頬粘膜がん 218日目 やりたかったことをやりなさい part3
頬粘膜癌 218日目。
血圧 112-80 mmHg
血糖 - mg/dL (朝食前)
酸素 98 %
脈拍 70 拍/分
体温 36.4 ℃
体重 70.0 kg
今日は市内は市祭で公共交通機関も通行止めがあったりなんだかんだである。
つまり、下手に出かけると帰ってくるのが大変なのである。もちろん、お祭りを見物に行くとなれば覚悟の上であるのでバスがなかなかやってこないとか、そんなものは些末な事だ。(嘘です、帰りになかなかバスが来なくて大変なんです)
というわけで今日は引きこもりな感じ。と言っても1日中家にいるのもあれですし、座骨神経痛はいまのところ衰えを知らずで今朝も足は痺れまくっていたのでまずは病院である。
今の家に購入する前から、この界隈に住み始めてなんだかんだで30年ほどになる。さいしょはアパート暮らしだったのだが、借家を借りるようになり、そして今の古民家みたいな家を購入した。
というわけで現在通っているかかりつけ医だって30年来の付き合いだ。まぁ年齢とともに通う頻度が増してきて、若い頃なんてのはまったくお世話になる事もなかったんだがねw。 一時、職探しをした時に面接にも行った事がある。当時、接骨院で鍼灸師・マッサージ師の仕事をしていて、自宅で開業する事にした時に暫く失業保険を受け取って仕事せずにいた時期がある。失業保険を受け取っている時は、月に1度の職安での面談が必須であり、適度な仕事があれば面接に行ったりという”仕事する気がある”という事を態度で示すことが必要である。面談の時に、ちょっとしたバイトをしたよとか、面接に行ったよとか、そんなことを報告しなければならないわけだ。
で、近所のその病院が求人を出していたので職安から面接に行ってみないかと言われ、”嫌です”とも言えないので面接に行って体よく断られる必要が出たわけだ。もうちょっと失業保険を受け取りたいので面接に生きたくありませんなんてのは口が裂けても言えないのだ。
そういう次第で面接に行き、病院裏のご自宅にて当時多分事務長という肩書きであったであろう今の院長の奥様に面接していただいたりという事があったのだ。なんせ、当時は開業を予定していたし、まだ勤めるわけにはいかなかったので面接は失敗しなければならないわけだ。もうね、給与なんかもね希望額はがんがんに高めに要求しちゃったりとかね。・・・・・・それでもOKでそうな雰囲気になったのが今のかかりつけ医と、当時もう1件ぐらい別の病院なんかもあって焦ったものだった。当時は若くてイケイケな雰囲気が受けたのかも知れない。謎だ。まぁ給与をふっかけたと言っても、相手は大きめの個人病院の院長だったりするから僕が口にできる金額なんてのは先生方にしてみれば全然気にならない金額だったのかもしれない。こちらが小物なだけだったのだろうw
という曰くつきのかかりつけ医であるが、院長先生ももちろんそんな事は覚えていないだろうし安心してお世話になっている次第なのである。これからもヨロシクw
市祭があるからなのか、今日は土曜日なのにそんなに混んでいなかった。ありがたい事だ。わりと待ち時間が短くリハビリしていただけたのだった。
がんになってから再開したこのブログだけれど、その中でなんどか同じテーマで書いているものがある。それが”やりたかったことをやってみる”という内容のものだ。
もともとジュリア・キャメロンという人が書いた”「ずっとやりたかったこと」をやりなさい”という本がもとになっているのだが、その本のタイトルにちなんでいる。
『頬粘膜がん 171日目 やりたかった事をやりなさい2』 頬粘膜癌 171日目。 血圧 116-81 mmHg 血糖 - mg/dL (朝食前) 酸素 98 % 脈拍 72 拍/分 体温 36.3 ℃ 体重 7…
ameblo.jp
元々の本では、芸術的に生きると言ったらいいんだろうか? 感性がいきいきした状態で生きていくためにいくつかのメソッドを行おうという事なんだけれど、僕の場合はそのタイトルだけいただいている。
若い頃からやりたいなぁと思っても、結局は面倒くさかったり意気地が無かったり照れくさかったりしてやらなかったことがいくつもある。そんなことを今更やってしまえっていう試みだ。
なんせ、病気になったことでちょっとばかり命や時間の大切さについて認識を改められてしまった。自分にどれぐらいの時間が残されているのかは正直分からないし、もしかして思いのほか長生きできる事だってあるかもしれないが、先の事がぜんぜん分からなくなって予定みたいなものがきちんと考えられなくなってしまった。もともときちんとした考えなんてなかったんだが、それでも漠然とした将来像みたいなものがあったようにも思うがそういうものがうまく思い出せないぐらいには”今”を生きるのでせいいっぱいでもある。
だから、今までやりたいと思ったことがあったけどやらなかった事や、これからやってみたいなぁと思った事はやれるもんならやってみようかなぁと思っていたりする。
これまで、”ドラムを叩いてみた”ってのと”車の運転をしてみた、は無理なのでレースシミュレーターに乗ってみた”ってのをやった。
他にも、銃を撃ってみたい(海外旅行で銃体験ってのがあったりするアレだ)とか、生のガムランやケチャを聞いてみたいとかあったりするんだが、海外旅行は今のところあまり現実味がないw
で、今回はエレキベースを弾いてみるってのをやるのである。
先日、ヤフオクで美品ベースを6,000円で落札し、家でちょこちょこ触っている。アンプなしでヘッドホンで練習中だ。中学生の頃ならそのまま独学で突き進むのだが(実際にギターは独学だ)、こちとら少しばかり時間については余裕がないかもしれないし、そもそもが若者じゃないので吸収力だって集中力だって激落ち状態なのである。ここは金にものを言わせて技術は楽に手に入れるのである。
さて、”無料体験レッスン”だ。金、使ってねぇじゃんw だって、金がものを言うのはそいつが大量にある場合なんだものw
来週の月曜日に個人レッスン60分、予約しちゃったものねw
いやぁ、どうもがんになってからというもの、恥ずかしさみたいなものが減ったよね。なんか、いまさら若い人にベース教えて貰うとか恥ずかしいな・・・・・・みたいな感覚はあるっちゃあるが、そういう事で尻込みするなんて勿体ないって感じてしまうのである。そういう事をあーだこーだ考えるくらいならまずはやってみようって思う。それで嫌ならその時考えればいい。独学で進む事だったもちろんできるんだから。
でも、新しく何かを学ぶってのはちょっとワクワクする。今から月曜日が楽しみなのである。
ベースを買ってから起こった事。今までと同じようにイヤホンで音楽を聴く。するとベースの音が良く聞こえるようになった。もちろん今までだって聞こえていたけれど聞こえ方が変わった。ベースの音への関心が増したことにより曲の中に自然に溶け込んでいたベースのフレーズが浮き上がってくる。
もともと、レベッカとか聞いているとベースが利いているなぁと思っていたけれど、今は他のいろんな曲でかっこいいベースのフレーズが耳に入ってくるようになった。ベースが聞こえるようになったからと言って、音楽を聴くという行為の楽しみが減ったわけではない。音楽は音楽としてちゃんと聞こえていて、充分に楽しめている上でベースのフレーズを今まで以上に捉えられるようになったという感じだ。1粒で2度美味しくなった感じ。
他の楽器についてもきっとそうなんだろう。新しく楽器を始めたら、今までは普通に聞こえているそれらのフレーズがより鮮明に浮き上がって聞こえてくるようになるんじゃないだろうか。
もしかしたら、バイオリニストはバイオリンについては凄い耳を持っているけれど他の楽器についてはそこまでではないかもしれない。そういう状況の中でコンダクターにはすべての楽器やフレーズがちゃんと浮き上がって鮮明に聞こえているのかもしれない。
僕たち観客はもちろん完成された交響曲を心地よく聴いているには違いないが、作曲家やコンダクターは僕たちの何十倍もの鮮明さで音楽を捉えているのかも知れないなぁと思ったりするわけである。
これはカメラを始めた時にも感じた感覚に似ている。カメラを始めてから、世界の見え方が変わった瞬間があった。今まで目にとまらなかった街かどの美しい物が見えるようになった。
人の持つセンサーは凄いね。
科学の人が、人間は脳のほんの数%しか使っていないんだよって言っているのはこういうことも含まれているんだろう。もっと沢山の贈り物が世界にはあふれているけれど、僕らはそれのほんの一部しか受け取る事ができていないのかもしれない。
最近はベースフレーズが美しい楽しいと感じる曲が増えて、今までそこまででもなかった曲が凄く好きになってなんだか得した気分である。
今日もいい1日であった。
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