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作文法2:日本語の語順

 私がこれまで学んできた作文技術をnoteに書いていこうと思います。作文法1ではパラグラフ・ライティングについて記述しました。今回は日本語の語順について深掘りしていこうと思います。

1 日本語の語順:SOV

 日本語の語順はSOVの順番であり、英語の語順はSVOの順番であるということは周知の事実です。SはSubject:主語、VはVerb:述語、OはObject:目的語です。例えば「私がりんごを食べた。」という日本語はSOVであり、「I ate an apple.」はSVOです。

 しかし、日本語が常にSOVの順番かといわれると、必ずしもそうではないことに気がつきます。もっというと、そうでないことが非常に多いことに気づきます。例えば先の例では「りんごを私が食べた。」のOSV語順でも全く問題がないように見えます。動作主が私であることが明確であるならば、「りんごを食べた。」という主語がない形でも全く問題がないように見えます。こうした語順の変更や主語の欠落は英語では不可能なので、英語はSVO語順だという分類は腹落ちします。しかし日本語はSOVにならない例外が多く納得できません。

 調べてみると、どうも言語学におけるSOVやSVOといった言語類型は<基本語順>という概念で定義づけされているようです。つまり日本語は「私がりんごを食べた。」が基本語順であり、「りんごを私が食べた。」はそれに準ずるものであるという考えに基づき、言語の分類がなされているようです。言語類型は歴史的・統計的に決定されているようなので、おそらく大量の日本語をサンプリングした際にSOV語順が多数であるため、SOV語順が基本語順とされているのだと思います(この辺りはちゃんと知りません。間違っていたらすいません)。

 しかし、こうした言語類型は日本人に少なからず誤解を与えているのではないかと感じています;日本人は義務教育で国語を英語と共に学んでいくため、英語のSVOと対比してしまい、日本語をSOV語順で作文しなくてはならないと思い込んでいる節があるのではないかということです。例えば、科学系の論文等で:

現在わが国では、・・・・が問題となっている。そこでわれわれは、・・・・に着目した。本研究は、・・・・の改善を目的とする。提案手法は、・・・・によって問題を改善する。

といった具合に、主語が先頭に——特に、読点を伴いながら——書かれることが多くみられます。こうした書き方は決して悪くなく、論旨が明快で読みやすいです。しかし、あまりにこうした表現が続くと、作文に慣れていないのかな?という感じを受けます。

 上記の例のような文章を書いてしまう理由は三つあります:①日本語の読みやすい語順を知らない・②読点の正しい使用方法を知らない・③助詞「は」の役割とムードを知らない、の三つです。①の読みやすい語順と、②の読点の使い方について本noteで解説します。③は難しいので次回以降のnoteで解説します。

2 日本語の読みやすい語順とは?

 学校の作文教育において「主語と述語とを近くするべき」と私は習いました。こうした語順が本当に好ましいのかということを検証することで、読みやすい語順を考察していきます。実は、主語と述語とを近くした際に読みにくくなる文はいくらでも作ることができます:

①東京に22年間住んで大学まで卒業した私が田舎暮らしを始めた。
②田舎暮らしを東京に22年間住んで大学まで卒業した私が始めた。

①の方が読みやすいのは明白ですね。恣意的な例文ですが、こうした例文はいくらでもつくれるので「主語と述語とを近くするべき」を作文の原則とはいえないでしょう。

 文型を詳しく見てみます。上記の例文は「AがBをVした。」で構成されています。専門的な解説はしませんが、日本語の語順において支配的な立ち位置を持っているのは「Vした」の部分です。つまり「AがVしたBを。」とか「VしたAがBを。」とは——倒置法などの特殊なレトリックはあるにせよ——ならず、述語Vは常に文末に現れます。述語「Vした」は、「Aが」および「Bを」と<格関係>にあるといいます。「Aが」と「Bを」は格関係について対等な関係にあり、「①AがBをVした。」と「②BをAがVした。」は文型としてどちらも正しい文章であり優劣はありません。

 それでは①と②の読みやすさを決定しているのは何でしょうか。読みやすさを決定しているのは、修飾語——「Aが」と「Bを」それぞれ——の長さです。本多先生の「日本語の作文技術」の語順の原則を引用します:

長い修飾語は前に、短い修飾語は後に

本多勝一:「日本語の作文技術」

すなわち、修飾語が主語であるとか目的語であるといったことは語順には関係がないということです。先の例①・②を確認すると、長い修飾語「東京に22年間住んで大学まで卒業した私が」を短い修飾語「田舎暮らしを」の前に置いた①の方が読みやすいということがわかります。

 この作文原則は、ほとんど例外なく使用することができます。他の例題を見てみましょう:

(a) 私が
(b) 花子が殺害現場にいた事実を
(c) 弁護士の太郎に
伝えた

この(a)・(b)・(c)の順番は6通り考えられますが、そのうちの三つほど示します:

①花子が殺害現場にいた事実を弁護士の太郎に私が伝えた。
②私が花子が殺害現場にいた事実を弁護士の太郎に伝えた。
③弁護士の太郎に花子が殺害現場にいた事実を私が伝えた。

明らかに長い修飾語を先に書いた①が読みやすいことがわかります。こうした例題はいくらでも作成できますが、ほとんどの場合長い修飾語を先に書いた方が読みやすくなります。

 以上の議論により、日本語の語順がSOVであるとか、主語と述語に近づけるべきといったことは、読みやすさに寄与しないうえに、文型の解釈としてもイマイチなことがわかりました。日本語において支配的なのは述語の位置のみであり、主語を含む修飾語はその長さによってのみ配置を決めるべきです。

 これまでの議論は読点がない文のみを見てきました。読点がある場合の語順をどのようにするべきかを次の章で考えてみます。

3 読点と語順の関係性

 学校教育において「読点は文章が長くなる時に息継ぎするときに入れる」と私は教わりました。先の読みやすい文例①に読点を打ってみると:

①’花子が殺害現場にいた事実を、弁護士の太郎に私が伝えた。

となり、悪くない文だと思います。このように長い修飾語同士を切る使い方——当たり前すぎて説明するまでもない使い方——が読点にはあります。

 読点には上記とは異なる意識すべき作用があります。それは、読みやすさを保ちながら語順を変更できる作用です。例えば、先の例で読みにくかった②に点を打つと:

②’私が、花子が殺害現場にいた事実を弁護士の太郎に伝えた。

となり読みやすくなります。読みやすい文①が基本の語順だけれども、主語「私が」を目立たせたい場合には、読点を打ちながら語順を変更することが認められるのです。③も同様に読点を打てば読みやすくなります:

③’弁護士の太郎に、花子が殺害現場にいた事実を私が伝えた。

この場合は「弁護士の太郎に」を強調させたい場合の語順変更になります。このように、強調させたい語を読点を伴って先頭に配置することで、読みやすさを保ちながら語順変更をすることができます。

 以上の2つの読点の用法——長い修飾語を区切る読点・語順を変更する読点——が、読点を打つ原則であると本多先生は述べています。そして、これ以外の読点の使い方をすると読みにくくなることを本多先生は指摘しています。ここでは取り上げませんが、読点は最小限にするよう意識するのがよいでしょう。

3 おわりに

 どのように語順を考えて作文すればよいかを解説しました。改めて最初に示した例文を見てみます:

現在わが国では、・・・・が問題となっている。そこでわれわれは、・・・・に着目した。本研究は、・・・・の改善を目的とする。提案手法は、・・・・によって問題を改善する。

これがなぜ小慣れていないように見えるのか、なんとなく理解いただけたのではないでしょうか。修飾語の長さや強調したい語によって柔軟に語順を変えることができることを知らないので、主語が先頭にある文が連なる単調さを筆者は見逃してしまっているのです。これは「私は・・・・だと思いました。私は・・・・だと思いました。」と続いてしまう中学生の読書感想文と、程度は違えど同一の失敗です。

 しかし実のところ、上記の議論は大事なことを棚上げしてしまっています。それは助詞「は」の使用方法です。議論中の例文①②③は主語を「私が」としていますが、「私は」も使えるはずです。これは議論を単純化するためにあえて「私が」としていたのですが、ふつう日本語として自然なのは「私は」の方です。しかし、助詞「は」を理解するためには<ムード>と呼ばれる日本語の表現をあらかじめ知らなければならないのです。次回は助詞「は」とムードについて説明します。

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