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【善し悪し】でも【正解不正解】でもないもの

 心を込めて『善かれ』と思って行なっても、自分と同じように『善い』と受け取ってもらえなかったり、二次的に違った結果を生んでしまったり、善かれと思ったけど結果善くなかったって言うようなことが往々にしてあります。

 なっちは重度訪問介護のヘルパーさんのお世話になって自立生活をサポートしていただいていますが、担当くださるヘルパーさんの数は6~多い時で10人くらい。

 皆さん温かな方ですし、物言えぬなっちにとって何が一番いいのかを一生懸命に考えて支援してくださっています。なっちには自我がしっかりありますが、具体的にどうしてほしいと言語化できない以上、結局最終的に正解かどうかはわからないことも多いです。

 例えば。

 朝、送り出し前にトイレを済ませることができなかったらオムツやパッドを使いがち。そのほうが送迎してくださる車を濡らす心配もないですし、介助者さんのお手間も減ります。なっちも気持ち悪くなくてよい。ただ、なっちの肌は弱いので、夏場に長時間オムツが当たっているとかぶれの原因にもなります。いったんかぶれたりただれたりすると掻き壊してしまって傷になります。

 また、

 なっちは人が大好きですし、賑やかに一緒に遊んでくださると嬉しくなってテンションアゲアゲで大喜びします。若い支援員さんだと特に一緒に跳ね回ってそれはそれは嬉しそうに笑顔MAXになります。でも、そんなときは体の力を抜くことができなくてきつく握ってしまったり、髪の毛を引っ張ったり、落ち着いてさえいたら聞き入れられる指示に従うことができなかったり、大きく動き過ぎて転倒してしまったり…ちょっと困った事態になることも。クールダウンもとっても重要な要素なんです。これもなかなか難しい。

 そんなものごとの両面のどちらを優先して動いたか、また、そこまで深く考えなかった、など、いろんな理由で支援に差異が生まれます。

 時に、その差異がトラブルに発展することも。

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 これ、実は、家族間でも非常にトラブルが多い部分なんです。

 家族にはいろんな形があって、障害児(者)を子育てしてきた家庭の形も実に様々。ひとり親世帯から、おじいちゃんおばあちゃんと同居していて大人四人が子育てに関わってくれている家庭もあります。年の離れた兄弟がいる場合、お兄ちゃんやお姉ちゃんも一緒に世話してくれてる、なんてことも多いです。そして、みんなたいてい『善かれ』と思ってやっています。

 でも、個々の性格にもよりますし、『何を優先順位の上のほうに持ってくるか』でもものごとの選択の仕方は変わってきます。

 せっかく一人でクールダウンできてiPadを見て過ごしてくれているのに長男が帰ってきて大喜びしてギャーギャー走り回り始め、台所にやってきて火の回りをちょこまかしだしたら危険すぎて母の雷が落ちます!

 『善かれ』と思ってなっちを楽しませてくれていた兄ちゃん、怒ってごめんよ~~~💦と何度後から反省したかしれません😓

 また、子育てした親御さんなら想像がつくでしょうが、小さい子供たちの親の食事が後回しになるなんてことはざらです。でも、そのままほとんど食べられないと辛いので、大人しくしてくれている間に先に食べちゃえ!と一足先に食べ物を口の中に突っ込んでいると、昭和ひと桁生まれの私の実父は『母親が子供よりも先に喰うとは何事や!?』と私を怒鳴ったことがありました。

 ジェネレーションギャップというか、価値観の相違というか…

 父の人生や価値観に照らせばそういうものなのでしょうと今ならわかるけれども、当時は憎しみいっぱいの目で睨み返しましたっけ。(それでもこの強父に逆らう勇気はなかったので涙を堪えて睨みつけるのが精いっぱいの抵抗でした。)

 そして、まさに今。夏場は意識的に水分をしっかり摂らせないと熱中症になりますから水分補給には神経質になっています。できるだけ多くの水分を摂らせたい。だからと言って安易にスポーツドリンクなどを多めに摂らせると糖分過多で肥満が心配になります。とは言え、今日は本当に少なめ…と思うようなときは美味しく飲んでくれることを優先します。

 そのあたりを微妙なさじ加減で考えているときに、あまり深く考えずにスポーツドリンクをきりなく与えているのを見てしまうと『もうっ!!』とイライラしてしまうのです。(たったこれだけのことなのにね。誰も悪くないのにね💧)

 こういう時、『善かれと思ってやってくれていること』に感謝するのはとっても難しいものです。

 でも、逆の立場になってみると、善かれと思っていたのに怒りをぶつけられたらたまったもんじゃないですよね。

 もうこうなったら負のスパイラル。

 誰も悪くないのに、家の中にどよ~~~んと良くない空気が流れ始めます。

 すぐに、『ごめん、悪かった』『言いすぎた』って言えればいいのでしょうが、これがまた、家族だからこそなかなか素直に言えなかったり。

 そういう負の感情が渦巻く時間が長くなると、【家庭環境】というものが何となくぎくしゃくしてしまったり、家に帰りたくないお父さん、ワンオペ育児をしなきゃいけないお母さん・・・みたいな事態になっていっちゃうのかなぁ・・・。

 

 ですが、きっとありがたいこと、なのだと思うのですが、我が家の男子たちは(特に夫は)、良くも悪くも私の話をあまり真剣に聞きません

 私の機嫌が少々悪いくらいなら、ちょこんと頭を下げて頭の上を通り過ぎていくのを待ってれば過ぎ去るから~~~くらいに思っている。

 本気で話し合いをしようと思っているときには実にイラつく所業ですが、普段はこのくらいでいなしてくれているほうが、どよ~~~んの空気が流れずに済んでいるのかもしれません。(うん、間違いない😅)

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 実生活の中には、どうでもいいことだけどその人のこだわりがあったり、人によって『こうしたほうがよい』と思うことに様々な思いがあったり、自分としては〇〇だからこうしようと思った、というようなさまざまな物事の捉え方があるものです。

 そしてそれはほとんどの場合【善し悪し】ではないことが多いのです。

 なっちのように、多くの【他人】の支援を受けている場合、家族の中に生まれる価値観の相違くらいじゃすみません。皆さんの育った環境、暮らしてきた歴史に裏打ちされたものの考え方、習慣、癖。それらに常に影響を受けながら支援が行われていきます。

 私たち親の目の黒いうちはお伝えできることはしていきたいと思っていますが、ゆくゆくは、なっちが自分で『こうしてちょうだい』と言えないということはそれら支援者の差異を受け入れながら支援を受けることを意味します。

 なっちは言いませんが、私たち家族は、自分たちの思いと違う支援が行われていたら『え?なんで?』と思うより前に責めたくなることがあります。

 時には支援者さん同士の中にも『あの人はこんなことして』という文句が生まれてしまったりもするものです。

 でも、そんなときには、できれば深呼吸して、

 『善かれと思ってやってくれているんだもんね』
 『なんでこうしてくれたんだろう』

 と思えるようになれるといいな、といつも思います。

 と、同時に支援者さんには、私たちがなぜそうしてきたかをという根拠をお伝えし続けながら、いつも感謝の気持ちを込めて『こう考えてこうしてくれてなっちが嬉しそうだった』とお伝えしていきたいな、と思います。


 【善し悪し】も【正解】もない、本当に難しい話だからこそ、【感謝の気持ち】を込めて、私たちがなっちの家族としていつのときも一生懸命に考えて考えて彼女を大切にしてきたことを、心を込めてお伝えすることしかできないなぁ、と思うのです。

笑顔が増えるための活動をしています。 いただいたサポートは、稀少疾患であるアンジェルマン症候群の啓蒙活動、赤ちゃんから高齢者まで住み慣れた地域で1人でも多くの方が笑顔になるための地域活動の資金として大切に使わせていただきます(^^)