しいと思っている考えが誰かにとっては間違えていたり、傷つけてしまうことにはならないか、これを発信することでどう思われるのだろう…
そんなことを考え始めると、いつの間にか自分から発信することが億劫になって、いつの間にか特に意味のない無難な投稿をするだけ、もしくは見るだけのSNSに成り下がっていました。

でも、そこで思考停止をしていたら、先に進めないと思うんです。

私は、常に発信する側でありたいと思っています。
ただの傍観者でありたくない。
そのために、いろんな表現方法を磨いていきたいと思います。

私の“文章コミュ障”を治すために、頑張ってみたいと思います。

では、また。

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