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子どもにとっての【居場所】の大切さ

  今回の新型コロナウイルスの感染拡大。

 高齢者の死亡率の高さ、感染力の強さ、社会・経済への影響、そしてそして子どもたちの活動への影響。

 愚痴っても仕方ないことだけれど。この先どうなっていくのかわからない不安が全世界を包んでしまっていて、物理的な活動だけでなく精神活動にも淀んだ空気が流れてしまっています。
 精神活動が一度落ちてしまうと、『〇〇しなくてもなんとかなった』『無理に必要ないかも』と活動低下が落ち着いてしまい、『さぁ、動いていいよ、解禁!』となっても多分なかなか元には戻らないでしょう。

 購買活動をはじめとした経済活動も、余暇活動も、生活上必要最低限だったはずの移動や家事の類まで。

 何より、ある程度運動が習慣化されていた高齢者や子どもさんたちの運動不足、活動不足が引き起こす余病や弊害については、新型コロナウイルス感染収束後、かなり報告される気がします。

 殊に、子どもたちが【居場所】をたくさん奪われ、常日頃、子どもたちが身体的な活動だけでなく精神活動も豊かにおこなっているその【居場所】がなくなっていることの弊害は実に大きいと思います。

 今回の全世界的なコロナウイルスによる政府見解や社会の自粛によって子ども達に及ぼした影響について、そしてそのことに対する世論がここ10〜15年間で随分変化したことについて、少し私見を綴ってみたいと思います。


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 今回、一部の例外を除き、多くの小中高、特別支援学校などが休校になりました。
 3月初旬からの突然の休校は、本当はお別れまでもう2週間ほどはあるはずだった子どもたちから突然恩師や仲間を奪い、卒業式を奪い、入試さえもスケジュール調整が行われたりしました。

 子どもたちの気持ちを思うと胸が締め付けられそうになります。
 確かに、子どもたちには大人にはない適応能力があり、これはこれでちゃんと受け入れてこの環境で宿題や少人数での外遊びを楽しんで頑張っている姿は愛おしく、『これもいい思い出かも!』なんていう子もいたりして健気だなぁ、とこちらが励まされます。

 でも、本当は、人間(生きとし生けるもの)にとって変化に適応するのはとても大変な事。ストレスなことです。子どもたちにとっては災害並みの突然の変化を受け入れなくてはならない大変な試練だったことと思います。
 もちろん現場の先生方の不断の努力や諦めない気持ちで、なんとか子どもたちの心に残る卒業式、修業式をと毎日のように工夫が凝らされているニュースを目にして、もらい泣きしそうにもなったりしています。

 今回、政府見解や社会通念上で【大事なこと】として語られていることの中に、この『子どもたちへの生活変化への配慮』がたくさん盛り込まれていることは、経済恐慌・株価暴落・全世界的自粛・国境閉鎖など未曾有の事態にあって、一筋の光のような、未来につながる素晴らしい事柄だと思っています。

 ・子どもの休校のために急遽家で子どもを見なくてはならなくなった親の休業補償
 ・子どもの居場所づくりのための学童保育の整備の工夫
 ・保育園などの福祉施設を開園するための整備の工夫

などなど。

 だって。
 10数年ほど前までは、先進地域や都会はともかく、日本の学校全校に学童保育すらなかったのですよ。我が市では、その頃にやっと市内全校に学童保育が整備できました!と市議さんが言っていたように記憶しています。
 10年前といえば日本は既に核家族化していたにもかかわらず、それでもまだ子どもは親や家族が見るのが当たり前という風潮だったのです。
 その子どもを見るための休業補償に言及してくれる人が当時いたでしょうか!?

 加えて、その子どもが『障害児』となるとどうでしょう。
 それで親が(特に母親が)働きたいなどと言い、そのための子どもの安全な居場所が欲しいなどと言えば【贅沢な要望】扱いだったのはご想像の通りです。
 もちろん正職員で働ける人権なんてどこにも保証されていませんでした。

 その頃、私が広く世の中に伝えたいと思って政治行政にお願いの声を上げてきたことの中身には、

『親が働くための子どもの預け先という一義だけではなく、子どもにとって放課後や長期休暇に同世代の子供との触れ合いの場があり、共同作業があり、役割があり、年齢に応じたストレス解消の活動の場があることは、親の職の有無、子どもの障害の有無にかかわらず絶対に必要!』

 というその一点だったのですが、たったそれだけのことが役所でも市議会や県議会でも問題にもしていただけない時期が長く続きました。
 その間に一般質問などでお骨折りくださった市議や県議の議員さん方は『なかなかお役に立てなくて申し訳ない』と、よく無力感を詫びてくださいました。しんどいお仕事だったことと思います。
 こちらこそ、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
 でも、今から10年以上も前に、一歩も二歩も先の課題を、こんなマイナーで贅沢とも取られる意見を、却下されてもされても市議会や県議会で問題に挙げてくださった議員の先生方の熱意に、今も心から感謝しています。

 だって、絶対、それがあったから今に繋がっているはずですから!今はみなさんがこのことに目を向けてくださる時代になっているではありませんか!

 というわけで、なっちが小学校に入った頃、今から15年前には、この望みは全く以って【贅沢】という扱われ方だったのです。

 それが、平成24年に激変します。
 児童福祉法の中に『障害のある子どもたちの放課後保障』が明記され、今のような『放課後等デイサービス』や『児童発達支援事業所』『重心児デイサービス』などが法制化されました。
 
 高齢化が加速の一途を辿って、いよいよ働き手が少なくなってきた事で、少しでも就労人数を増やさなくてはならなくなったという別の理由も相まって、また、保育園の待機児童問題などの社会問題化にも後押しされる形で、親の就労支援問題、障害児の居場所確保問題に日が当たりはじめました。

 そして、本来の放課後保障、長期休暇保障の必要性として、障害の有無に関係なく子どもたちには活動の機会と居場所が必要!ということが広く認識され始めたのです。
 
 もちろん、未だ三歳児神話(※)などは根強く、少し年配の方の中には(あるいは、自身がそれを否定された事でそう思い込まされている30代40代の人たちの中には)乳飲み子を預けてまで親が就労することに対し否定的な見方もまだまだあるようです。(※三歳児神話:子どもが三歳になるまでは母親は子育てに専念するべきでありそうしないと成長に悪影響を及ぼすという考え方のこと。)
 しかし、私の子のように、乳飲み子時代から専門職の支援を受けてすくすく育ってきた若者(我が息子は現在25歳、娘は21歳です)が社会を担う時代になってきて、三歳児神話がどこまで【神話】的意味を成すのかは疑わしいところです。

 手前味噌ですが、我が息子は今介護職についていますが、私が手のかかる障害児の長女と、その兄である長男との子育てを一手に引き受けてストレスいっぱいで育てていたらきっとこんな子に育たなかっただろうっていうほど穏やかな男子に育ってくれています。(本人の性質も大いにありますが)
 あの頃の自分を思い返すと今でも恥じ入るばかりなのですが、あんな余裕のない母だけでいったい何ができたというのでしょう。専門職の愛情豊かな関わりって本当に素晴らしくありがたいと言わざるを得ません。
 
 そして何より、同世代の子どもとの触れ合い、役割、活動、居場所が確保され、そこで安心安全に過ごせることは、エネルギーの有り余っている子ども時代のそのエネルギーの好ましい発散であったり、仲間づくりだったり、本人の存在意義や自尊心につながる心の成長だったりに非常に大きな影響を及ぼすのです。

 
 このたびの新型コロナウイルス対策の一環では、子どもたちが居場所を奪われたり親が働けなくなったりしました。
 が、しかし、そのことに対し社会が非常に問題意識を持ち、そこに対策を講じようと知恵を絞って動いていることを私は心から喜ばしいことと思っています。

 『今はみんなが我慢しなくちゃいけない時だけれど、大人たちはみんな君たちのことを大切に大切に思っているよ』というメッセージを子どもたちに送れていると思うのです。
 『自分たちのことを大人が大切に思ってくれている』というメッセージは必ず心に響きます。
 子ども達の豊かな感性は、必ずや大人たちが心を込めてくれたことを感じてくれるに違いありません。そしてそれは、子ども達の素直で純粋な精神活動につながっていくと思うんです。
 
 そして、この子どもたちの健全で素直な精神活動が、巡り巡って私たち大人の落っこちた気分を向上させ元気を与えてくれるような気がするんですよね。

 結局、一番大切なものは目に見えない心の交わりなのだと思うのです。


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 せっかく春の心地よい日和であっても、咲いている花・澄んだ青空を見てほっこりする時間がなくなってしまっていますよね。

 でも、花はいつものように咲いていますし、空は青くて、雲が緩やかに流れています。お寝坊な私は朝焼けはなかなか見れませんが、夕焼けはとっても美しいです(^^)

 ぜひ、それら自然の美しい営みを感じてひと呼吸し、ほっこりするあたたかさも子どもたちと共に感じたいなと思う今日この頃です。





笑顔が増えるための活動をしています。 いただいたサポートは、稀少疾患であるアンジェルマン症候群の啓蒙活動、赤ちゃんから高齢者まで住み慣れた地域で1人でも多くの方が笑顔になるための地域活動の資金として大切に使わせていただきます(^^)