見出し画像

頑張る!って何だろう

昭和の世では、田宮二郎と山本陽子、平成の世では、中居正広と竹内結子、渡辺淳一氏の「無影灯」をテレビドラマ化した「白い影」。孤高の天才外科医、直江庸介と彼を慕い愛する志村倫子の物語。多発性骨髄腫という病魔と闘いながら自らの死と向き合う直江の刹那的な生き方を必死に支えたいと願う倫子の感情の機微が、渡辺氏独特の世界観で描かれている。
「生きたい!」と願う直江をあざけ笑うかのように病魔は進行。そこには、「頑張っても、どうにもならない」という絶望感がにじみ出る。生きていれば、その臨床経験と医師としての天才的な腕で多くの患者を死から生還させるであろう一人の天才医師を無残にも死の淵に引きずり込んでしまう、という悲しい現実を、元医師という肩書きを持つ渡辺氏が繊細かつダイナミックに描いている。私は、渡辺氏の小説は、他にも多く読んだが、この「無影灯」は、今でも心に残る小説である。

直江先生は頑張れとは言わない

私の世代、圧倒的な存在感を誇る「ザ・ドリフターズ」。PTAから子供に見せたくないワースト番組と言われようが、我々は、ドリフの笑いに救われ、タテ社会の基礎を教えられた。ドリフが演じる家族コント、会社コント、学校コントなどは、いかりや長介が演じる母ちゃん、上司、先生を頂点とするタテ社会の一端をコントを通じて教えているものと、私は勝手に思っている。セリフも、コントのオチも全てわかっているのに、今でもYouTubeで大笑いしてしまうのは、何でだろう・・懐かしさと安心感が感じられるコントを見ながら、自分のこれまでの人生を再確認しているのかもしれない。
そんな、いかりや長介が、俳優として存在感を表した数々の映画、テレビ番組の中に、平成版「白い影」がある。進行性のスキルス胃がんで手術ができない状態。そのまま、病状が進行していく中で謹慎中の直江に代わって同僚医師の小橋が病室を回診したとき、いかりや演じる石倉由蔵に小橋が「頑張ってくださいね」と言葉をかける。その言葉に「直江先生は決してそんなことは言わない」「患者はみんな頑張っているんだよ」「頑張っていない患者はいないんだ」と言い放つ。「では、直江先生はなんと言われるんですか?」と問う小橋に石倉は「大丈夫ですよ。と優しく言ってくれるだけだよ」「あの先生は、目で診察してくれるんだよね」と小橋の方を向かず窓から見える外の風景を見ながらつぶやく。

それでも、また明日から生きていくために人は頑張るんだよなあ・・

週明けの出勤は、また一週間が始まると思うだけで毎週憂鬱だ。物理的にも週明けなので処理案件がたまっていることも起因している。「頑張る」とは、「ストレスとの戦い」を意味しているのかもしれない。人が生きている限りストレスが全くないことなどあり得ず、そのストレス度合いを薄めるような対処方法を見つけない限り、やっぱり人は「頑張って」しまうんですよね・・そのストレスの原因が、単なる処理案件の多さではなく「特定の人」によるものとしたら・・そう思うと余計に憂鬱な気持ちになる。
まあ、いかりや長さん的に言えば、「もうひと頑張り行ってみよう!」「ハイ、次行ってみよう!」ってなところですかね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?